2022年4月10日日曜日

目をそらさずに

  十字架を負って進まれる主イエスから目が離せない、いやそれどころか釘付けになる。今、この十字架を負う主の姿に、苦しむウクライナの人々が重なる。

 せめて私にできること、それはこうしたことは歴史が繰り返してきた事だと言って目の前の残酷な事実を薄めない事だ。彼らの負う十字架はかつて人々も負ってきた事だと言って、軽いものだと見なさない事だ。今、できること、それはウクライナで起こされている破壊と暴力に目を背けないで、注視し続けることだ。

 誰もが十字架を負っている。十字架のあるところには必ず主キリストの慰めと希望がある。「自分の十字架を負って私に従いなさい」との主の言葉を恵と思う。