2022年9月24日土曜日

主イエスの声が響いてくる

 自然災害は平等に人を襲う。だが、その影響と立ち直る力は貧富の格差によって、決して平等ではない。

 パキスタンの大雨と洪水の影響は深刻だ。国連が援助を訴える。「パキスタンの人々は前代未聞の大雨や洪水の影響に直面している。南アジアは気候変動の危機が顕著に現れる地域だが、今日のパキスタンで起きていることは、明日のあなたの国でも起きるかもしれない」と。

 今日、「金持ちとラザロの話」から響いてくる福音に耳を傾ける。この金持ちは門前の物乞いラザロの困窮を知っていながら一切、憐れみをかけなかった。彼は「自己中心の罪」を問われている。私達の中に巣くう「怠りの罪」に改めて気付かされる。主イエスの愛を私の中に燃やしてくださいと祈る。

2022年9月18日日曜日

信仰の飛躍が求められている

  赤とんぼが飛び、彼岸花が咲き始めた。夏から秋へと季節が進み始めていることを感じる。

 9月、小田原教会では礼拝堂に隣接して建っていた牧師館を取り壊した。後には一軒分の更地が現れた。

 牧師館の解体までには多くの準備があった。それらの一つ一つが手順を追って進められて、ようやくこの状況にまでたどり着いた。

 今、更地に立って思うこと。それは、この土地は新たな宣教の手段として与えられたということだ。どのように利用するか。それは、どのように宣教していくのかということだ。これまでと同様の関わりでいいのか。一人ひとりに信仰の飛躍が求められている。

2022年9月11日日曜日

自分らしく生きられる気がした

  1匹の迷いでてしまった羊を探しに探して、やっと見つけた羊飼いは「ああ、見つかってよかった!無事でよかった!」と涙するほどに羊を抱きしめたに違いない。

 また、1枚の銀貨を失くした主婦は家中を掃除して、「銀貨が見つかりました。部屋の隅に転がっていたんですよ!」と近所の人々に大喜びで伝えただろう。

 1匹を探すために99匹を残して出かける羊飼いも、近所の人には関係のない銀貨のことで大騒ぎをする主婦も尋常ではない。それは失ったものが大事だからだ。

 天の父の懐から逃れて迷った一匹の羊、一個の銀貨はこの私自身だ!天の父に救われて、繋がって、安心できた。そこに立つ時、自分らしく生きられる気がした。


2022年9月4日日曜日

これでお前とは兄弟になったなあ

 私は大学4年の時に洗礼を受けた。無医村の医者で家庭に時間をほとんど割けなかった父の言葉を思い出す。「これでお前とは新しく兄弟になったなあ」。

 また父は「やっと親としての責任を果たせました」と牧師に語ったそうだ。その父は、徹底した信仰の祖父に反抗して37歳でやっと信仰告白に至ったそうだ。祖父は食事のときにも聖書を離さなかったというが、父の信仰告白に祖父は天で喜び踊ったことだろう。

 あいかわらず親子だけれど、主キリストにつながる兄弟の関係、そんな霊的につながった新しい家族関係を主は与えてくださる。この私が、祖父や父と共に主にある兄弟だというのは、有り難い恵みだ!

2022年8月28日日曜日

草取りは神の親心の祝福

 草取りをしながら徳富蘆花のエッセイを思い出した。

 彼は言う。農家は6,7,8,9の月が草との合戦だ。五穀は野草に比べて脆弱だから放っておけばやられてしまう。息つく間なく取ってもキリがないと言いながら「一本抜けば、確実に一本減る」と自ら励まし、草を取る。

 彼は、「油断をすれば畑も、人の心も、あたりの社会も草だらけになってしまう」と言いながら、世界の草の種を取ることは必ずしも我らにとって幸福でないかもしれないと自戒もする。創世記3章を引用して「旧約聖書は、草は人間の罰と見た。草取りは神の人に対する親心の祝福である」と結んでいるのには驚いた。

 神の親心に答えて草を取る、そう思うと楽しくなる。

 

2022年8月21日日曜日

人も家畜も元気を回復するための日

  主イエスの当時、安息日の規定では卵一個の重さまではよし、それ以上の物を持ち運ぶことは労働とみなされたという。笑ってしまうが、似たような話が高校時代の校則にあったことを思い出した。無意味な校則のチェックに先生方は疲労したことだろう。

 安息日の律法、それはシナイ半島での選民イスラエルに対する天父の愛の配慮にほかならなかった。規範がなくては選民もただの烏合の衆だ。時代を経て安息日は奴隷や牛やろばを休ませるため(出エジプト23:12)の日となった。

 主日は「主の復活の日」だ。その主日を「喜びの日」と言われた主イエスの配慮は何かと、今思い巡らす。

2022年8月14日日曜日

麦茶が好きだ

  コップ一杯の冷たい麦茶を机に置いて、聖書を読み始める。夏の朝5時、冷房無しの爽やかな朝、しばらく主と共に過ごす。これが日課である。

 夏は水分を取らなければと、せっせと麦茶を飲む。沸かした麦茶は胃への負担が少なく、体に優しいと言うのが長年麦茶を愛用してきた私の感想だ。だが、最近の日本の夏は亜熱帯地方の暑さだ。麦茶ばかりを飲んでいてはかえって熱中症の心配がある。「シニア世代の麦茶信仰」と子どもたちは警告する。確かに環境は変化した。この夏は経口補水液と併用することにした。 

 「朝風静かに吹き 小鳥も目覚めるとき・・・」主との語らいの時、やはり私は麦茶が好きだ。

2022年8月7日日曜日

どんな中にも主の慈しみが

  年一回、牧師に与えられた休暇を喜んで迎えた。ところがこの暑さの中、家人が体調を崩して寝込んだ。

 今の時期、どこの「発熱外来」も一杯。やむなく自宅療養することに。すぐに「抗原検査キット」で、陰性だとわかったが、一週間近く寝込むことになった。

 家人が回復し始めた頃、5年ぶりに米国滞在の長男が一人で訪ねてきた。孫がやはり熱を出したためだ。

 久しぶりに親子水入らずの時を過ごした。長男の顔を見て話を聞きながら長男とその家族の過ぎ去った日々の経験を頷いて聞く。それはこの5年間の空白を埋め合わせて有り余る恵みだ。病気は嫌だが、どんな中にも主の慈しみが満ち溢れていることを実感した。

2022年7月31日日曜日

すべては過ぎ去る。しかし・・・

 小田原教会では間もなく牧師館解体が始まる。先日、解体業者の方々から説明を受けた。手順に従って一つ一つ進めてゆく。

 礼拝後に、牧師館に残された廃棄する多くの物から残すものを選別する予定。もう使わないだろうと思える数々の物を前にして、「もう役目が終わったのだ」と、簡単には割り切れない思いが残る。その時、そこに奉仕してきた多くの兄弟姉妹の思いが想像される。

 しかし、神を愛し、人に仕える小田原教会のこれからにふさわしいあり方を模索しながら進みたい。「すべては過ぎ去る。しかし主の言葉はいつまでも残る」との主イエスの言葉に力を得る。

*8月7日の牧師のツイートは休暇のため休ませていただきます。


2022年7月24日日曜日

夏対策

 今年も暑い夏が来た!この夏を元気で過ごしたいと願う。私なりに「夏対策」をする。

 一つはヨシズである。窓の外にヨシズを立てかける。そして、窓という窓を開け放ち、外から風を入れる。これで部屋の空気もずいぶん涼しくなった。

 もう一つはウォーキングだ。一日7000歩を目指す。歩くのはもっぱら夕食後だが、流れる汗をかいた後は疲れるが、達成感はちょっとあるかな・・・?

 暑いしコロナも猛威を奮っている。しかし、ギラギラ太陽に向かって鎌を振り上げて、「暑いぜ!おれは負けないぜ!」と照れながら言うかまきりりゅうじ(『のはらうた』より)に自分を重ねて、ふと楽しくなる。

2022年7月17日日曜日

マルタからもマリアからもだ

 主イエスをもてなすために忙しく立ち働くマルタ。これまで教会はこのマルタの働きにどれほど助けられてきただろうか! マルタの働きは尊い。

 ところが、忙しさの余り、マルタは主の言葉に聞き入ってばかりいるマリアを非難する。

 従来、ここはマルタとマリアを比較して、マリアは御言葉に聞く観想的なタイプ。マルタは活動的なタイプ。そして、御言葉に聞くことが何より大切との結論によって、このマルタを批判的に見てきた。

 しかし、主は祈りながら活動し、活動しながら祈ることを教えてくださっている。ここから学ぶのは、マルタかマリアではなく、マルタからもマリアからもだ。

2022年7月10日日曜日

病みつきになりそうだ。

 イエス様の善きサマリア人のたとえは「隣人愛」の教えだ。主イエスは、愛する相手に条件をつけたり、範囲を設けたりしないで「助けを必要としている人はだれでもあなたの隣人」とおっしゃる。

 私たちは、自分が助けるべき相手はどのへんまでかを常に自問自答している。実に損得勘定によって!

 「隣人愛」とは地球規模に広がってゆく明るい壮大なイメージだ。今ここに、助けを必要としている人がいることがわかったなら「隣人愛」の実践は今だ!

 もしも隣人の役に立てたなら、どんなに楽しいことか!「隣人愛」は味わってこそわかる。きっとハマル。 神の国の味は病みつきになりそうだ。

2022年7月3日日曜日

シャロームという平和

  トルストイの小説『戦争と平和』が余りにも有名なので、かつて私はあさはかにも、平和というのは戦争のない状態というぐらいに考えていた。

 主イエスは、「どこかの家に入ったら、平和があるようにと願いなさい。」と教えてくださる。

 平和、それは神の救いの恵みの総体であって、人権に関わることなのだと改めて学び直した。

 神との和解、自然との調和、安全、健全、祝福、休養、光栄、富、救い、命などを含む大変含蓄のある言葉だ。平和に過ごすというのは決して波風が立たないように、ということではない。簡単ではないが、キリストにおいてこそ成ると信頼する。

2022年6月26日日曜日

弟子の覚悟

  主は主に従おうとする者に言われる。「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」。

 私はこの箇所を読むたびに、神学校の入学式のことを思い出す。神学校の入学式の前日、父が召された。すぐに郷里に帰らせてくださいと願いでた。ところが、神学校長から、式に出て、オリエンテーションを済ませてから行くようにと言われた。

 これから歩もうとしている主イエスとの旅路を、神の国にふさわしい者として歩むという新たなステージに入ったのだと気付かされた。天の父は、肉の父を召して、牧会者としての大切な学びをさせてくださったと、いつも感謝をもって思い起こす。

2022年6月19日日曜日

サタンのシッポ?!

 運動のために、妻と二人で夕食後にウオーキングを始めた。夜、人も車もいなくなった◯◯病院の広い駐車場の歩道は街灯がついて明るく安全。周囲が150メートルくらいもある楕円形の歩道はさながら運動場のトラックだ。その歩道を折半してもう一本の歩道が通るが、たいてい私たちは楕円形の歩道をグルグル歩く。

 ある時、コースを外れて真ん中の歩道を歩いていた妻が私を呼ぶ。「ここを歩くと私の影に尻尾があるのよ!」と怯えた声。それは左右に並ぶ街灯の光のイタズラなのだが、妻の影にさながらサタンのシッポ?!私の股にもサタンのシッポが歩くたびに揺れた。

 思わず笑った。人が知らないサタンのシッポ! 

2022年6月12日日曜日

目先の都合で

  関東はもう梅雨に入ったと聞いて驚く。確かにこのところの天気を見れば紛れもなく梅雨入りだ。

 今年はすっかり紫陽花が枯れてしまって、梅雨の庭がどことなく寂しい。庭の一隅を占めて伸び放題だったため、二年に渡って刈り込んだためだろうか?

 例年なら大きな緑の葉が茂り、淡い黄緑や青の紫陽花がいっぱい花をつけるところだ。ジトジトジメジメの中で人間の方は恨めしそうに雨天を眺めているのに、紫陽花は梅雨の中でみずみずしく元気一杯だったなー。あれは本当に良かった!と思い返す。

 邪魔だからと思ったあの時は、冬枯れのさなかだった。私の都合は、まさしく自分の目先の都合だった。



2022年6月5日日曜日

小さなサインを見逃さず

  使徒言行録には聖霊はドロマティックなイメージで描かれている。突然、激しい風が吹くような音が響き、炎のような舌が現れて弟子たちにとどまる。

 もう一方で、静的で内的なイメージの聖霊がヨハネ福音書に記されている。復活の主が現れて、弟子たちに息を吹きかけ「聖霊を受けなさい」と言われた。主はこの聖霊を弁護者(助け手・慰める者)と呼ばれた。

 私の日常には聖霊はあまりドラマティックな仕方ではおられないようだ。しかし、聖霊はいつも私と一緒にいてくださり、助けていてくださるのを感じる。

 どうか、今日も主の言葉を思い出させて、聖霊の出す小さなサインを捉えることができますように。

2022年5月29日日曜日

聖霊はスタンバイ!

 今日、主イエスは弟子たちを祝福しなが天に昇られた。その弟子たちの中に自分がいる、そんな姿を想像して描いてみる。戸惑いつつも眩しいような顔をして主を仰いでいる自分の姿が浮かぶ。
 「イスラエルのために国を立て直してくださるのはこの時ですか」と、復活の主にお会いしながらこんなトンチンカンな問をするほど弟子たちのこころは鈍く弱っていた。約束の聖霊はまだ降っていないからだ。
 主はそんな弟子たちに「あなた方に聖霊が降ると世界の果てに至るまで私の証人となる」と宣言される。すでに愛の聖霊はスタンバイ!足元ばかり見つめる私たちの目線を地平線、水平線の彼方へと導いて下さる。

2022年5月22日日曜日

初夏の気配

  卯の花が咲いてこの頃はすっかり初夏の気配だ。

早朝に「ホーホケキョ!」と、うぐいすの鳴声。その鳴声の清らかさに心が打たれる。いっとき、さえずりの歌声を賛美歌のように聞きながら聖書を開く。

 そして居眠りの出る午後「ツピチペ、ツピチペ」とシジュウガラの鳴声。窓の木の梢を見回すが姿は見えないが元気なさえずりに眠気が吹っ飛ぶ。

 復活の主イエスは40日間を弟子たちと過ごして、希望なく過ごしていた彼らを励まされた。もうじき主は天に昇られる。あれ以来、主の聖霊がやってきて私たちと一緒にいて下さる。目には見えないが聖霊は私たちのうちにいて愛の革命を起こして下さる。

2022年5月15日日曜日

恵みの甘夏

  復活節のこの頃はちょうど甘夏の収穫時期となる。

感謝なことに、今年も信徒さんの畑から収穫したばかりの甘夏が教会に届けられた。無農薬の甘夏は果実ばかりか皮こそが重宝なのだそうだ。

 連日のように、蜜柑の香りが家中に漂う。家人がマーマレードや甘夏ピールづくりに熱中しているからだ。恵みの甘夏だから新しいうちに作って届けたいと言う。これはささやかな“Her Mission”なのだ。

 マーマレードは瓶詰めにされ、甘夏ピールはバターケーキに焼き込まれる。試食係の私にはちょっとほろ苦いかな…?果たして皆は「苦いのがいいのよー」と優しい。人との分かち合いは本当に祝福だと思う。