2023年8月27日日曜日

どこをとっても恵み

 日本滞在中の米国人のF牧師には4年前から時々礼拝説教の奉仕をお願いしてきた。小田原教会のこの主日にF牧師に帰国前の最後の説教をしていただく。

 F牧師は英語で説教をされるが、「英語の説教」で礼拝に与るというのは「離れ業?」と思われた。しかし、湯河原教会のT姉が翻訳を引き受けてくださり、当日の通訳を小田原教会のS姉とK兄が引き受けてくださった。道は開けた!主は、必要なところに必要な人を与えてくださったことを思う。 

 礼拝後には感謝会もある。私は丁度このタイミングで休暇中である。T姉を小田原教会にお連れしよう。お互いに顔をあわせ、みんなが一緒に礼拝に与るのは素晴らしい!どこをとっても恵み!

2023年8月20日日曜日

もうちょっと頑張れるかな?

 この夏のものすごい湿気と暑さの中、高齢の猫たちの世話は楽ではないと、家人を見て思う。餌が食べられなくなった猫に食べさせる。嫌がる猫に投薬と点滴をするのだから決してすんなりではない。家人も疲れてさすがに続けられない日もでてきた。

 猫でさえこうなのだから、病人を家庭で看ている人達の心身の重荷はどれほどだろうか。そうでなくても高齢の方がこの夏を乗り越えるのは並大抵ではない。

 家人は言う。「大変、大変と思っているうちはどんどん意識が低下して、本当に体も心も疲れてくる。でも、主の助けによって、もうちょっと頑張れるかな?と思ったら楽になった。底なしの淵へ落ちてゆく意識を引っ張り上げてくれた」。神に感謝します。

2023年8月13日日曜日

神の助けによって

 飼い猫の一匹がこのところ餌が食べられない。家人はいろいろな病気を頭に思い浮かべて心配で眠れない。獣医さんに診てもらう。原因は虫歯と歯肉炎だった。

 歯に原因があるとわかったことで今後の治療のメドもたった。猫は帰宅後、注射と点滴が効いたのか柔らかいキャットフードを二袋、ペロリと食べた。「嬉しい、安心した」と家人の方がむしろ元気になった。

 「猫が餌を食べられる」。たったこれだけで人の心が平和になるとしたら、私たちは、不安を覚えながら辛い思いで過ごしている、どれほど多くの人に安心材料を提供できるかしれない。私たちの力には限界があるが、神の助けによって神の国のために働けると信じる。

2023年8月6日日曜日

平和の想いを新たに

  8月は平和を思う月だ。6日のヒロシマ、9日のナガサキ、15日は終戦記念日だ。

 先日、井伏鱒二の原作を映画化した「黒い雨」をDVDで見た。よく描かれた映画だと思った。広島の原爆が多くの人の命を奪ったことは知識として知っているが、一人一人の人生を変えてしまったことに改めて思いがゆく。戦争で心に傷を負った若者がようやく主人公によって、新たな希望を見出した。しかしその途端、主人公は原爆直後の黒い雨などによる被爆で死んでゆく。

 原爆は人から人生も希望もむしり取っていく。戦争の悲惨さは知識としては知っている。が、知識は感覚を伴わない。この8月、改めて戦争の悲惨さを目で見て感じ、聞いて感じ、平和への思いを新たにしたい。

2023年7月30日日曜日

生きているのは素晴らしい

 今年の夏の暑さは耐え難い。蝉まで暑い暑いと言って鳴いている。毎日の天気予報で40度に近い気温が予想され、聞くだけで気持ちが凹む。

 午後、「こんなに暑いのだから、なにか口当たりがよく、涼しくなれるようなものをお見舞いにして」と、家人が寒天ゼリーを作ってくれた。これを携えていつもどおり一ヶ月に一度の問安をする。

 夜、ホームに居る別の方から電話がかかってきた。高齢のご家族は訪ねることがないという。「先生、来てください」「近いうちにお訪ねしますからね」と電話を終える。暑さで凹んでいた気持ちも膨らんだ。

 それにしても朝から夜まで鳴いている蝉は暑さ知らずだ。蝉にとって今、生きているのが素晴らしいのだ!


2023年7月23日日曜日

この夏を早起きで

 礼拝に与るためにいつもは1時間かけて歩いてこられていたFさんの葉書に「熱中症の心配があるのでこの夏は教会に行かないようにと担当医から言われて、秋まで礼拝を諦めます。」とあった。

 他にもこの暑さのために礼拝に来られない方がいる。ズームでも参加できるのだが、ネット環境のない方も以外に多い。電話や手紙、できれば問安で教会とのつながりを覚えてもらいたい。早速Fさんに手紙を書いて、家庭で礼拝ができるよう『聖書日課』を送る。

 私自身はというと、いつもどおり早朝に起きて、朝7時までにルーティーンを済ませる。この生活習慣を保つことでこの夏を乗り切りたいたいと願っている。


2023年7月16日日曜日

たとえ思うようでなくても

 日本海側では豪雨が伝えられて実際は梅雨明けとはなっていないのだが、暑さだけは真夏並だ。

 例年だと、家人はギラギラ太陽に向かって鎌を振りかざすカマキリキリオ(のはらうた)を真似て「おう!夏だぜ、暑いぜ、俺は頑張るぜ」と言いながら台所で煮炊きをしている。けれども、この夏は愛猫が弱ってきているせいか、少しも気合が入らないようだ。特に片付けが思うようでないらしい。「我が家に人が来られたら、ゴミ屋敷だと思うでしょう」としきりに嘆く。

 私は「たとえそうであっても、おおらかに、おおらかに」と言う。自虐的にならないこと、律法的にならないこと。どんな中にも主の恵みがあるのだから。

2023年7月9日日曜日

我らの国籍は天にあり

 南伊豆にある叔母の家を取り壊すことになった。

 叔母が南伊豆を離れて10年、天に召されて3年になって家はすっかり老朽化した。かつて叔母の三人の姉達や晩年の父がこの家に住んだ。この家は先祖の土地、お墓のある土地の一角に建っている。

 私の曽祖父はここで開業した。その病院と土地の絵図がパリ万博に出品されて紹介されている。しかし、祖父はキリスト教に改宗して家を捨てた。クリスチャンの両親から育てられた私の父はといえば「我らの国籍は天にあり」と土地や家には全く無頓着だった。

 叔母は先祖のお墓を大事に考えてここに家を建てた。だが、今や住む人はなく取り壊して、土地は国に権利を譲る予定だ。私たちの住むところは天にあるのだから。 

2023年7月2日日曜日

40年前の愛がわかる

 久しぶりに、2歳の孫がやって来た。

やって来るという日の朝、日頃の猫使用の我が家を2歳児使用にするため、急いで片付けと掃除をする。

 やって来た孫を食事に連れ出し、その後砂場道具を持って海岸に行った。ちょうど引き潮とあって、砂浜の感触が気持ちいいのだろう、孫は歓声を挙げて波間を走る。その姿を私は追いかけ回った。孫はすっかり遊び疲れて昼寝をしたあと帰っていった。あとには大量の洗濯物と砂場道具が残された。妻が砂場道具をきれいに洗って片付ける。「また、来年ね・・・」と。

 40年前、私たちはよく長男を連れて帰省したが、あの当時の父母の思いが今になって蘇ってきた。あの時受けた愛が今分かる。有り難いことだったと振り返る。

2023年6月25日日曜日

聖霊の力に励まされ

 主イエスは12弟子を宣教に派遣するにあたって、弟子たちに権能を授けて送り出したと言う。

 今、日本で私たちが宣教している状況は、2000年前の当時とは大きく異っている。使徒パウロの時代にキリスト者が受けた迫害はない。しかし、困難があると言うなら、自己責任型のゆとりのない社会、忙しさの中で隣人に関心を向けられない社会、そんな中で自分の時間を隣人のためにとことん削ることかもしれない。

 人から相談を受ける時、たいてい私は聞く側に徹する。確かに人の話を聞くことは忍耐がいる。だがそこには主がともにいてくださるという希望がある。聖霊から励ましと力を得て元気になれる。これこそが私たちに与えられたキリストの権能ではないか。 

2023年6月18日日曜日

「従え」は救いの言葉

 主イエスがマタイの前に立ち、「私に従え」と声をかけ、マタイはすぐに収税所を出て主に従った。

 主はマタイが収税所で座っている様子を一目見て、この男の心に深く根を降ろした苦しみを見抜いた。

 マタイは能力があり、金持ちであって、ローマから委託された相応の権力を持っていた。しかし、ユダヤ社会からは罪人と軽蔑され、屈辱的な扱いをされていた。そのマタイの心は自分では抜け出そうにも抜け出せない苦しみ、卑屈で自虐的な自己顕示に満ちていた。

 主イエスが「従え」と声をかけたときに奇跡は起きた。マタイはスクッと立ち上がって主に従った。「我に従え」はマタイにとって奇跡の救いの言葉だ。

2023年6月11日日曜日

終りがあることを知る

 梅雨に入った。毎日シトシト、ジメジメが続く。猫たちは家から出られず、窓の外を眺めている。

 梅雨の候が好きだという人はすっかり減ったように思う。少し涼しいなかで、静かな雨音を聞きながら室内にて読書をする、こんな風情はすっかり遠のいた。油断をすると、シトシト雨はゲリラのように豪雨となって私たちを襲う。地球温暖化のせいだといいながら、私たちはちっとも便利な生活を手放すどころか、より便利な生活を追い求めている。

 「どんな種も必ず滅びるんですよね」とは先日のあるテレビ番組で恐竜学者が語っていた。何億年の先に終わりのあることにハッとする。改めて創世記から黙示録に至る神の壮大なご計画の世界を覗いた気がした。

2023年6月4日日曜日

ヨハネさんの16

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、この世を愛された。独り子を信じるものが独りも滅びないで、永遠の命を得るためである」。このヨハネ3章の16節を、私の父は「ヨハネさんの16だよ」と中学生だった私に教えてくれた。12歳で実家を離れて、キリスト教主義の寄宿学校に入った私に、この聖句を覚えやすいようにと、そんなふうに教えてくれた。

 父の聖書を開くと、この箇所に黄色でハイライトしてある。そして、「神の力におまかせして霊によって生まれ変わる」と書き込みがあった。

 私にとって、父の愛は天の父の愛に通じている。若い頃の跳ねっ返りだった私に教えてくれた「ヨハネさんの16だよ」という父の声が今も懐かしい。

2023年5月28日日曜日

ペンテコステは日々起こる

  聖書では、「聖霊」は「風」とも言われ、また「息」とも言われ、身近な現象として捉えられている。

 人々は、目に見えない大きな力(生命力)を感じたときに、それを風や息として表現した。神からの力は「聖霊」だ。それに反して、罪にいざなう悪の力がある。それを悪魔や悪霊だと考えた。

 私たちも内側から、外側から日々悪魔の誘惑にさらされている。そして、強力な悪霊の力に負けそうになって、神への信頼、人への信頼を失い、不安になる。

 その昔、使徒たちに起こったペンテコステ(聖霊降臨)は今も休みなく起こっている。ときには激しく、ときには静かに内省の声として。

2023年5月21日日曜日

聖霊の風よ吹け

 聖霊降臨祭の礼拝に赤い衣服を着けて来るという習慣をアメリカのルーテル教会で知った。五旬祭に「炎のような舌が一人ひとりの上に留まった」ことによる。

 赤いシャツ、赤いネクタイ、赤いブラウス・・・中でもご高齢の婦人たちが真っ赤なスーツ姿で教会に来ていたのが印象に残る。白髪に赤のスーツはよく似合っていた。赤色は魂を燃え上がらせる聖霊を象徴する。

 そういえば、私の子供の頃祖母が風呂の釜炊きをしながら火吹き竹で火をおこしていたという話を思い出した。木が湿って煙ばかりで燃え上がらない焚口で、祖母は「私の信仰もこれと同じ、どうか信仰を燃え上がらせてください」と祈っていたという。

 聖霊の風よ、吹け!我が心よ、我が魂よ、燃えよ!

2023年5月14日日曜日

その一羽さえ

  我が家の愛猫が巣から落ちたスズメの子をくわえて帰ってきた。雛は目を閉じ、口を大きく開けたまま動かない。しかし、家人が手にしてみると生きていた。

 気がついて鳴き始めた雛をダンボール箱に入れて、餌を買いに走り、餌を与えるのに割り箸を削ってヘラを作っている。野生の鳥を育てるのは不可能に近いと思うが、家人はとにかく雛に餌を食べさせ、飛べるようにして、親に返したいとひたすら願っているようだ。

 しかし、雛は助からなかった。その雛を家人は丁寧に庭に埋めてやった。「その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。」「父の許しがなく」とは「父無しには」だ。このみ言葉が慰めだと家人は言う。あの雛が地に落ちたときにさえ天の父が共にいてくださったと信じられるからだ。

2023年5月7日日曜日

主に信頼して生きる

  神と主イエスをすっかりそっちのけにして、はかないものを頼りにしている限り、不安や心の動揺は続く。世間の目が気になり、権力や財産や名声などが何より大事になってしまうと、人への信頼とか、思いやり、愛などというものは二の次になってしまう・・・。

 主は、「神に信頼を置き、自分の身を神に委ねなさい」と、神に向かって心を高くあげようと呼びかける。

 あるがままで救われた私たちは、今後は自分の努力によって霊性を豊かにしてゆかなければならないと思う必要はない。そうではなく、主の救いには力があって、その力によって、日々私たちは新しくされるのだから、「主に信頼して生きることはすてきだ」と思う。


2023年4月30日日曜日

われら主イエスの羊

  当方の猫たちは、昼間はほとんどゴロゴロ寝て、好きなときに外にでかけて過ごしたりしている。お気に入りのご飯を食べ、トイレの始末をしてもらい、顔や耳を拭いてもらってご機嫌だ。家人が名前を呼ぶと、ほぼ3分以内に戻ってくる。それには、いつも感心する。家人と猫との間には信頼関係が出来上がっている。私が呼ぶとどうなるか?試すまでもないか・・・。

 主イエスの「羊飼いと羊のたとえ」は「聞く」ことは大切!どころか、死活問題だと教えてくれる。

 主は私たち一人ひとりの世話をしてくださり、いつも名前を呼んで帰りを待っている。羊飼いと羊は主イエスと私だと捉えることによって初めてこのたとえ話が現実味を帯びてくる。家人と猫も同じようだな〜。

2023年4月23日日曜日

心が燃えるとき

 エマオへの道をトボトボ歩く二人に、闊達な足取りで追いついてきた方は二人と並んで歩き出した。二人は、イエスが十字架につけられてしまった事で自分達の希望は費えてしまったと意気消沈していた。

 しかし、その方は聖書から神の約束された救いを解き明かしてくれた。その夕、その方がパンを裂いて渡した瞬間に、二人はその方が主イエスだとわかった。あの時、エマオへの道を一緒に歩いた時、「我々の心は燃えていたではないか!」と二人は叫んだ。

 ロベルト・ズンドの描いた「エマオの途上」には、緑の木立の道を復活の主を真ん中にゆったり歩く二人の弟子。この時、二人の心は燃えていたのだ!

AIはスピリチュアルにも???

 チャットGPTが話題になっている。試しに「イエス・キリストの復活について」と質問を打ち込んでみた。ほぼミスなく手際よくまとめられた百科事典的回答がほんの2、3秒で出てきた。その優秀さに面食らった!

 しかし、AIは人の霊性に訴える力はないはずだ。そんなことを思いながら、米国の店頭に並んでいる多種多様なカードの中に、スピリチャル(霊的)と特徴つけられてものがあったことを思い出した。

 家族や友達、知人に向けたカードにも霊的特性を備えたものが確かにあるのだから、もしかして、人々の霊性を育てる説教をするAIも将来登場するのかもしれない。SFのような世界がひょっとして・・・。