2023年10月22日日曜日

祈る。それでも祈る。

 ハマスとイスラエルの軍事衝突に心を痛める。現在のパレスチナ問題の始まりは第2時大戦後のことだ。600万人ものユダヤ人が殺害されたホロコーストの迫害と苦難の歴史を経て、聖書の「約束の地カナン」は1948年のイスラエル建国として結実した。しかし、それは先住のパレスチナ人を抑圧し、排除する歴史の始まりともなった。

 彼らの大祖アブラハムたちも寄留者であった。エジプトの地では奴隷であった。「あなたは寄留者を抑圧してはならない。あなたがたは寄留者の気持ちが分かるはずだ。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである(出エ23:9)」。神は彼らが助け合い、共存することを望んでおられる。 

 

2023年10月15日日曜日

神の愛の礼服を身にまとう

 来年の夏も活躍してくれることを願いながら、湯河原の牧師館の三ヶ所からヨシズを巻き取って片付けた。

 猛暑の夏の日差しを遮ってくれたヨシズは、ヨナが喜んだトウゴマの葉陰のようだった。「ご苦労さま」そして、神に感謝!

 聖霊が私たちの心を開いてくだされば、どこにでも主イエスの惜しみない愛の配慮があることに気づく。もしもそれを受け取らないなら、礼服を着ずに宴会に来たようなものだ。私たちが神の愛の配慮に気づくなら、たちまち神の国の宴会が目の前に現れる。

 「自分のことばっかり」になるのではなく、隣人への愛の配慮に心砕くなら、私たちの霊性は生き返って、シャキッと格好良くなる。

2023年10月8日日曜日

天の恵みの分かち合い

 10月に入って急に涼しくなった。待ちに待った秋の始まりだ!長く暑かったこの夏を思えば、堰を切ったかのようにやってきた秋は天からのプレゼントだ。

 この秋を告げるように、先週はライムを、今週はスダチを頂いた。早速二つの教会におすそ分け。恵みの分かち合いは喜びと感謝を何倍にも膨らませてくれる。

 そういえば、我が家の庭先にもいつの間にか種が落ちて勢いよく生え育った青じそがある。今や小さな白い花をつけ、香りの良い実をびっしりつけている。家人が茎ごと切り取って瓶に指し、台所の棚に置いた。こうしておけば、いつでも青じその花と実が楽しめるからだと。味噌汁にも納豆にも。名付けて「ボランティア青じそ」。これこそ「天の恵みの分かち合い」。


 

2023年10月1日日曜日

本音は同じだが・・・

  「今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言われたらどうだろうか?家人に聞いてみた。「突然言われるのは、イヤですよ」という答えが返ってきた。

 そうなのだ、この二人の息子たちも「No」なのだ。けれども、弟は父の手前を取り繕って「Yes」と答えた。

しかし、本音は「No」なのだから、行かなかった。兄は「No」と答えたが、思い直して、ぶどう園へ行って働いた。父の心にかなったのはもちろん兄である。

 もう一方で、この主のたとえには「人に自分を取り繕うことはない」というメッセージがあるように思える。自分をよく見せかけようとしないで、素直に「NoはNoと言っても良い」のだと。あるがままの自分から初めて、本当に主とつながる。それで良いのだと。


2023年9月24日日曜日

後なる者のように

 ぶどう園で朝早くから働いた人と、夕方から最後の一時間しか働かなかった人が同じ報酬を受けた。契約通りの賃金だから不正はない。しかし、早朝から働いた人にとっては同じ報酬では道理に合わないと不満が残った。

 それにしても、最後に来てほんの少ししか働かなかったのに、一日分の賃金をもらえた人はどんなにか嬉しかったことだろう。功績らしい功績もないのに分不相応の恵みを受けたのだから、それは破格というより他ない。

 主イエスは「先なるものは後になり。後なるものは先になる」と、私たちの心の奥底に巣食っている「貪りの罪」に警鐘を鳴らす。もし、先に来た人が他人と比べず、後なる隣人にもたらされた恵みを一緒に喜べたなら、きっと神の国の幸いを神とともに味わったことだろう。

2023年9月17日日曜日

みんな元気で感謝、感謝!

  9月になっても夏が続いている。たかだか気温のことに一喜一憂するのは情けないが、高齢者にとっては夏日が3ヶ月にも及ぶのはやはり辛い。今朝も、「ちょっと動くだけで滝のような汗だ」。恨めしくカンカン照りの青空を見上げながら思う。

 そんなときだ。「栗ご飯が炊けたわよ!」と家人が知らせてきた。そうだ、〇〇さんと、〇〇さんと、〇〇さんのところに初物をお届けしよう」。この8月はすっかりご無沙汰してしまったが、お元気だろうか?

 初物の栗ご飯を持って伺うと、皆さん暑い暑いと言いながらも元気だった。本当に良かった。ちょっとご飯が硬めだが、一向にかまわない。みんな元気でいた事を喜び合う。感謝だ、感謝だ!



2023年9月10日日曜日

主イエスが共にいてこそ

  「忠告する」というのは難しい。忠告の「忠」というのは、「真心」のこと。忠告は真心をもって、相手の悪いところを指摘して直すように勧めることだ。

 多くの場合、私たちは真心からというより義さから忠告をしようとする。この裁きの過ちに陥らないように主イエスは、まず祈ることを勧めてくださった。「「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである(マタイ18:20)」と。

 密室の祈りと呼ばれる一人の祈りは大事だ。しかし、気をつけないと独善になりやすく、願いばかりが先行する。二人、三人での祈りは自分が謙遜にさせられる。主が一緒にいてくださるからだ。主の憐れみを、みんな共に受ける豊かさへと導かれる。

2023年9月3日日曜日

9月、新しい気持ちで

 9月に入っても涼しさは期待できず、まだまだ忍耐の夏日は続く。しかし、赤トンボが飛んでいるのを時折見かけるので、やはり季節は秋に向かって進んでいるのだろう。そういえば昨日のこと、玄関を出たところですっかり焦茶色に変色したお腹の大きなカマキリに出くわした。「お〜い、元気だったかい?」と私。

 「主は自分を捨てて、自分の十字架を背負って私に従え」とおっしゃる。毎日は平凡であっても諦めることなく、困難はあるが投げやりにならず、主イエスに従ってゆけば、必ず神の国は私の前に実現するのだ。

 一匹のカマキリすら、神の摂理に従って着実に時を刻んでいる。感謝して、9月を新しい気持ちでスタートしよう。

2023年8月27日日曜日

どこをとっても恵み

 日本滞在中の米国人のF牧師には4年前から時々礼拝説教の奉仕をお願いしてきた。小田原教会のこの主日にF牧師に帰国前の最後の説教をしていただく。

 F牧師は英語で説教をされるが、「英語の説教」で礼拝に与るというのは「離れ業?」と思われた。しかし、湯河原教会のT姉が翻訳を引き受けてくださり、当日の通訳を小田原教会のS姉とK兄が引き受けてくださった。道は開けた!主は、必要なところに必要な人を与えてくださったことを思う。 

 礼拝後には感謝会もある。私は丁度このタイミングで休暇中である。T姉を小田原教会にお連れしよう。お互いに顔をあわせ、みんなが一緒に礼拝に与るのは素晴らしい!どこをとっても恵み!

2023年8月20日日曜日

もうちょっと頑張れるかな?

 この夏のものすごい湿気と暑さの中、高齢の猫たちの世話は楽ではないと、家人を見て思う。餌が食べられなくなった猫に食べさせる。嫌がる猫に投薬と点滴をするのだから決してすんなりではない。家人も疲れてさすがに続けられない日もでてきた。

 猫でさえこうなのだから、病人を家庭で看ている人達の心身の重荷はどれほどだろうか。そうでなくても高齢の方がこの夏を乗り越えるのは並大抵ではない。

 家人は言う。「大変、大変と思っているうちはどんどん意識が低下して、本当に体も心も疲れてくる。でも、主の助けによって、もうちょっと頑張れるかな?と思ったら楽になった。底なしの淵へ落ちてゆく意識を引っ張り上げてくれた」。神に感謝します。

2023年8月13日日曜日

神の助けによって

 飼い猫の一匹がこのところ餌が食べられない。家人はいろいろな病気を頭に思い浮かべて心配で眠れない。獣医さんに診てもらう。原因は虫歯と歯肉炎だった。

 歯に原因があるとわかったことで今後の治療のメドもたった。猫は帰宅後、注射と点滴が効いたのか柔らかいキャットフードを二袋、ペロリと食べた。「嬉しい、安心した」と家人の方がむしろ元気になった。

 「猫が餌を食べられる」。たったこれだけで人の心が平和になるとしたら、私たちは、不安を覚えながら辛い思いで過ごしている、どれほど多くの人に安心材料を提供できるかしれない。私たちの力には限界があるが、神の助けによって神の国のために働けると信じる。

2023年8月6日日曜日

平和の想いを新たに

  8月は平和を思う月だ。6日のヒロシマ、9日のナガサキ、15日は終戦記念日だ。

 先日、井伏鱒二の原作を映画化した「黒い雨」をDVDで見た。よく描かれた映画だと思った。広島の原爆が多くの人の命を奪ったことは知識として知っているが、一人一人の人生を変えてしまったことに改めて思いがゆく。戦争で心に傷を負った若者がようやく主人公によって、新たな希望を見出した。しかしその途端、主人公は原爆直後の黒い雨などによる被爆で死んでゆく。

 原爆は人から人生も希望もむしり取っていく。戦争の悲惨さは知識としては知っている。が、知識は感覚を伴わない。この8月、改めて戦争の悲惨さを目で見て感じ、聞いて感じ、平和への思いを新たにしたい。

2023年7月30日日曜日

生きているのは素晴らしい

 今年の夏の暑さは耐え難い。蝉まで暑い暑いと言って鳴いている。毎日の天気予報で40度に近い気温が予想され、聞くだけで気持ちが凹む。

 午後、「こんなに暑いのだから、なにか口当たりがよく、涼しくなれるようなものをお見舞いにして」と、家人が寒天ゼリーを作ってくれた。これを携えていつもどおり一ヶ月に一度の問安をする。

 夜、ホームに居る別の方から電話がかかってきた。高齢のご家族は訪ねることがないという。「先生、来てください」「近いうちにお訪ねしますからね」と電話を終える。暑さで凹んでいた気持ちも膨らんだ。

 それにしても朝から夜まで鳴いている蝉は暑さ知らずだ。蝉にとって今、生きているのが素晴らしいのだ!


2023年7月23日日曜日

この夏を早起きで

 礼拝に与るためにいつもは1時間かけて歩いてこられていたFさんの葉書に「熱中症の心配があるのでこの夏は教会に行かないようにと担当医から言われて、秋まで礼拝を諦めます。」とあった。

 他にもこの暑さのために礼拝に来られない方がいる。ズームでも参加できるのだが、ネット環境のない方も以外に多い。電話や手紙、できれば問安で教会とのつながりを覚えてもらいたい。早速Fさんに手紙を書いて、家庭で礼拝ができるよう『聖書日課』を送る。

 私自身はというと、いつもどおり早朝に起きて、朝7時までにルーティーンを済ませる。この生活習慣を保つことでこの夏を乗り切りたいたいと願っている。


2023年7月16日日曜日

たとえ思うようでなくても

 日本海側では豪雨が伝えられて実際は梅雨明けとはなっていないのだが、暑さだけは真夏並だ。

 例年だと、家人はギラギラ太陽に向かって鎌を振りかざすカマキリキリオ(のはらうた)を真似て「おう!夏だぜ、暑いぜ、俺は頑張るぜ」と言いながら台所で煮炊きをしている。けれども、この夏は愛猫が弱ってきているせいか、少しも気合が入らないようだ。特に片付けが思うようでないらしい。「我が家に人が来られたら、ゴミ屋敷だと思うでしょう」としきりに嘆く。

 私は「たとえそうであっても、おおらかに、おおらかに」と言う。自虐的にならないこと、律法的にならないこと。どんな中にも主の恵みがあるのだから。

2023年7月9日日曜日

我らの国籍は天にあり

 南伊豆にある叔母の家を取り壊すことになった。

 叔母が南伊豆を離れて10年、天に召されて3年になって家はすっかり老朽化した。かつて叔母の三人の姉達や晩年の父がこの家に住んだ。この家は先祖の土地、お墓のある土地の一角に建っている。

 私の曽祖父はここで開業した。その病院と土地の絵図がパリ万博に出品されて紹介されている。しかし、祖父はキリスト教に改宗して家を捨てた。クリスチャンの両親から育てられた私の父はといえば「我らの国籍は天にあり」と土地や家には全く無頓着だった。

 叔母は先祖のお墓を大事に考えてここに家を建てた。だが、今や住む人はなく取り壊して、土地は国に権利を譲る予定だ。私たちの住むところは天にあるのだから。 

2023年7月2日日曜日

40年前の愛がわかる

 久しぶりに、2歳の孫がやって来た。

やって来るという日の朝、日頃の猫使用の我が家を2歳児使用にするため、急いで片付けと掃除をする。

 やって来た孫を食事に連れ出し、その後砂場道具を持って海岸に行った。ちょうど引き潮とあって、砂浜の感触が気持ちいいのだろう、孫は歓声を挙げて波間を走る。その姿を私は追いかけ回った。孫はすっかり遊び疲れて昼寝をしたあと帰っていった。あとには大量の洗濯物と砂場道具が残された。妻が砂場道具をきれいに洗って片付ける。「また、来年ね・・・」と。

 40年前、私たちはよく長男を連れて帰省したが、あの当時の父母の思いが今になって蘇ってきた。あの時受けた愛が今分かる。有り難いことだったと振り返る。

2023年6月25日日曜日

聖霊の力に励まされ

 主イエスは12弟子を宣教に派遣するにあたって、弟子たちに権能を授けて送り出したと言う。

 今、日本で私たちが宣教している状況は、2000年前の当時とは大きく異っている。使徒パウロの時代にキリスト者が受けた迫害はない。しかし、困難があると言うなら、自己責任型のゆとりのない社会、忙しさの中で隣人に関心を向けられない社会、そんな中で自分の時間を隣人のためにとことん削ることかもしれない。

 人から相談を受ける時、たいてい私は聞く側に徹する。確かに人の話を聞くことは忍耐がいる。だがそこには主がともにいてくださるという希望がある。聖霊から励ましと力を得て元気になれる。これこそが私たちに与えられたキリストの権能ではないか。 

2023年6月18日日曜日

「従え」は救いの言葉

 主イエスがマタイの前に立ち、「私に従え」と声をかけ、マタイはすぐに収税所を出て主に従った。

 主はマタイが収税所で座っている様子を一目見て、この男の心に深く根を降ろした苦しみを見抜いた。

 マタイは能力があり、金持ちであって、ローマから委託された相応の権力を持っていた。しかし、ユダヤ社会からは罪人と軽蔑され、屈辱的な扱いをされていた。そのマタイの心は自分では抜け出そうにも抜け出せない苦しみ、卑屈で自虐的な自己顕示に満ちていた。

 主イエスが「従え」と声をかけたときに奇跡は起きた。マタイはスクッと立ち上がって主に従った。「我に従え」はマタイにとって奇跡の救いの言葉だ。

2023年6月11日日曜日

終りがあることを知る

 梅雨に入った。毎日シトシト、ジメジメが続く。猫たちは家から出られず、窓の外を眺めている。

 梅雨の候が好きだという人はすっかり減ったように思う。少し涼しいなかで、静かな雨音を聞きながら室内にて読書をする、こんな風情はすっかり遠のいた。油断をすると、シトシト雨はゲリラのように豪雨となって私たちを襲う。地球温暖化のせいだといいながら、私たちはちっとも便利な生活を手放すどころか、より便利な生活を追い求めている。

 「どんな種も必ず滅びるんですよね」とは先日のあるテレビ番組で恐竜学者が語っていた。何億年の先に終わりのあることにハッとする。改めて創世記から黙示録に至る神の壮大なご計画の世界を覗いた気がした。