2020年1月5日日曜日

この幸いに感謝!

 2020年が明けた。どんな時にも祈り、どんなことにも感謝する一年でありますようにとお祈りします。
 1月6日は主イエス・キリストの顕現の祭日だ。メシアを示す星に導かれて遥か東方からやってきた三人の占星術の博士達はついにヨセフ、マリア、そして幼子イエスに拝謁し、宝を捧げ、喜びに満たされた。
 幼子イエスを我主として礼拝したこの三人の博士達は私たち皆の代表だ。博士達の姿に私自身を重ねてみる。彼らの姿は主を礼拝する者の原型のような気がした。神の前に謙遜にひれ伏し、喜んで献げ、神の恵みに満たされる。こういう礼拝に心から憧れる。
 年の初め、顕現日を覚えて祝うこの幸いに感謝!

2019年12月29日日曜日

さわやかに This is my mission と言う

 テネシー州にいた頃、車好きの友人Rの家に行くと、中古車を修理していた。当時、経済的に困窮していた母子家庭の母親に車を提供するためだ。かなり年代物の中古車を安全に乗るには数々の部品を取替て修理しなければならないところが山とある。
 庭先に置いた車の下から仰向けのまま顔を出して、彼は明るい声でいった“Hi! Hiro, This is my mission.”(やあ、ヒロ(私の呼び名)、これは僕の宣教だよ)。
 彼は奉仕とかボランティアワークとか言わずに「ミッション」と言ったのだ。キリスト者には「これは私の宣教」というものがある。奉仕して、爽やかにThis is my mission と言う。いいなー!

2019年12月22日日曜日

メリー・クリスマス

 この季節、シュトーレンを探すがマーケットのどこにも見当たらない。今まではドイツからの輸入のシュトーレンが山と積まれていたのだが・・・はて?
 そういえば、今年湯河原はまったくと言っていいほどクリスマスの雰囲気がない?クリスマスソングも聞かないしクリスマスツリーも見かけない。クリスマスグッズの代わりに正月グッズが場所を締めている。
 もしも、巷にクリスマスが無いとなれば、それこそがチャンス到来!この際だから声を大にして言おう。皆さん、クリスマスは教会で祝いましょう。クリスマスの讃美歌を教会で歌いましょう。すべての人の救い主が降誕されました!メリー・クリスマス!

2019年12月15日日曜日

「喜びの2乗だ!」

 アドベントの第3週、今日から喜びの主日が始まる。アドベントクランツのロウソクは伝統的にバラ色も用いられる。喜びそのものである主イエスを、ワクワクして待つ喜びとで、今週は喜びの2乗だ!
 昨日のクリスマス・チャリテ―・コンサートは楽しかったー!こんなに様々なグループをよくまとめ上げたものだ!クリスマス合唱団、子どもやシニア世代のコーラス、そしてプロの演奏家やプロ歌手と・・・。
 歌手、演奏者、コーラスの方、聞きに来てくださった多くの方々、そしてこのコンサートを裏方で支えた方々、皆さんに感謝。みんなで喜びを分かち合えた。

2019年12月8日日曜日

ハレルヤ!

 ルーテル小田原教会では今日、一人の方が洗礼を受けられる。ふと、40年以上前の自分の受洗の時を思い出した。
 「踏み迷うとも大道を外さず。ただ主にありて。ただ主にありて」。恥ずかしながらこれは大学生の頃、受洗記念に頂いた聖書の扉に書き記した自分の言葉だ。あれからずいぶん時がたった。踏み迷うこと、いくたびか!だが、この時の気持は今も変わらない。
 さて、洗礼を受けられる方は80歳に近い。前任牧師から引き継ぎ7年になる。イエス様との出会いは十代の頃という。諸事情から教会生活は途切れ途切、いわば点線のように繋がって来られた方だ。その歩みを主は祝福された。今日救いが彼女に訪れた。ハレルヤ!

2019年12月1日日曜日

壁を崩すために

 さざんか梅雨が止んだとたん、文句なしの冬晴れとなった。酒匂川の堤から眺める雪の富士山が、空の青を背景にまるでバタークリームでデコレーションしたみたいに真っ白だ。てっぺんのギザギザがあまりに見事なので、運転しながら見とれてしまった。
 カーラジオからベルリンの壁崩壊30年のニュースが流れてくる。「人々を排除し、自由を制限する壁はどんなに高くても崩すことができるが、憎しみと不満からできた壁は築いた自らが崩すしか無い」。旧東ドイツの人々の中にできた新たな心の壁、怒りと不満の壁だ。
 主は、目に見えない私たちの中の壁を崩すために生まれた。希望のうちに御子の御降誕を待ちたい。

2019年11月24日日曜日

主の問いかけ

 教会暦では今日は年間最後の主日。12月1日からいよいよ御子のご降誕を待つ待降節(アドベント)を迎える。キリスト教会の新年は来週がスタートとなる。
 誰もが多忙になる季節に入るが、御言葉に養われ、愛の心配りを他者にしながら心豊かにクリスマスを迎えたいと願う。
 最終主日の今日、「終末」について主の御言葉を聴く。
 私たちの人生にも必ず「終わり」が待ち受けている。その終わりに向かってどう生きるか、今日の福音と、主イエスの生き方はわたしたちに問いかけてくる。
 誰にとっても挑戦だが、偉ぶらず、話を盛らず、謙遜に主の前に誠実でありたい。

2019年11月17日日曜日

実は私もなんです!

 小田原からの帰り道、前を行くバイクに近づいた。対向車線は車の列。追い越したいがチャンスがない。
 50ccのカブに股がったバイカーは、何と、レッドブル・ホンダのジャンパーに、ロゴのステッカーがペタペタつけてあるヘルメット姿だ。
 急に親しみを感じた。「あなた、F1のファンでしょう。実は私もなんです!」と、心のうちに語りかけた。内緒だったがホンダF1の密かなファンだ。そして、何よりホンダの健闘に心をおどらしている。
 バイカーはシニア世代に見える。一定速度を守って道路端を疾駆する誇り高い50ccカブに敬意を表す。フィットの私は抜かずに従った。

2019年11月10日日曜日

天を見上げて

 この秋は15号と19号という2つの強烈な台風に見舞われた。つい先々月と先月の出来事だ。千葉県や長野県を始め各地に豪雨を降らせて大きな被害をもたらした。
 被災者の味わった苦痛と今も続いている困難に少しでも寄り添いたい。JELC本教会が連帯献金を呼びかけている。今回も、祈りと献金をもって被災された方々に寄り添うことができればと願う。
 おかげさまで、この湯河原は無事だった。山麓に色づく蜜柑を眺める。今年も収穫の季節を迎えられたこと、主日から主日へ御言葉三昧の日々を送れた幸いに感謝。天を見上げると、胸のすくような高い青空だ。
 さあ、どうだ!と言わんばかりの秋の空。

2019年11月3日日曜日

新米の向こうに

 もう田んぼの刈り入れは終わっただろうか?昔は収穫後の田んぼではよく籾殻や藁くずが燃やされていた。くすぶる煙の臭いに郷愁を誘われたものだった。
 先日、新米を買って食べた。うまい!炊きたてのご飯から田畑の風景や農作業を思い起こすのは至難の技だ。だが、米の袋には田んぼを背景に生産者の写真が印刷してある。この人達が作ったんだなぁと思った。 
 私などはつい腹を満たすため「俺と飯」になってしまう。これが習慣になっていれば、やはりまずい!
 ときには、農作業や雨の日、風の日を通して働いてくださった神さまに気づくことも大事だ。美味しさもまた、そういうゆとりの中にある感謝かもしれない。

2019年10月27日日曜日

トリック オア トリート!

 ず〜っと以前、長男を連れて行った米国で初めてハロウィーンを経験した。衣装の用意がなくて慌てて浴衣を着せてご近所を回った。満面に笑みをたたえたご老人たちがキャンディをトリートしてくれた。
 いつしか立場が変わりハロウィーンの夜は迎える側になった。庭の木々に人工の蜘蛛の巣をかける。玄関のジャック・オー・ランタンに火を灯すと、「歓迎!」のサインになる。そして黒ずくめの魔法使いに変装、キャンディを用意して小さい子どもたちを待った。
 夕暮れ、大人に連れられてお姫様やお化けに変装した子ども達がやって来る。「トリック オア トリート!」・・・昨日のことのような温か〜い思い出。

2019年10月20日日曜日

これこそが要だ

 主イエスは「神の国はわたしたちのただ中にある」と言う。そして身近な材料を用いて実にユーモアとウィットに富んだたとえ話を創作し、自らそれを語る。今の世界が過ぎ去らなければ新しい世界はやって来ないという終末論的な「神の国」の宣教とは一味違う。
 今日のたとえ話は神を畏れず、人を人とも思わない不正な裁判官が、訴えてきた寡婦を助けるという話だ。
 このたとえの意外性は、裁判官が彼女のために便宜を図ってやったその理由にある。うるさくてたまらないという人間的理由によって弱い立場の寡婦は救われたのだ。裁判官の胸の内など誰が知り得よう!「諦めず祈る」は無駄ではないどころか、これこそが要だ。
(ルカによる福音書18章1〜8節)

2019年10月13日日曜日

静まれ!

 近年にない大型台風の来襲に危機感が強まる。私も今回はさすがに定番の防災グッズをゲットした。
 一ヶ月前の台風では長期の停電と断水が起きた。通信手段の確保のために早速、乾電池式モバイルバッテリーを買いに電気店へ。しかし、売り切れだ!やむなく車から電源を取るアダプターを購入して帰ってきた。
 今朝、教会の周りにある諸々のものを教会の玄関と裏口につぎつぎに取り込む。断水に備えて水も汲み置いた。自然を相手に十分などということは到底ありえないが、できることはやったように思う。
 刻々と入ってくる台風情報に不安がます。しかし、心を沈めて祈る。「静まれ!」との主のみ声を聞く。

2019年10月6日日曜日

からし種ほどの信頼でいい

 十字架に向かう主イエスの旅は今日もエルサレムに向かって一歩一歩進んでいく。最後となるエルサレムへの道すがら主は弟子たちに言われた。「からし種ほどの信頼でいい。あとは神が働いてくださる」。
 からし種は胡麻つぶとほぼ同じ大きさの種だそうだ。だが、いくら小さくても種は種。種がなければ芽は出ない。さて、困った!からし種はどうしたら調達できるのだろうか??
 種まく人である主は言われる「安心しなさい、種はすでに蒔かれた」。そして、主は今まさに私たちに水を与えてくださる。「路傍に蒔かれず、岩地に枯れなかった良き芽生えとなれ!」と慈しんで育ててくださる。

2019年9月29日日曜日

ヒガンバナの賛美

 小田原教会の掲示板の下にいつの間にか彼岸花が咲いた。こちらは全く世話をしないのに毎年この季節になると咲く。スクッと空に向かって両手のように伸びた赤いその姿が主の恵みと栄えを賛美しているようだ。
 さて、我が家の庭にも?と見るが一輪もない。例年だと彼岸花がいっぱい咲くのだが、夏の終わりに雑草と一緒に球根までも掘り起こしてしまったらしい。雑草、そのままでよかったかな・・・と今にして思う。
 何もしないほうが良いときがある。何もできない時すらある。だが、いつでも、どんなことにも主に信頼を置いて感謝して生きてゆく。さあ、赤い彼岸花のように両手を天に向かって上げる。主よ、感謝します!

2019年9月22日日曜日

普段が不断であるように

 やっと一息つけるようになった。何と言っても扇風機の風より自然の風は快い。我が家の猫たちも風通しの良い場所を見つけてそれぞれのんびり過ごしている。こんな穏やかな日々があることが心底ありがたい。
 先日のこと、末猫のメルがまた行方不明になった。今度は4日ぶりに飛び込むように帰ってきた。いたずらでお困り猫だが、皆んな揃ってこそやっと落ち着ける。
 普段が普段どおりであることのありがたさは知っているつもりが、こんなことでもなければつい忘れる。
 「普段」は「いつまでも続くこと」という意味で、本来は「不断」と書くそうだ。こんな当たり前のような日々も暗雲に閉ざされる日々も主の恵みの中にいると知る。

2019年9月15日日曜日

分け合って食べる

 こんな言葉に出会った。「『共に食事をすること』が、一緒に食事をする人同士の絆を作り、確認し、深めるものであることは、ほとんどすべての民族・文化に共通することだ。食べ物を独り占めせずに、分け合って食べるというところに、人と人とのもっとも基本的な『共に生きる姿』がある」。
 主は今日も社会からはみ出されてしまった徴税人や罪人を招いて一緒に食事をする。彼らは見失われた羊、見失われた銀貨だ。社会が受け入れないこれらの人達との食事は主イエスの生き方をよ〜く示している。
 私も見失われた羊か銀貨だった!救われたありがたさが身に沁みる。パウロの宣教の原動力もこれか!

2019年9月8日日曜日

くも

 「くも」という詩がある。“空が青いから白をえらんだのです”これは奈良少年刑務所の受刑者の一人である
A少年が書いた詩だ。
 日頃寡黙な彼が語った。「お母さんは病院で『つらいことがあったら空を見て。そこにわたしがいるから』と僕にいってくれました。それが最後の言葉でした。お父さんは体の弱いお母さんをいつも殴っていた。ぼく、小さかったから何もできなくて…」。彼は青空を見て、まっ白でふわふわのおかあさんを感じている。
 朝夕に涼風の感じられるこの頃、青空に綿のように白い雲が浮かぶのを見ながら、たった一行に込められたAくんの思いの深さを知ったような気がした。

2019年9月1日日曜日

天下無敵のオシロイバナだ!

 教会の横の道ぎわにある電柱と地面の隙間からオシロイバナが自生して3ヶ月ほどになる。威勢よく茂って黄色い花がいっぱい咲き、さわやかな花蜜の香りが漂う。
 こんなわずかな隙間からよくもまあ…と思うとチョット感動的だ。きっと、アスファルトの地面の下には想像以上に潤沢な水があるに違いない。
 全く野放図に茂っていて、少々通りの邪魔になるのではと思うが、枝を折ったりする人もなく、枝を轢いて行く車もない。天下無敵のオシロイバナだ!あれはあれで通りゆく人も驚き半分で眺めているのかもしれないな。
 直径3ミリに満たないコロコロ種をこんなところで育てるなどとは、やっぱり神の業に相違ない!

2019年8月25日日曜日

はじめの一歩は

 昨日、8月恒例となった「平和を想う集い」で、沖縄で生まれ育った岡田和枝さんが謡三線にのせて語った平和への想いは生の声だった。私たちは基地の島の抱える重荷を少しでも荷なわなくてはなるまいと思った。はじめの一歩は聴くこと、知ることから。
 また、平和のメッセージで紹介された日野原先生の言葉が印象的だった。国同士の争いと子供同士の争いは実は同一線上にあるという。全くだ!これこそキリスト者の視点だと深くうなずく。
 晩年の日野原先生は「命の授業」で子ども達に「ゆるす」ことの重要性を訴えた・・・仕返しではなく、どうしたらゆるす事ができるのかを考えてほしいと。

2019年8月18日日曜日

浦島太郎のような時を過ごした

 休暇をいただいて、米国ワシントン州に住む二女のところへ行って戻ってきたら、まるで浦島太郎のよう。
 たかだか一週間なのに、現実に適応するのにちょっと時間がかる・・・・留守中の手紙を開く…信徒さんが「帰ってきた?」と顔をだしてくださり…滞っていた電話をかける少しずつ現実に戻される。
 留守の間ご近所の方々にお世話になり、猫たちも教会の庭の花々もみな元気だった。この度は、ご近所の助けがなければとても実現しない休暇だった。ここに住んで7年目という年月を実感した。
 休暇中、暫し何もかも忘れて解放された。ああ、浦島太郎のような時を過ごしたなぁ〜。感謝だなぁ〜!

2019年8月11日日曜日

主よ、感謝します。

 米国に住む二女ところにやって来た。シアトルから車で北へ一時間、州都オリンピアの郊外についた時、針葉樹の間を吹き抜ける涼やかな風が吹いていた。
ここは日本の暑さとは程遠い涼しさだ。日本での流れるような汗の日々のことを思えば、この涼感はまるでヘブン(天国)だと思った。
 今朝、庭に出てハーブのルッコラを摘んだ。地元の燻製サーモンとクリームチーズ、それに娘が焼いたパンでサンドイッチを作った。コーヒーと一緒に朝食。
  週末には長男夫婦もやって来る。日曜日にはそろって教会だ。礼拝堂に腰掛けて主のみ言葉と聖餐にあずかるこの幸せ!この喜び!主よ、感謝します。

2019年7月28日日曜日

主はにこやかに笑って

 先週末、カンナの葉っぱに蝉の抜け殻1個を見つけた。そして気がつけば、海岸線から眺める海や空や雲の色合いも急に夏の色に変わっている。いよいよ夏到来、これから一気に暑くなりそうだー!
 さて、この夏の暑さをクールダウンさせてくれる主のみ声が今日も注がれていることを我が心に刻む。
 イエス一行を迎えて忙しく立ち働くマルタのヒートアップが想像される。しかし、「マルタよ、マルタ、まあ、ここにおすわり。そんなに頭にきてはいけないよ。先ず、私の言葉に耳を傾けて・・・」と主イエスはにこやかに笑って言われた気がする。主の微笑みを見てマルタはハタッと我に返った。ホッとした!!

2019年7月21日日曜日

希望はいつも天にある

 このところ叔母の様子が少し変わってきた。朝から眠ってしまうらしい。食事の後ばかりか、食事の最中にも。食事の量がこれまで半分になってきたそうだ。
 「いつまでこうしていなきゃならないのかしら」と叔母が言う。「みんなが、叔母さんが元気にしてくださっていることを励みにしています」と答える。叔母が言う、「そう、それならもう少し頑張らなきゃね。皆さんにお祈りありがとうと、伝えてください」。
 主、我を愛す 主は強ければ 我、弱くとも恐れはあらじ・・・叔母と共に賛美と祈りを捧げる。恐れはない。御言葉はいつも叔母の近くにあり、叔母の口、叔母の心にある。私たちの希望はいつも天にあるのだから。

2019年7月14日日曜日

感謝の張り紙をだす

 帰ってくると、いつも「おかえりなさーい」と出迎えるはずのやんちゃ猫メルの姿がない。結局、翌日になっても帰ってこなかった。メルの初めての家出だ。
 心配ばかりするよりはと「迷い猫」の張り紙をだす。ご近所の方々が張り紙の前で足を止めて行く。そのメルは二日目の夜に突然帰ってきた。主に感謝!
 次の日、メルを見て「帰ってるよ、ほら!」と指さして通る人達。わざわざ車を止めて、「戻って来ましたか?」と尋ねてくれる方。有り難いな〜。
 我が家の“お困り猫”を皆さんが気にかけてくださってと、人の暖かさにも感謝した。早速「戻って来ました。ありがとうございました」の張り紙をだす。

2019年7月7日日曜日

ホウジャクだとわかった

 この季節、夜ともなると今までになく大きな蛾が飛び込んでくる。どうやらスズメガらしい。はて?このあたりの樹木の環境の変化だろうか。
 そういえば、先日、庭木のあたりで一瞬ホバリングしていたかと思えば、ものすごいスピードで目の前をビュ〜ンと横切って飛んでいく小さな飛行物体を見かけてポカンとした。まさかハチドリがいるわけはなし、蝶にしてはスピードが凄すぎる。後から昼行性のスズメガの一種、ホウジャクだとわかった。
 さて、今夜もいつの間にか壁にひっそりとスズメガが静止している。猫に気づかれぬよう、そっと忍び寄る。家人のレスキュー癖に私も感染したようだ。

2019年6月30日日曜日

茶目っ気たっぷりに

 聖書は多くの場合主の表情も声の調子も伝えない。
 「あなたは足を洗う水もくれなかった…あなたは接吻の挨拶もしなかった…あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかった…」と、主はファリサイ派のシモンに向かって罪深い女の愛の奉仕を引き合いに出す。
 が、叱責ではない。このとき、主はシモンに向かってちょっと茶目っ気たっぷりにウインクしたのかもしれないな。そんな想像をしながら聖書を読む。
 主イエスは「赦されて愛する」事実と「愛のあるところに赦しがくる」事実の双方に目を向けさせる。
 シモンはこの後きっとこのことに気づかされたに違いない。そうだ、きっとそうに違いない。(ルカ7:36〜50)

2019年6月23日日曜日

共感の泉は主より

 ナインの寡婦の絶望は想像するには余りに辛すぎる。しかし、主はこの寡婦の悲嘆に寄り添ってくださった。私たちは必ずしも共感が得意だとは言えないが、共感の泉は主より流れるのだとつくづく思わされた。
 金曜日、小田原教会に行ってみると、玄関にハーブの小さな束が置かれてあった。新鮮な緑の葉や目も覚めるような紫色の花から爽やかな香りがしている。「必要な方に」とのハーブの届け主のメモが添えられていた。あの方に、お届けしよう!とすぐに思った。
 帰り道、ハーブをお届けする。ハーブは共感の香りだ。香りがキリストにある家族をいっぺんにつないでくれた。香りで共感、なんていいんだろう!

2019年6月16日日曜日

この足元にも

 梅雨に入った。今年の梅雨はいわゆる6月のシトシト雨であってほしい。田植えの田んぼにカエルが飛び跳ねていたことや紫陽花の葉にでっかいカタツムリが這っていた子供の頃の梅雨の風景を思い出す。
 昨今、気候変動が私たちの近未来に警鐘を鳴らす。眼の前に緑の芝生は広がったが昆虫はいなくなった。牧師館の周囲でカタツムリも雨ガエルも見なくなったし、バッタもハチすらもすっかり姿を消した。
 幸いなことに我が家の庭にトカゲだけはまだ住んでいる。慌てて逃げ隠れするトカゲを踏まないように、脅かさないように自転車を出し入れする。神の恩寵であるこの世界はいま私の足元にもあるのだから。

2019年6月9日日曜日

ハッピーバースディ ディア チャーチ

 「るうてる」の6月号を読んだ。「使徒言行録」は28章で終わっているが、その後2000年間にも渡って使徒言行録が続いているという。そして、改めて私たちもその後に続くのだと言われてみて、はっとする。
惜しみなく奉仕をして「私も使徒のはしくれですから!」とよく言っておられた方のことを思い出した。
 聖霊に突き動かされて初めて生身のわたしという人間は自分の脳みそを離れて飛躍できると知る。脳みそは「損得、勝ち負け、正しいか間違いか」にこだわる。
 今日は聖霊降臨祭、“ハッピーバースディ ディア チャーチ♪♫”。明るい希望の中にも十字架を背負って従う使徒の生き様が迫る。

2019年6月2日日曜日

ようこそ

 先週の土曜日、久しぶりに友人夫妻が訪ねて来てくれた。4人で会うのは6年ぶりだろうか。昔、同じ教会で一緒に奉仕をしてきた間柄だ。お互いに紆余曲折があって、今はそれぞれ所属教会が違う。しかし、今でも私たちはお互いに信頼で繋がる友人同士だ!
 さて土曜日、説教のことがチラチラ頭をかすめる。食事は外食にし、お茶を家ですることにした。全く片付かない我が家だが、座る場所を作ろうと作業机にしている食卓テーブルの上の本も紙類も片付けて、大わらわで掃除にいそしむ。「友あり遠方より来る、また楽しからずや」だ。さて友人到来。汚す張本人の猫達は「ようこそ」とばかりすり寄って行く。

2019年5月26日日曜日

ふっと感謝が溢れる

 「聖書を読む時の秘訣は2000年の壁を透明にすることだ」とはキェルケゴールの言葉だ。
 そうか!主イエスが語り、わたしがここで聞いている。主と私とはその場所に一緒にいるのだ。聖書はそういう同時性において読むのであって、2000年経った今の目で読むものではないと気づかされる。
 そういえばもうじき主の昇天日だ。この40日間、復活の主は私と一緒にいてくださったなぁと思った。人の話を伺う時、また問安の道すがら、そして掃除や料理の手伝いをするとき・・・ふっと感謝が溢れる。
 多忙である。しかし全く孤独ではない。こんなにも主と一緒にいられる毎日だから。

2019年5月19日日曜日

枇杷の実を採らせて

 兄弟教会での夕方のこと、突然5人の子どもを連れて二人のお母さんが来た。お母さんの一人は2年前に1度礼拝に来た方だ。若い人を迎えた喜びで昼食や茶菓でも大歓迎した。それを覚えていて今日は教会の枇杷の実を採らせて欲しいという。何とたくましい!
 だが、枇杷の実のオレンジ色はまだ浅い。「来週にいらっしゃい」というと高枝用のハサミを持って来ると言う。採る時間を聞かれたので「それなら礼拝からいらっしゃい」といった。礼拝後に教会のみんなと枇杷を採るのは主もお喜びだろう。枇杷繋がりもいい!
 夏のような暑さの中、家人がカルピスを出すと飲み干して「生き返りました」とニコニコ帰っていった。

2019年5月12日日曜日

天からの恵みの分かち合い

 「うちで実った甘夏です。皆さんでどうぞ」今年も教会家族のお宅で実った甘夏を届けてくださった。ゴールデンカラーに輝く甘夏は初夏の果物だ。
 この時期まで畑の木で実った甘夏は酸味が少なく、すこぶるジューシーだ。大きいものを計ってみると700グラムをゆうに超える。こんなに大きな実をつけていたら夏蜜柑の枝はさぞ重かったろうに・・・。
 「兄弟教会にもどうぞ」と言ってくださって、深く感謝した。これこそ恵みの分かち合いだ!トパーズ色の香気が立って、幸せが何倍にも膨らむ。
 教会の昼食後に、そして皆さんのお持ち帰りに、「天からの恵みの分かち合い」の甘夏をどうぞ。

2019年5月5日日曜日

神に捧げられる良い香り

 夜7時過ぎ、散歩に出てみた。日中は汗ばむ程の気温であっても日が沈めば空気はヒンヤリしてくる。その空気を通ってふいに良い香りが漂ってきた。リラックスする香りだ。深く息を吸ってみた。落ち着く。
 多分、あれはミカンの花の香りだと家人は言う。「他の花もいい匂いがするのよ」と、家人に促されて匂いを嗅ぐ・・・確かに!スイートピーは甘い香り、スミレも地味だが何気に良い香りがあるのだと知った。
 さっきの香りの主、姿は見えないが気高い香りは小さな白い花々の存在を思わせてくれた。ふと、「わたしたちはキリストによって神に捧げられる良い香りです」とパウロが言っている言葉が思い出された。

2019年4月28日日曜日

いつの間にか

 二人の弟子はすっかり希望を失ってエマオ村への道をトボトボと歩いていた。いつの間にか復活のキリストが彼らに近づき共に歩いている。彼らは少しずつ生気を取り戻し目は輝き始め、心は燃えた。
 人間には心と体とその上に精神という力があると言うのはアウシュビッツ強制収容所から生還した精神科医ヴィクトール・フランクルだ。精神は生まれながら誰にも備わっている空の器のようだという。
 たとえ、私たちの心や体が病んでも精神は病まない。精神が外からの愛の力に与るとき、私たちは生きる意味を見出し、響き合い、他者のために生きる力を得る。日々、復活の主と出会って、心は温かい!

2019年4月21日日曜日

春爛漫のミッションワーク。

 いのちの春にキリストは復活された、ハレルヤ!
 真っ赤なスイートピーが届けられた。ご不自由な身体のため礼拝に与れないないご主人をお世話される奥様からだった。「昨年、教会の庭のスイートピーの種を頂いたので植えたら、こんなに咲きました!」。
 教会の花つながりもイエス様つながりだ。教会に足を運んでくださるなんて、思いがけず嬉しい!
 黄色の菜の花、色とりどりのアネモネとチューリップが咲いている。そして、今年もスイートピーがぐんぐん蔓を伸ばして紫とピンクの花がつき始めた。
 眺めながら人が通る。「いいね、きれいだなー」って。教会の小さな庭は春爛漫のミッションワーク。

2019年4月14日日曜日

臨終の時にも

 あの日、ゴルゴダの丘には三本の十字架が立った。主イエスの左右に、十字架にかけられた二人の罪人。
 そのうちの一人は十字架上で救いに目覚め、パラダイス行を確約された最初の人。犯罪者と言う罪人も当然救われるその人なのだ。カトリック教会ではこの罪人に聖ディスマスという名がつけられ、犯罪者の守護の聖人となっているというから感心してしまう。
 私自身はというと、はたして死の間際に自分の姿をこの罪人に重ねることができるだろうか?「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と乞う信仰を・・・と願う。
 「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる」ああ、臨終の時にも主のみ言葉がともにある。

2019年4月7日日曜日

圧倒的な神の業

 今年も桜が満開になった。昨日も小田原からの帰り、桜並木の道を通ったばかりだ。
 あの桜の満開の様子は実に美しい。どうしてあんなに美しいのか!なぜこんなに喜ばしいのか!それはもう、圧倒的に神の業だからだ。
 誰かが満開の桜をつくったわけでも、誰かが咲かせることができるものでもない。しかし、桜は時が来ると「せ〜の!」と一斉に咲く。面白いし不思議だ。
 桜の木が、それぞれ「自分は栄養たっぷりだから早く咲く」とか、「自分は寒さが苦手だから遅れて咲く」などと言うことはないんじゃないかな?大自然が咲かせている。神の業は見事だ!

2019年3月31日日曜日

晩年の放蕩息子

 「今の俺、俺は俺でもこの俺は、彼知りし後の俺でない俺」このように色紙に書いてくださったのは牧師であり神学者であった渡辺善太先生だった。
 若い時は大酒飲みでさんざん道楽の限りを尽くしたという先生は、イエス・キリストに救われて人生が一変した。その後の人生をキリスト教伝道に捧げられた。
 私はひねくれ者の中学生だったころ、先生にお会いしたことがある。ずいぶんご高齢だったと思うが、優しい目と、豪快な笑い顔を覚えている。その日、自分が、救われて、回心した晩年の「放蕩息子」に出会っていたことを思った。受洗記念の聖書に「踏み迷うともこの道を行く ただ主にありて ただ主にありて」と記した。

2019年3月24日日曜日

涙するほど有り難い

 主人は園庭に言う「実のならないいちじくの木は土地の無駄だから切ってしまえ。土地は有効利用すべきだ」。それは合理的でもっともな考え方だ。それなら最初に切られてしまうのはこの私かもしれないと思う。
 しかし、園庭は主人に向かって懇願してくれる。「肥料をやってみるから切るのは待って。来年、実がなるかもしれない。」この園庭の温情は涙するほど有り難い。
 しかしこの木、次の年も実を付けられないかもしれない。それでもこの園庭は肥料をやるので来年まで待ってと懇願してくれるに違いない。そして翌年も・・・。
 わたし達はこの園庭の辛抱強い親心に育てられているいちじくの木だということを溢れる感謝で思う。

2019年3月17日日曜日

主よ、憐れんでください

 緑が萌えいでたばかりのパレスチナの路傍に盲人は座って物乞いをしていた。行列の足音が近づいてきた。
 ナザレのイエスの一行だと聞くと、彼の心にひらめくものがあった。「ダビデの家系に一つの芽が出る。その上に神の霊が宿る。その日、光は上る。盲は見え、足萎えは立ち・・・」そうか、彼こそ来るべき者だ!
 盲人は叫びだした。「ダビデの子よ、憐れみ給え!」主は、この叫びに彼の信仰を認められた。彼を神の国を「見る」者とされた。
「主よ、憐れんでください」と叫ぶ者を主は必ず救われるルターは「私は神の乞食」と言った。「主よ、憐れんでください」。この言葉をしみじみと味わう。

2019年3月10日日曜日

40回の感謝はどうだろう

 四旬節が始まった。キリスト者が四旬節に断食や節制をするという習わしは主イエスの荒野の体験にさかのぼる。自分たちも主の断食と祈りの体験に倣いたいという思いから自然におこってきたものだ。
 私たちはどうしても日々の必要に迫られ、この世の力を求め、誘惑され、心を奪われてしまう。目先のことや身近なものの向こうにある神の国を望むことが苦手だ。主に委ねて楽になってみると魂の目が開く。
 私たちは何と多くの赦しをいただき、助けをいただき、恵をいただいていることか!だから、四旬節は恵を分かち、感謝を数えて過ごしたい。一日1つでも40回の祝福、40の感謝っていうのはどうだろう?

2019年3月3日日曜日

チラッと見えた

 主は、ご自分が時の権力者たちから排斥されて殺されるとペトロたちに告げられた。ペトロたちの不安と恐れは次第に大きくなっていったに違いない。
 その暗闇に光を放つため、主はペトロたちを連れて祈るために山に登られた。ペトロたちがそこで見たものは、主イエスの輝くばかりの御姿である。 
 暗闇を見つめて不安に頭を垂れる私たちに、主は天に風穴を開けて、天国の栄光をチラッと見せてくださる。救いは私たちの頭の中にあるのではなく、上にあるのだ。頭を起こして、天を見上げよ!主を見上げよ!きっと、安心・・安心・・ああ安心・・・聖霊のささやきが聞こえてくる。

2019年2月24日日曜日

快挙だ!

 はやぶさ2が小惑星リュウグウにタッチダウンして、土の塵や石を採集するのに成功した。快挙だ!
 リユウグウは46億年前にできた太陽系初期の情報を多く保っていると言われている。地球に生きる私たちのような生命を造る元となった材料がどんなものであったのか?その謎を解く手がかりがつかめるかもしれないという。リュウグウには生命の源となる有機物と水の存在が予想されているからだ。
 「地下から湧きでた水が土の面をすべて潤した。神はその土の塵で私たちを造った」と聖書は言う。生命の材料は塵と水!聖書はそこに神の息を加える。創造の不思議に科学は畏敬を持ってまた一歩近づいた。

2019年2月17日日曜日

落っこちたなら

 ブリューゲルの描いた絵画「盲人が盲人の道案内をする寓話」の写真を見た。てっきり二人だと思っていたが、ブルーゲルはそこに6人の盲人を描いていた。
 先頭の一人はすでに水の溜まった溝に落っこちている。2番目は危うく落っこちる寸前である。3番目は両足が爪先立って、すでにバランスを崩している。4番目は危険を察知したかのような顔つきだ。5番目と6番目はまだ危険に気づいていない。
 導く盲人も、導かれてゆく盲人もこの私自身だ。自分に頼る限り、6段階の危険のどこかに私はいつもいるのではないだろうか?だが、落っこちたなら、なりふり構わず叫ぶ。「主よ、お助けください!」と。

2019年2月10日日曜日

あのひと時は

 インフルエンザの流行で問安を諦めていた先週のこと、久しぶりの方々が訪れてくださった。
 どの方もこの曜日、この時間なら牧師はいるに違いないと、私の予定を知って来られた。中には「電話がつながれば来る。もし、つながらなければ諦めよう。それは神の時ではないからだ」と、賭けをするような気持ちの方もおられた。教会への電話はいつでも牧師につながることの大切さを改めて思う。
 どの方もキリストの暖かさに触れたくてこられた。しばし、お話に耳を傾ける。折しも季節は一番寒い時だ。外気は冷たい。主と共に、一杯のお茶で過ごしたひと時は、あなたを暖かく包んでくれただろうか・・・

2019年2月3日日曜日

きっと見いだせるに違いない

 「青い鳥はどこにいるの、青い鳥さえ捕まえられたら幸福になれるのに」。チルチルとミチルの兄妹は幸福の青い鳥を探して旅に出る。青い鳥は手に入らない。しかし、自分が飼っていた鳥が青い鳥だったと気づく。幸福は身近なところにあるというメーテルリンクの示唆に富んだ思想だ。
 わたしも幸いを求めて、「キリスト」にお会いすべく旅に出る・・・ちょっと、カッコイイ!
 火や水や光の精、イヌやネコと一緒に「キリスト」を探す旅に、さあ、出かけよう!
 私たちの只中に、もっとも小さくされた者の中に、きっとキリストを見いだせるに違いない。

2019年1月27日日曜日

決して徒労に終わらない

 一年で一番寒いこの時期、「は~るよ来い、は~やくこい!」と、春の来るのが待ち遠しい。
 我が家の外には一匹の地域猫が住み着いている。冬の寒さは外猫には厳しい。このところくしゃみと鼻水で可愛そうだと、早速ホッカイロを買い、猫ハウスに入れてやる。心なしか鼻水が止まったようだ。
 猫ばかりではない。庭のすみれは寒さに耐えて花をつけ、菊の花も霜枯れした葉っぱの中で「まだまだ」っと頑張っている。春を待つ、祈って待つ・・・。
 待つ心は、どこか信仰に通じている。「おことばですから」と従ったペトロにおびただしい魚をもって応えられた主を待つ。宣教は決して徒労に終わらない。

2019年1月20日日曜日

フットワークが良くなってきたぞ

 主イエスが故郷のナザレで福音を述べる。すると人々は「この人はヨセフの子ではないか」と言う。つまり、彼はこの村の大工ヨセフの子だから、彼が何者なのかを我々は知っているというのだ。
 固定観念と先入観は枷となって彼らの心を縛る。せっかくの恵は彼らから遠ざかってしまった。
 「自分は知っている、わかっている」と思うようになったら黄色信号かもしれない。知らないこと、知りえないことは多々ある。「決めつけない」と自戒する。
 この固定観念と先入観という枷を主イエスは打ち砕いて自由の身にしてくださる。フットワークが良くなってきたぞ。この軽さよ!この恵よ!

2019年1月13日日曜日

「見よ、わたしの僕を!」と

 今日は主イエスが水と聖霊による洗礼を受けられた日だ。主の洗礼は、主と同じ洗礼を受ける私たちをも「神の子」としてくれる。「見よ、わたしの僕・・・わたしが選び、喜び迎える者を」(イザヤ書42:1)と天父は高らかに宣言される。
 いただいた年賀状に「人生100年時代になり、気合を入れ直して日曜礼拝に出席し、感謝と反省をしながら、健康で元気に過ごしたいと思います。・・・周りに迷惑をかけずに明るく、楽しく生活できることを願っています」とあった。実に明るく前向きだ。
 「見よ、わたしの僕」と迎えてくださる神の喜びがこの挨拶を通じて響いてきた。オッ、元気がでる!

2019年1月6日日曜日

ノックアウトされてしまった

 イギリスのロック・バンド、クイーンを題材とした映画『ボヘミアンラプソディ』はまさに感動的だ!
 特に、1985年のライヴエイドのクイーンの演奏を忠実に再現した最後の20分間は息がつまりそう。涙も出てきてしまいそう。ライヴエイドは「アフリカ難民救済」への20世紀最大のチャリティーコンサートだった。 
 彼は歌う。「母さん、たった今、僕は人を殺してきたんだよ…母さん、僕の人生は始まったばかりだったのに…」思わず引き込まれる。「僕なんて、生まれてこなきゃよかった…」痛々しい罪の告白、赤裸々な懺悔に心打たれる。母ならぬ天父の前に打ちひしがれるこの魂の純粋さに私は完全にノックアウトされてしまった。

2018年12月30日日曜日

お互いに感謝し合いたい

 キリスト者にとって新年はすでに始まっていますが、この一年の最後の主日にあたって、お互いに感謝し合いたいです。
 私たちは、もちろん完全ではありませんから、問題もあったでしょうし、身体も、心も限界を抱えていて、迷惑をかけ合ったり、ちょっと冷たかったりしたこともあったんじゃぁないかなぁ。
 しかし、この一年、主キリストが、この湯河原教会を守り、導いてくださった。これは事実です。
 そして、私たちのうちに聖霊が働いて、お互いに支え合い、祈り合って、今日を迎えているのも事実です。一年の終わりに、お互いに感謝し合いたいと思います。

2018年12月23日日曜日

光が広がっていく

 冬至に向かう日々、宵闇が次第に早くなっていって、闇の広がりを肌で感じる。しかし、そんな1年の最後の時期に、わたしたちはクリスマスを祝う。
 冬至を境にクリスマスの後は一日一日と光が広がっていく。クリスマスの日にちを決めた古代教会の人々は、こういう神がお造りになった自然の摂理をよく見定めたに違いない。
 「人間を照らす光」として、神のひとり子イエスさまがわたしたちの内に来られた。この光はこれから一日一日と広がっていく。
 ようこそ、暗闇を照らす真の光!おめでとうクリスマス!心からクリスマスをお祝いします。

2018年12月16日日曜日

恵みを数えられたらいいなぁ

 晴天の今朝、目の前に雪の富士山が突如現れた。小田原の巡礼街道のけやき並木が落葉したからだ。
 目に前の木々の葉が無くなって初めて、ああ、富士山はここから見えていたんだと気づいた。日常のこういう経験は、神様の恵みへの気づきにも通じている。
日々の生活の中に、恵みを数えられたらいいなぁ。
 「今年ももう終わるね。この一年、何をしてどう過ごしてきたんだろう?クリスマスがもう来るね。良いクリスマスが迎えられるといいな。争いは終わるよ、私たちが願いさえすれば・・・」。
 ジョンレノンとヨーコの「ハッピークリスマス」がしきりに思い浮かぶアドベントの3週だ。

2018年12月9日日曜日

主の三様の到来

 待降節第2週、クリスマスはもう目の前に。待降節はただ単にクリスマスの準備をする季節ではないと思う。「イエスが来られる」ことの意味を味わう時だ。
 「2000年前に来られたイエス」「世の終わりに再び来られるイエス」そして、日々の暮らしで最も大切な「今、私達の生活の中に来てくださるイエス」だ。
 ヨハネは今日、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と言う。「主の道」とはただ主が来られる道ではなく、私達が主とともに歩んでいく道でもあるはず。
 ひれ伏して思わず叫ぶ。「主よ、私の中の曲がった道をまっすぐに、凸凹道を平らにしてください!」。

2018年12月2日日曜日

愛猫ティティー

 猫のティティーが死んだ。まだ4歳半の短い生涯を可愛がられて走り抜けた。動物は罪を犯さないのでそのままで天国に迎えられる。だから葬儀も供養も要らない。
 ティティーは4年前の夏、お隣の庭で鳴いていた子猫だ。私は捕まえようと塀から落っこちて頭を何針か縫う怪我をしたあのときの子猫だ。魚が大好きで、よく魚を買ってきては食べさせた。腫瘍ができて入院手術。一時回復したが最近は殆ど食べられなかった。
 縁あって、ある寺で火葬をお願いした。初めて本堂に入った。私達はルーテル教会だと名乗って御坊さんとしばし懇談する。伽羅の香りの中、私達はティティーを本堂で見送った。主も共にいてくださった。

2018年11月25日日曜日

大失敗に苦笑したが

 洗礼を受けたばかりの若い頃、教会学校の小さい子どもを受け持っていた。ある時の聖書箇所が「終末」だった。子どもたちに「終末」をどんなふうに教えたらいいのか…?第一、自分自身がわかっていない。
 そこで、聖書を再現して話した。「太陽は暗くなり、星は天から落ち・・・」子どもたちは一心に聞いてくれた。話の後、子どもたちは「本当?そんなこと起こるの?」と不安そうに聞いた。聖書に書いてあるのだから嘘とも言えない。「本当だよ」と私は答えた。
 後日、子どもの親から電話があった。「子どもが怖がっている」と。当時は大失敗に苦笑したが、今ならわかる言葉で主の愛による希望の完成を語りたい。

2018年11月18日日曜日

真心ささげて

 この頃は日が沈むと、空気は途端に冷え冷えとしてくる。気がつけば牧師館の庭に白と薄桃色の混じり合った山茶花が咲いていた。山茶花は晩秋の花で今が盛りだ。このところ一足飛びに秋が深まったと感じる。
 この季節の変化に引き寄せられて、カレンダーを確認する。・・・11月もあと2週間か!すぐ目の前に待降節が始まり、そしてクリスマスを迎える。今年いただいた多くの気づきに感謝しながら、今年はどんなクリスマスを迎えようか・・・と思い巡らしてみる。
 貧しい我が身に余りある恵を数えた。できれば真心の感謝を捧げるクリスマスがいいな。この寡婦のように。私にとってのレプトン2枚。真心のレプトン。(マルコ12:41〜44)

2018年11月11日日曜日

もう待ったなしだ

 立冬だと言うのに、夏日となったというニュースだ。この夏の猛暑といい、気候変動が気になってくる。この冬は暖冬だと予想されているが、温かい冬は過ごしやすいなどと言って喜んではいられない。
 NHKテレビ、『クローズアップ現代』を見た。近年急速に海がプラスティックごみで汚染されてきているという。それも21世紀が始まってからのわずか18年間で、それまでの汚染の量を遥かに上回ってしまったという。それを知って、唖然となる。
 海洋汚染はもう待ったなしだ。とにかく自分にもやれることをしよう。そう決めた。これまでのマイバッグに加えて、マイバスケットを購入した。3個もだ!

2018年11月4日日曜日

花梨のミッションワーク

 私たちの兄弟教会である小田原教会には花梨の木がある。今年はなり年らしく見事な実をつけていた。
 先日のこと「こんにちは」と玄関で大きな声がするので出ていってみると、庭続きの梱包会社の方が立っていた。ちょっと緊張した面持ちで「こっちの庭に出ている花梨をもらってもいいですか?」と言われる。「どうぞ、どうぞ、遠慮なくお持ちください」と私。がっしりした体つきの彼の日焼けした顔がニコニコ!となった。母親へのプレゼントだろうか・・・?
 この方、でっかいコンテナを梱包しながら、漂ってくる芳香を楽しんでおられたのかもしれないな。ささやかな花梨のミッションワークがちょっと嬉しい。

2018年10月28日日曜日

みんな大好き ずっと大好き

 I姉妹の墓前礼拝のために吉祥公園墓地に行った。
墓地の中を歩きながらいろいろな墓石に刻まれた言葉が目に入ってきた。「絆」「憩」などの文字。中にはユニークなものもあって生前が忍ばれて微笑ましい。
 I姉妹の墓標には「みんな大好き ずっと大好き」と刻まれている。彼女が筆談で書き残した最後の言葉を拡大して墓石に刻んだと伺った。持続可能な環境作りに取り組んでいたI姉妹が、家族や多くの人に向けた感謝と愛のメッセージだ。
 いいなー!この言葉って、まるでイエス様の思いじゃないか!「みんな大好き ずっと大好き」。慰められる。そればかりか、生きる力が湧いてくる。

2018年10月21日日曜日

「義務」を選び取った方

 先日の久しぶりに晴れた朝のことだ。酒匂川の川沿いの道に入った途端、端正な雪の帽子をかぶった富士山が表れた。「おお、雪の富士山だ」このところ生憎の天気が続いていたので、それは突然だった。
 見れば、河原にはススキの白い穂もいっぱいだ。すっかり秋になったと、この夏の終わり、秋の初めの過ぎた日々も支えてくださった主の寛容を思った。
 ふと新聞で読んだ「与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく・・・」この言葉が思い出された。なんだか惹かれる。この方は自ら「義務」を選び取った。選び取られた「義務」は人を深める素敵なことだと思えた。

2018年10月14日日曜日

実は神様つながりの兄弟姉妹だ

 『ホモ・サピエンスの10万年史と日本人』というラジオ番組にハマった。聞けば聞くほど、旧約聖書の語る天地創世の物語がますます真実味を帯びてきた。
 我々の先祖である古代のホモ・サピエンスは現代人とほぼ変わらないという。彼らは洗練された文化を持っていた。彫刻をし、優れた技術と洒落たデザインの壁画を残した。高度な石器だけでなく、骨製のフルートなどの楽器を持ち、骨製の縫い針や釣り針も駆使した。
 彼らはアフリカで生まれ、次第に進化したというより、最初から素晴らしい能力を持ってアフリカを出て全世界へと拡散した。現代人のDNAは我々は実は神様つながりの兄弟姉妹だと証するかのごとくだ。

2018年10月7日日曜日

いい眺めだ!

 Aさんの納骨のために熱海から車で30分ほどの霊園に来た。来てみて驚いた。
 後ろに十国峠を、眼下には相模灘を見下ろすという絶景だ。思わず「ああ、いい眺めだ!」と、叫んでしまいそうだ。汗ばむ地上の気温からくらべて、山の上は7,8度は低いのだろうか?少し冷たい空気が清々しい。なるほど、ここは別天地だ。Aさんが、生前ここを家族の墓地として選んでおいた訳がわかるような気がした。
 都会の喧騒から遠く、天地(あめつち)を創られた神に近いこの場所に、家族や親しい人たちが集ってくる。よみがえる温かな思い出。そして感謝。

2018年9月30日日曜日

なんとも嬉しい

 女性会が作った「敬老の日のお祝いのカード」が届けられた。このほどそれへの感謝が寄せられている。
 その中の葉書には「『長い旅路をお守りくださった神様』との一節が心に響きました」と書かれ、また、別の葉書には「素晴らしい三種のカードに込められたメッセージをお送りくださり誠にありがたく・・・」とあった。さらに、一通の手紙には「神様のみ言葉、メッセージ、ご婦人たちのお心のこもる・・・」と、感謝の言葉が綴られていた。
 こんな返事をいただけるなんて、なんとも嬉しい!体も心も膨らむ。こんなふうに神のメッセージはみんなを喜びと感謝で満たしてくださったと改めて知る。

2018年9月23日日曜日

みんな違って、みんないい

 教会の修養会で「性的少数者」について学んだ。自らその一人だと公言する平良牧師の話に聞き入った。
 一言で「性的少数者」と言っても、中身は実に多様なのに驚く。性自認と性的指向とは違うことも知った。
 例えば同性愛者だが、確かに社会も教会もこれまで彼らに対して偏見を抱いてきた。しかし、同性愛はもはや人権の問題なのだ。「神は男と女とに創造された」という言葉だけがいわば一人歩きをする時、同性愛者はキリスト教と同性愛が自分の中で折り合いがつかなくて苦しむという。ハッとさせられた。
 この世界、「こうでなくっちゃ〜」ではなく、「みんな違って、みんないい」という話なんだね。

2018年9月16日日曜日

ハレルヤ!高齢者の皆さん

 「子ども食堂」は、始めることは比較的簡単であっても、場所や担い手、そして資金の問題から継続していくことは容易ではないという。また、大人の理想と子どもの置かれている現実の差が、子どもの参加をしづらくさせているといわれている。
 「子ども食堂」を実践しているHさんの話を聞いた。運営資金や人材の確保、「営業許可」を巡る保健所との交渉に苦労される。そんな予想しないハードルをいくつもクリアしながら、Hさんは「子供の居場所」の必要性を冷静に問いかけてこられた。
 ボランティアには多様な年齢の方々がおられるが、中心は65歳以上だ。ハレルヤ!高齢者の皆さん。

2018年9月9日日曜日

重い腰もそろそろっと上がる

 集中豪雨に台風そして地震と、この夏の災害の多さはどうしたことか!被災地域は、これまでこんな災害は経験したことがなかったと口をそろえる。「自分のところだけは大丈夫」という安全神話は崩れた。
 そういえば私達の町、湯河原も昔から地震からも大雨や洪水からも守られてきたという。しかし、「だから大丈夫」ということにはならないと知らされた。
 まずは災害に備えるためにと、ネットで検索してみる。ふむふむ、持ち出し袋を作っておくことなんだ。食料や水などの備蓄、トイレ対策なども必要なんだ。明後日は二百二十日、また台風がやってくる。 
 疎かにしてきた重い腰もそろそろっと上がる。

2018年9月2日日曜日

愛され、受け入れられているから

 この9月、アネモス教会群4教会での合同修養会で性的マイノリティの方々の人権についての講演が予定されている。7月に「あなたの教会はLGBTの方を受け入れますか?」というアンケートを受けたことがきっかけになった。
 そんな矢先、「LGBTのカップルは生産性がない」というある国会議員の発言が議論を呼んだが、果たしてそうなのか?今度の合同修養会は、まずは学んで、もっと知って、さらに考える絶好の機会だ。
 マイノリティの方々が苦しむ人権問題はいたるところにある。主イエスの眼差しはいつも少数者に向けられている。きっと目が開かれる経験となる。

2018年8月26日日曜日

頑張ろっと!

 健康診断を受けた。この日に合わせて昨年から試みてきたことある。コレステロールを下げることだ。
 効果があるという豆乳、トマトジュース、納豆を毎日食べるようにしてきた。最近では少しばかりスクワットもしている。自分なりのこの試み、果たして効果のほどは?と、期待が湧く。
 エコーの検査をしながら私の内臓に陣取っている脂肪の説明を聞く。「これは脂肪肝ですね」と言われてがっかり!しかし「炭水化物を少なくし、食べる量を減らせば、来年の今頃は驚くほど痩せて脂肪肝も改善しますよ」とは、ありがたい医者の助言だ。
 私達は神の宮だと主も言われている。頑張ろっと!

2018年8月19日日曜日

耳と、目と、心を澄ませたに違いない。

 迷子の2歳児が無事に見つかって本当によかった!
 3日間、警察と消防延べ380人体制の懸命の捜索で発見できなかった理稀ちゃんは、大分から駆けつけた78歳のボランティア、尾畠さんによって救助された。
 救助に至る話を知って驚いた。尾畠さんは理稀ちゃん行方不明から3日目に現場に到着するや、一人で山に入り、捜索開始から数十分で理稀ちゃんを発見した。
 彼は山辺に立ち、耳と、目と、心を澄ませたに違いない。お礼はおろか、食事も風呂も断る程の潔さぎよさの持ち主を突き動かすのは、彼の憐れみ深さだ。
 「子供というものは上に行く」という尾畠さんの経験則に、主は「ここを行け」と示されたのだろう。

2018年8月12日日曜日

実況中継

 夏の甲子園大会がたけなわだ。鳴り響くブラスバンドの音と「かっとばせーー!」の声援に暑さも吹っ飛ぶ。
 「ピッチャー、投げました!」「バッター、打ちました!」キビキビとしたアナウンサーの声がラジオから聞こえる。それにしても今朝の中継は一味違う。
 「ピッチャー、…をーーげました!」弾力のある「な」の音に、ピッチャーのボウルを振りかぶる動作、息を詰めるバッターの姿が見えるようだ。一期一会の高校野球にふさわしい魅力ある実況中継だ。
 さて、礼拝堂でも主の生き様と教えの実況中継が生き生きと始まる。「それから、イエスは付近の村を巡り・・・」この恵みいっぱいの中継に吸い込まれる。

2018年8月5日日曜日

なんだか嬉しいなぁ〜

 こう連日、暑くっちゃかなわない。思うように体も頭も働かない。もう限界だ。そうだ、こういうときにこそ頭と身体を同時に使う「創造の業?」に励むべし!
 そこで、トラブル続発だった無線式の「呼び鈴」に替えて有線式のを取り付けることにした。電線を玄関の外から家の中に取り込む方法が難しい。フムフム・・・古い電話線の通っていた穴を利用することにして、二階の屋根から猫の額くらいの庇に降りる。スリリングな作業を終えて、取り付け工事完了!
 さっそく試す。「ピンポーン、ピンポーン」やったー、大成功!なんだか嬉しい。さて、この新しい呼び鈴を一番始めに押す人は誰かなあ?

2018年7月29日日曜日

安心があるから

 久しく忘れていた赤ん坊の笑い声を聞いた。長女が5ヶ月になる孫の声を録音してスマホで送ってきた。イナイイナイバーをすると、ケラ、ケラッと実に愉快でたまらないと言ったふうに笑っている。笑い声がこんなに新鮮だったとは驚きだ!11秒間の赤ん坊の喜びに思わず吸い込まれる。
 先日、クリスチャンの生活は喜びだという内村鑑三の言葉を紹介してくださった方があった。そういえばどうもわたし達は眼の前の義務や責任に喜びを奪われ、天の父が一緒なのに暗くなってしまう。
 赤ん坊がイナイイナイバーに無心に笑う。母親が一緒にいるという安心があるから笑えるんだね。

2018年7月22日日曜日

この夏

 この夏も恒例の湯河原の花火大会があった。夕食を食べようか、それとも見に行こうか、どうしようかと迷っているうちに「ドン ドカーン」と大きな一発。あっ、始まった!と思う間もなく、続いて「ドドド ドーン」「パリパリパリッ ドドーン」。
 今の音は三尺の打ち上げ花火だとか、あの音はスターマインだとか言いながら夕食を食べる。こんな花火の楽しみ方もあるものだなぁ…などと思いつつ。
 そういえば昨年は雨のために花火大会は二度延期になり、三度目も雨でとうとう中止になった。もうちょっと涼しかった昨年の今頃を思い出した。猛暑のこの夏、雨も日照りもどうかお手柔らかにと願う。

2018年7月15日日曜日

どうしたことだろう?

 雨がやんだ途端、この猛暑。一気に真夏の到来だ。
 今朝はドアの前に弱ってひっくり返っている蝉5匹を見つけた。このところほとんど蝉の鳴き声らしい鳴き声を聞かないのに、この蝉の数はどうしたことだろう?少し緑色をしているところを見ればミンミンゼミだろうか。蝉の知識はないが、ミンミンゼミは暑さに弱いと聞く。急な暑さで参ってしまったのかと思ったりもする。紫陽花の花に乗っけてやる。
 このところ夜になると何やらジジー、ジジーと騒がしい。そういうときは決まって猫が蝉を捕まえて来ている。嫌がる猫を押さえつけて生け捕りの蝉を放してやる。地上での短い生命を思えば、そうしたい。

2018年7月8日日曜日

肝に銘じた

 今朝もラシオを聞きながら、天気予報がずいぶん懇切丁寧だなぁと感心する。
 「自宅が平屋の場合はご近所の二階へ避難を」とか「用水路の様子が気になっても見に行かなでください」とか「避難する部屋は崖側を避けて」などと、すごく具体的だ。人間には危険にたいして、自分だけは大丈夫という脳のメカニズムが働くという。「正常性バイアス」という落とし穴への注意かもしれない。
 「当然、当然」と、うなずきながら聞く。夕方、黒雲を見ながら「大丈夫」と買い物をした。しかし店から車までの僅かな距離の間に滝の雨だ。全身ずぶ濡れになってみて肝に銘じた。災害はいつも想定外だ!

2018年7月1日日曜日

暑さに負けてはいられない

 いっきに夏がやってきた。金曜日、西湘を走っていて思った。この空の色、海の色、そしてこの地平線から湧き上がる入道雲はまったく夏の色だ。そうしたらその日、記録破りの梅雨明け宣言だ!
 意外な早さで夏がやって来た。気温はゆうに30度を超える。首に保冷剤を巻いて、アイスコーヒーに氷をいれて、一気に飲む。暑さに負けてはいられない。
 こうして主日の準備のため机に向かった。近くの木ではなんと蝉の鳴き声がする。暑さに引き込まれて眠くなる。ジージーという鳴き声が、だんだん遠くなっていく。いけない、眠ってはいけない。
 これからの暑い日々、主日の準備は眠気との戦い!

2018年6月24日日曜日

魂が奪われそうな臨場感

 ワールドカップ、ロシア大会がたけなわだ。
 今夜の試合は世界最強のブラジルとコスタリカだ。主日の準備も気になるなぁ・・・だが、やっぱり試合はもっと気になる。後で「ハイライト」という手もあるぞという良い子の考えは一瞬浮かんで、すぐに消えた。そして、私はテレビの前に陣取った。
 試合前の大競技場の様子が映し出された。応援に馳せ参じた人々の何もかも忘れて試合だけを見つめているその熱気が実にイイ。怖いくらいに引き締まった選手たちの表情がスゴイ。誰も彼も一心不乱だ。
 私もドキドキしながら試合開始を待つ。魂が奪われそうなこの臨場感。半端ない!

2018年6月17日日曜日

誕生日に

 家人の誕生日に息子と娘たちは抜かりない。
 その朝一番に、「お誕生日おめでとう」の言葉と一緒に絵文字のケーキと花束とプレゼントの箱、それに誕生カードをLINEで送ってきたのは長女だった。続いて二女からもデコレーションケーキとポンと弾けるクラッカーがLINEで届いた。最後は長男、「おめでとう」の言葉とともに、「今度お寿司をごちそうするよ」とやはり便利なLINEで。LINEだから文字通り絵に描いた餅。なのに、家人はニコニコ嬉しそう。
 そして私は、「いちばん身近な家族のためにも祈って」と言われた教会の姉妹の言葉を思い出しながら、夕食を前に家人のために心から祈りを捧げた。

2018年6月10日日曜日

シメシメ、ホクホク

 梅雨に入った。青梅で作る調味料をテレビで見た家人が、「作ってみたい」と言う。簡単だけをモットーの毎日の食事に、なにやらメリハリの予感がする。
 しかし、梅の時期はほぼ終わっている。せっかくのささやかなチャレンジも諦めるしかないかと思いつつマーケットに行った。完熟の南高梅の中に青梅の最後の一パックを見つけた。ああ、ありがたや!
 冷蔵庫に入る程度の大きさのガラス瓶に数個の青梅、同量のみりんと醤油、それに厚めの削り節少々で出来上がり。2週間待てば梅の香りいっぱいの梅醤油ができるぞ!冷蔵庫を開けて、シメシメ、ホクホク。
 スッキリしない天気だが庭の紫陽花も元気がいい。

2018年6月3日日曜日

黄色は「待て」と学んだ

 小田原からの帰り道のことだ。交差点の手前でバスをうまくよけたところで赤信号となり一旦停止した。
 信号は青に変わり再びスタート。前方の一直線の道路には車が一台もいない。自然、スピードが出てしまう。しかも次の信号も青だ。アクセルを踏んで、通過しようとしたとき少し手前で信号は黄色に変わった。
 行ってしまえ!と心で囁く声。さらにアクセルを踏み込む。その時、ポリスカーが視界に入った。後ろからサイレンの音がする。やってしまった!
 交差点の途中で信号は赤に。信号無視の2点減点と罰金。ゴールド免許は惜しかったが、学んだ。青は「行け」赤は「止まれ」黄色は「待て」と。

2018年5月27日日曜日

参りました。納得です!

 ときどき家人の代わりに半のら猫のイシグロちゃんに餌やりに行く。私の顔を見ると、ニャーニャー鳴いてやって来たまではいいのだが、餌をやっても、なかなか食べない。門のあたりをじっと見ていて、家人が現れるを待っている様子だ。
 そのことを家人に話すと、「ちゃんと、撫でてあげた?」と聞かれた。「撫でたよ」と私。「いい子だねー」っ言ってあげた?寒い時は「風邪、引かないようにね」って、蒸し暑い時は「蚊に刺されないように」って、雨の時は「濡れないようにね」って、そして「また、あしたね」って、いっぱい撫でてあげた?
 参りました。納得です!

2018年5月20日日曜日

聖霊はいつも

 聖霊は眼には見えないけれども、復活のイエス様が私たちたちと共にいて、私たちに働きかけてくださるその働きだ。日頃の生活の中で聖霊をいただくと、わたしたちは本当に新しくされるのだ。
 ぶらぶらと学校帰り、三角頭の〈栗の実しょうへい君〉は〈蟻のアリ子さん〉に出会う。「あなたって、頭の良さそうな形をしているのね」と、アリ子。それを聞いたしょうへい君、「うっひゃー、おいらこれから勉強しよっと!」と、すっ飛んで家に帰っていった。微笑ましくて笑える。工藤直子著『のはらうた』だ。
 三角頭を褒めたアリ子は聖霊の働きに適っている。アリ子にエール!聖霊はいつも肯定的メッセージだ。

2018年5月13日日曜日

主の昇天、そして・・・

 主イエスは、使徒たちを祝福しつつ、彼らの見ている前で天に上げられ、ひとかたまりの雲におおわれた。
 使徒たちは首を仰向け、口を開け、驚きとも名残り惜しさともつかぬ表情で、主イエスが雲におおわれたあたりを呆然と眺めつくしていたに違いない。
 「ガリラヤ人よ、なぜ、天をそう見つめている?いつまでひとつ所に立っている?」と、たちまち現れた白衣の二人が呼びかけなかったら、彼らは夕刻までもそこに立ち尽くしていただろう。我に返った使徒たちは寄り添いあってエルサレムに戻っていった。
 その使徒たちにいよいよ聖霊が降る。主の復活から49日後の50旬節の日だ。とにかく来週が楽しみだ!

2018年5月6日日曜日

くしゃみよ、さらば

 一斉に若葉が出揃って緑が本当にうつくしい。いま周囲を見まわして、静かに神の変わらぬ恵みを思う。
 牧師館の前の針葉樹のモミの木、どの枝も明るい色の新芽に覆われている。一つ新芽が開けば、次々にどの枝の先にも小さなボンボンみたいな若葉が開く。どんどん新芽が開いて、今では針のような葉の先は黄緑色の柔らかな可愛いボンボンでいっぱいだ。
 どんな人にも冬が有る。しかし必ず春は巡ってくる。春の来ない年なんて一度もない。苦労していたあなた、苦しんでいたあなたに、必ず主の恵みの時は訪れる。
 そう言えば・・・長く、辛かった私の花粉症は??
「やったー!くしゃみよ、さらば」。"It's over! "である。

2018年4月29日日曜日

彼の友人が呆れた

 今、晩柑類が美味しい。ニューサマーオレンジを食べながら蜜柑を作っている知人の話を思い出した。
 彼の畑で何年も実っていた蜜柑の木がとうとう枯れたそうだ。そこで思い切って新しく文旦の苗を7本買って植えた。それを聞いた彼の友人が呆れた。「お前、自分の年を考えてみろ。今更そんな苗を植えて、いったい何年後に文旦が取れると思ってんだ?」。彼はすぐ言い返したそうだ。「お前、知らないだろう。ルターはな、『たとえ明日世界が滅びても、今日私は林檎の木を植える』って言ったんだぞ!」。
 私は「うまい!」と思わず膝を打った。そうだ、そうだ、神さまへの信頼。そこにこそ希望がある!

2018年4月22日日曜日

百歳のKさん

 百歳のKさんを訪ねた。ご家族のご都合で半年ぶりの訪問だった。半年前に比べて、全体に調子は落ちてきているが、その下り坂は極めて緩やかだと感じる。ひとえに主の慈しみとご家族のお世話のおかげだ。
 両耳に補聴器をセットして頂くと、少しは聞こえるとおっしゃる。マグダラのマリヤが復活の主イエスに出会ったあの美しい箇所を読んだ。ニッコリ、ニッコリうなずきながら聞いてくださる。聖餐に与って頂き、愛唱の聖歌「驚くばかりの恵み」(アメージング・グレイス)を一緒に歌って、「主の祈り」を捧げる。
 主はこの恵みを、Kさんに付き添うお嫁さんにも分かち合ってくださっている。主に感謝!

2018年4月15日日曜日

どちらのリスクをとるかだと言われた

 整形外科の検診のため叔母を施設へ迎えに行った。
 いつもと叔母の様子が違う。無表情で、“チーン”と静まっている。ショックだった。この一ヶ月叔母には精神安定剤が処方されていることを知った。認知症の叔母に、「黄昏症候群」の症状が出たためだ。
 整形外科の医師にも意見を聞く。転倒による骨折か精神安定剤の副作用のどちらのリスクをとるかだと言われた。
 診察後、叔母が言った。「私のことを一番にしないでいいのよ。あなた達のことを先に考えて」。思いがけない叔母の言葉に、思わず涙が出そうになりながらかたく叔母の手を握りしめる。叔母がニッコリ笑った。
 何も出来ないと思うやるせなさを、主に委ねる。

2018年4月8日日曜日

この喜び

 「見ました、主を!主を見ました!」泣き笑いを繰り返しながら、マリアは走っただろう。ハレルヤ!ハレルヤ!一刻も早く、一刻も早く伝えなくては・・・
 主イエス・キリストの復活、それは死に打ち勝った新しい有様の新しい生命だ。種としてまかれた一粒の麦が新芽となって萌えいずるようなものだ。
 確かにわたし達は皆アダムの子として死ぬ。しかし、そのわたし達は皆キリストによって復活する。このことを主の復活後の日々に特に覚えたいものだ。
 新たな朝の、新たな光の中をひた走るマグダラのマリアの喜びに与りたい。復活の主と一つにされる喜び。救われた喜び。主を信じきる喜び。

2018年4月1日日曜日

おりしも

 鼻水と痰の絡む咳に加えて熱もある。これはてっきり風邪を引いたに違いないと病院へ行く。花粉症から副鼻腔炎を起こしていたことがわかった。
 おりしも聖木曜日から聖金曜日にかけて、ひっきりなしの咳と鼻水で眠られぬ夜を過ごしつつ、主イエスはこの夜、逮捕され、取り調べられ、茨の冠を被せられ、つばを吐きかけられ、鞭打たれ、愛弟子ペトロの裏切りを目の当たりにしたのだということを思った。
 しかし、十字架に死んで葬られた主イエスは復活された。山々は新緑で息づきはじめ、折しも桜は満開だ。「赦しあえ」「相愛せよ」と教えてくださる復活の主は、この桜の花陰にもおられるかもしれない。

2018年3月25日日曜日

愛せ。一致せよ!

 寒かったり、暖かかったりしながら春が来た。とうとう、教会の庭のチューリップが赤と黄色に実に可愛らしく咲き始めた。見ただけで心躍る。生命(いのち)とは愛であることがこれほどよく分かるものはない。
 今週は棕櫚の主日から始まる受難週に当たる。主はエルサレムで最後の時を迎えようとしておられる。聖月曜日から聖金曜日まで、そしてイースターへ向かって神の定めた救いの時は今日から刻々と進む。
 主は聖木曜日、十字架にお掛かりになる前に教えられた。生命とは愛である。だから、愛が憎しみによって分裂したとき、人は死ぬ。教会も死ぬ。分裂してはいけない。愛せ。一致せよ!(ヨハネ第一4:7−21)

2018年3月18日日曜日

創造の業を満喫する

 久しぶりの快晴、小田原朝祈会に説教奉仕をさせて頂くために、早起きして海岸沿いの国道を走る。
 丁度、春の太陽が上り、海の面には百万燭光の光の道が出来る。この神の創造の業を満喫するのは、まったくの恵みだ。
 今、この国道を通っている人たちは皆、この景色、眺めているんだ!このすばらしい景色を「ああ、いいなー」って感じているんだ!前の車、崖を曲がったところで、しだいにゆっくりとなった。ああ、右手前方には霞がかった三浦半島が・・・それを見てるんだ!
 神は罪人のわたし達を、恵みのうちに限りなく包んでくださっているのだと、しみじみ思いながら通る。

2018年3月11日日曜日

思い巡らし、心に留めます

 しだいに日は長くなり、暖かくなってきました。格別に冷たくて寒くて乾燥した冬も終わりそうです。
 この数日間は雨がよく降りました。おかげで乾燥していた庭がすっかり潤いました。水仙は咲き終わりましたが、気がついてみると教会の庭のチューリップが他の草花と一緒に大きくなり始めています。神の命がこれらの植物に絶え間なく注がれているんですね。
神の決して終わることのない地上でのすばらしい御業を感謝します。
 今日から四旬節の第四週です。自然ばかりか、私たちの人生においても主が為してくださっている一つひとつのことを思い巡らし、心に留めます。

2018年3月4日日曜日

あら、これだったの!

 歌声ばかりで姿が見えねど・・・と書いた画眉鳥(ガビチョウ)だが、その正体がわかった。
 その日の朝も、突然静けさを突き破って、高らかなさえずり声で目が覚める。ふむ!なんだかおかしい。いつも同じ鳴き方ではないか?どうも今朝は窓の外からと言うより家人の枕元あたりから聞こえてくるではないか・・・?ひょっとして、スマホ?あっ!この鳴き声、スマホから聞こえてくる!」
 当の人は自ら選んで「鳥のさえずり」を起床タイムに設定していたことをすっかり忘れていたらしい。ガラ携の私を尻目に一足先にスマホにした家人、目覚ましサウンドを再生して、「あら、これだったの!」。

2018年2月25日日曜日

四旬節に

 先日、用事があって先輩のT牧師に電話をかけたたが留守だった。「実は、灰の水曜日から一週間山ごもりをしていてね・・・」と後から連絡があった。
 ある姉妹は、教会家族や隣人の名前を「あ」から初めて、あ・い・う・え・お順に祈っているということを聞いた。また、別の姉妹は四旬節の間は、おやつを断って過ごすことにしたそうだ。
 我が家では、この時節を自分の弱さと不十分さをすべて主の恵みに委ねて過ごせるようにと、「謙遜」の小さな献金箱を作ってテーブルに置いた。
 冬の寒さはもうしばらく続く。しかし四旬節はイースターという光に向かって過ごす一日一日だ。

2018年2月18日日曜日

目覚ましどころでない

 1月のある朝、突然、夜明けとともに鳥たちの鳴き交わす澄んだ響きで目が覚めた。その響きは軽快で、音階やリズムは微妙にそして大胆に変化する。言葉で形容できず、音声で真似できず、人間の音楽の常識を超えている。以来毎朝、ほぼ決まった時間にやって来て、数分鳴いたあと飛んで行く。聲はすれども姿は見えずの主(ぬし)への興味は深まるばかり。
 野鳥の声の図鑑で調べてみると、画眉鳥(ガビチョウ)だとわかった。中国からペットとして輸入されたのが自然の中に放たれ、野生化したという。
 今朝も、澄み切った、大音量の目覚まし時計に起こされる。朝だ、朝だ。お日様おはよう!

2018年2月11日日曜日

小さな木の芽を見ながら思う

 立春も過ぎ、確実に日差しが伸びてきた。まだ寒いとはいえ、朝の日差しを浴びて、庭先の紫陽花の新芽は勢いが良い。よく見ると、枝ごとにポコポコ付いている新芽たちが何やら人間の顔に見えてくるのがたまらなくおかしい。あどけない、嬉しそうな表情だ。
 そう言えば、昔子供たちに読み聞かせた絵本を思い出した。名前は確か『木の芽合唱団』だったかな・・?
「僕らは、僕らは、木の芽だよ。パッパ、パッ、パッ、パッの木の芽だよ・・・」と元気に歌っていたっけ。
 小さな木の芽を見ながら神の親心を思う。今日は主イエスが山の上で、私たちに天の国をチラッと見せてくれた日だ。「さあ、これで元気になれるね!」と。

2018年2月4日日曜日

やんちゃ坊主も学んだらしい

 先日、ヒーターをつけてから間もなく、何やら焦げ臭い。毛糸の焦げる臭いだ。慌てて台所を見回すが火は使っていない。だとするとヒーターしかない!
 案の定、末猫のメルがちょこんとヒーターの上に座り、すまし顔で人一倍長い尻尾を垂れていた。尻尾の先の内側が黒く焦げて、毛先には針の先ほどの火の粉が点々とついていた。慌ててメルを抱き下ろしたが、焦げた純毛の毛は指でこするとそこだけ無くなってしまった。メルには気の毒だが思わず爆笑してしまった。
 石油ファンヒーターは温風どころか、間近では熱風が出るのだ。以来、やんちゃ坊主も学んだらしい。"ヒーターの上では尻尾は丸めること"と。