2021年6月6日日曜日

脱帽です!

 このコロナ禍の上に健康上の問題もあり、教会に来ることができない方と私はよくメールや電話でお話をする。Qさんは今、孤独である。教会に友達と呼べるような方を求めておられることを知った。

 さっそく、教会のPさんに電話をして「この方の話を聞いてあげて、友達になっていただけないか」と遠慮がちにお願いしてみた。Pさんは、私が思っていたとおり気持ちよく引き受けてくださった。

 が、この後にPさんの言われたことが私の想像を超えていた。「私がQさんの友達になるというより、Qさんの方が私の友達になってくださるのだというふうに思います」。この謙遜な言葉に、私は脱帽した!

2021年5月30日日曜日

主の弟子ニコデモ

  画家カラヴァッジョの傑作「キリスト埋葬」に、ニコデモはキリストの下半身を支える姿で描かれている。中央の重要なボジションで描かれたのは、この絵にニコデモの主の弟子としての姿を描きたいという画家の思いではなかっただろうか。

 キリストが十字架刑で殺された時、ニコデモは側にいてキリスト埋葬に重要な役割を果たした。ここに描かれているニコデモの姿や表情は見る者の心を打つ。

 ニコデモはある夜、主イエスを訪ねた。その時からニコデモの中で何かが変わった。聖霊の風が吹いた。正しさに生きる律法の世界ではなく、神の愛と赦しの世界に生きるよう導かれた。聖霊の風は、今も吹く。

2021年5月23日日曜日

楽しんでいます

  いつもはこちらが手紙を出すと返事をくださる長期入院の方が、今月は先に手紙をくださった。

 いつもは決まって「早く教会に行きたい」とあるのに、今月はちょっと調子が違う。「僕はギターを楽しんでいます。詩も楽しんでいます。筋トレも楽しんでいます…教会の皆様の上に主の平和をお祈りします」。

 入院生活にコロナ禍では不自由の二乗なのに「楽しんでいる」というのはとてもいいなー!この方の中に心のユトリみたいなものができて、私の心がほころぶ。

 私たちの日々の生活の中に、私たちの集いの中に、今も神が、キリストが共にいて、何かをしてくださっている。目に見えないが、それが「聖霊」の働き。

2021年5月16日日曜日

主の昇天を思いつつ

  新型コロナワクチン接種の申込みのため電話をした。 予想通り全くつながらない。二度目はHPから試してみたが、予定とにらみ合わせてまごまごしているうちに予約は埋まってしまった。わずか数分の出来事である。

 いずれ接種は受けられるのだから、予約できる時まで待つとしよう!ワクチン競争曲を聞き流し、名前も知らない小鳥たちのさえずり協奏曲に耳を傾ける。ここはいいなー。鳥たちと彼らの住処である青葉があふれている。

 ちょうどベタニアもこんなだっただろうか?緑豊かなベタニアはマルタとマリアの家、それに香油が注がれたシモンの家がある。懐かしいベタニアから私たちを祝福しながら主が天父のもとへと昇られた出来事を思う。


2021年5月9日日曜日

安心な居場所

  そこは乳幼児を含む家族四人が暮らす住居だ。二つの小さなベッドルームと小さなダイニングキッチン、そしてやはり広くはないリビングルームがある。

 ベッドルームの一つはこの家の主人の仕事部屋となっていて、居住空間には家具や日用品が溢れている。

 今、この家の猫は闘病中でそう長くはないらしい。リビングの窓際に低めでゆったりしたキャットタワーが置かれている。ここでなら病気の猫が安心して体を横たえることができるにちがいない。

 キャットタワーのその脇にベビーベッドが置かれているのを見て、私はハットとした。そして、病気の猫にも子供と同じように居場所があるのに感謝した。

2021年5月2日日曜日

主につながっていよう

 私はぶどうの木のたとえが大好きだ。

 こういう見方が科学的かどうかわからないが、葡萄の木は同じ果物を実らせる木と比べてちょっと違う。

 例えば幹と枝がはっきり区別できる林檎や蜜柑の木に比べ、葡萄の木はどこまでが幹でどこからが枝なのかはっきりしない。「わたしはまことのぶどうの木、あなた方はその枝である」と主が言う時、私達は主イエスと一緒に一つのぶどうの木を形作っているのだ。

 慈愛の父である農夫はせっせと私達を手入れして、実がなるようにと育ててくださっている。育ての父が見守ってくださるこの安心感!このぶどうの木のイメージは私を力づけ、また幸せにしてくれる。

2021年4月25日日曜日

たぐいなきみ恵みよ

  「われ見たり 御子イエスを 緑の木陰に…(教会讃美歌105)」。今の季節、この様子が現実のように迫ってきて、復活の主をふと身近に感じることがある。

 4月は、主の育ったパレスチナ地方も新緑が美しかったのかなぁ。麦は新しい穂が出て、葡萄の葉は柔らかく茂り、いちじく桑は若葉をゆったり広げていただろうか・・・今と重ねてそんな風景が目に浮かぶ。

 「私は生きているよ。ほら、あなたのすぐ近くの緑の木陰をごらん!」と、主の声が聞こえるようだ。

 私達の日々にはいろんな事が起こるが、全ては御国へのプロセスの中にあることだ。今日も良き羊飼いの主は私達を導いてくださる。「さあ、ついておいで!」

2021年4月18日日曜日

復活の主はプラクティカル

  復活の主を見て「亡霊だ!」とうろたえる弟子たちに、主は手と足を見せてくださった。その上「まさしく主だが、これは現実だろうか?」と疑う彼らに、主は焼いた魚まで食べて見せてくださった。

 復活の主は弟子たちにくどくど小言などは言わず、どこまでもあるがままの彼らを受け入れて、「復活の証人」となるようにプラクティカルに教えてくださった。この復活の主に教えられ、励まされて今日も過ごせた。

 一日の終わりに思う。それは主の私達への慈しみのせいばかりではなく、主の証人となるよう期待しているからだ。罪の過去ではなく赦された未来に向かって進めという復活の主が示した有り難い実践なのだ。

2021年4月11日日曜日

復活の主に会える!

  主キリストの復活は何よりも嬉しい。この春の美しい季節に主は復活されたと思うと、小田原への行き来は格別の恵みに感じられる。山々の緑の梢に主はおられ、振り返る私の肩越しにやさしい主の気配を感じる。

 いつの間にか「主の祝福を!」と祝福を送りながら通り過ぎるのが日課となった。まずは石橋付近で、決まって見かけるマスク姿で杖と手押し車のおばあちゃん達。小田原市内に入って、動物病院の前で順番待ちをしている物言えぬ病気の動物達。山王橋付近で必ず出会う障害者の天使君。どういうわけか、祝福を願いながら私の方が元気になってゆくから不思議。

 今日も弱さの中に共におられる復活の主に会える!

2021年4月4日日曜日

小さな自然を通して

  気がつけば、いつの間にか教会の小さな庭に色とりどりの花が肩寄せ合って咲いていた。今日、主キリストの復活を祝うファンファーレがこの庭から響く。小さくてあどけない花の花弁一つ一つから、弾けるようにパンパラパ〜ンと天に突き抜けていく。

 感染者がまた増え始めた。不安になって、心や体を病んでしまう人々もいると思う。

 しかし、神は、小さな自然を通して神のご計画が進んでいることに私の目を向けさせてくれた。このコロナの時、心を合わせ、共同することは何よりも私達を元気にする。今日、イースターを迎えて、何があろうとも、天の父は、私達を愛しておられると確信する。

2021年3月28日日曜日

これが愛

  四旬節最後の主日は枝の主日とも呼ばれ、今日から主の受難の週が始まる。人々はシュロの枝を振りながら「ホサナ、ホサナ!」と歓呼の声で主を迎えた。

 しかし弟子たちはその週の木曜日、最後の晩餐と洗足の後、ゲッセマネで主を裏切って逃げ、主はその夜一人ピラトの前で裁かれる。翌金曜日、主は十字架を背負ってゴルゴダの丘へ。主は十字架につけられる。

 今週は主イエスの「受難・死から復活のいのちへ」という「過越」の三日間を想起して過ごす。「復活のいのち」に向かって、聖木曜日(主の晩餐と洗足)、聖金曜日(主の十字架)を記念する礼拝の恵みに与りたい。

 今年もキリストの十字架は私のためだと知る幸い!

2021年3月21日日曜日

一粒の麦

  麦の収穫は5月頃から始まるそうだ。当時のパレスチナあたりでも、今頃は青々と実った麦の穂が畑一面にすくすく伸びていたと思う。それはイエス様の当時も、みんなが見慣れた美しい風景だったに違いない。

 しかし、実った麦の穂を見て、土の中の種がどうなっているかを想像する人はどれほどいただろうか?仮に、麦を引き抜くとする。そこには、無数の絡み合った多くの根っこを見出すが、もはや、元の種は養分として吸収されて見当たらない。主の十字架は、人類の救いという実りを得るために撒かれた種だった。

 “主はこの私の罪を執りなしてくださった”今日、この慈しみでいっぱいにされ、ただ頭を垂れる。

2021年3月14日日曜日

「ヨハネさんの16」

  今日のこのヨハネ3章16節を、私の父は「ヒロマサ、ヨハネさんの16だ」と覚えやすいように教えてくれた。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。

 神にとって、独り子イエスはもちろん大事。そして、ヒロマサも大事。では、どちらか捨てなければならないのならば、神は「イエスを捨てる」というのだ。神は、なにがあろうとも、イエスよりも私の方を愛している。ギョッとする。

 私が、それほどに愛されていること、それを信じることこそが、永遠の命を生きていることなんだ。誰もが神に愛されるために生まれてきたんだ!

2021年3月7日日曜日

永遠不滅の神殿

 宮清めのイエス様の乱暴なふるまいは、神殿への熱い思いが心いっぱいに溢れてきたためだと見えた。

 事実、主は神殿にやって来て形だけの犠牲をささげて罪の赦しを願うという礼拝を否定されたのだった。

 しかしイエス様の本命は十字架だった。主は自ら罪の贖いを引き受けた。もう犠牲の動物はいらない。古い時代は終わった。今や、霊と真だけで神を礼拝する主イエスという永遠不滅の神殿の時代なのだ。復活の主を通じて直通電話のように天の父とつながっている。

 「もしもし、天のお父さんですか」と、何時でも、どこにいても父に語りかけることができる。何でも願いなさいと言ってくださるイエスの御名によって。

2021年2月28日日曜日

日々の祈り

  メソジストの牧師J・H・ジョエットの 『日々の祈り』の中にこんな祈りを見つけた。「わが主よ、つぶやくことなく自分の十字架を負うことを教えてください。(略)重荷を負いつつも常に喜び忍耐することができる秘訣を、どうぞ教えてください。」

 「重荷のない人生はない」とすれば、私を先導してくださるイエス様がおられることに気付くことこそが重荷を負いつつも喜び忍耐する秘訣だと思う。かつて過酷な十字架を背負った主イエスである。主は弱い私をそのまま受け入れ、気遣って助けてくださる。

 主に従う人生はどこか軽やかなのだ!いつか神の国の入り口に着く時、復活の喜びが待っている。

2021年2月20日土曜日

レントを旅する

  主イエスは40日間荒れ野で悪魔の試みを受けて勝利された。私たちも生きている限り誘惑や試みに合わずに生活することはできない。

 「主の祈り」の「試みに合わせず悪より救い出してください」は、むしろ「わたしたちを誘惑や試みに陥らせず…」と受け取るといいと言われている。

 主イエスは荒れ野で天父のみ心を生きようとされた。私たちもまた主イエスのみ心を我が心として生きようとする時、私たちの心は霊の戦いをして苦しむ。

 その時、天父は親心で見守り、愛のはからいをしてくださるに違いない。そう信じると勇気が湧いてくる。

 さあ、今日から私は四旬節(レント)を旅する旅人。


2021年2月14日日曜日

このレント

  先週、「忘れないうちに作っておかなくては」と、乾燥しておいた棕櫚の葉を鉄鍋で焼いて灰を作った。

 今週の「灰の水曜日」から四旬節(レント)が始まる。「灰作り」は、このレントの季節をよく生きて、そして喜びの復活祭を迎えようとの私の思いでもある。

 生まれつき全盲のピアニスト辻井伸行さんの言葉を聞いた。「ショパンが僕の近くに居るように感じて、色んなことを語りかけてくれて、僕を見守ってくれていて、また更に、僕に作品をずっと弾き続けていって欲しいと言っているような気がします」。

 福音伝道の初心に帰って思わず涙が出そうになった。このレント、イエス様を身近に感じて過ごしたい。

2021年2月7日日曜日

会える!

  先週、アイオワ州オレンジシティから一通の手紙が届いた。それは友人キャルの訃報の知らせだった。

 おおかた40年近く前のこと、教員だった私は妻と3歳になったばかりの長男を連れて渡米し、1年半滞在した。その時、キャルとベブ夫妻には言葉では言い尽くせないほどのお世話になった。

 イエス様つながりの彼らとの思い出の数々は、どれほど年月が経っていようが、何時思い出しても私たちの心を温かにする。

 一人になったベブに電話をすると、「とても寂しい。でも大丈夫!」と言う。「会いに行きたいけれど・・・」と私が言うと、「天国で必ず会えるわ」と確信の返事。天国から微笑むキャルの顔が浮かんだ。会える!

2021年1月31日日曜日

味噌汁、最高だー!

  今日は1月最後の日、2021年ももう一ヶ月が過ぎた。緊急事態宣言が出されて3週間あまり、非日常がだんだん日常になってきたことへの違和感も薄れてきた。朝の検温、マスクに手指の消毒、三密を避けての集会や懇談など、非日常の生活が定着した。

 ところで、この一年余り、私的会食や私的外食は皆無となって「お家ごはん」の毎日となっている。だから、負担なく作れる食事がなによりだ。この冬はもっぱら根菜に葉物をどっさり入れた味噌汁が我が家の中心メニュー。簡単に作れて、美味しくて、栄養もありそうで、あったか〜くなれる。毎日の主婦の働きに感謝を持って言う。味噌汁、最高だー!

2021年1月24日日曜日

今日も会えたね!

  湯河原から小田原への途中の道で、いつものおばあちゃん達が…という私も傍から見ればどう見たっておじいちゃんなんだろうけれど…二人共マスク姿で一人は杖をつき、もう一人は手押し車で海から上ってきた太陽の陽だまりの中に腰掛けて話し込んでいる。

 厳寒の季節だが日差しは長くなり、外の景色は明るくなった。そんな朝、二人の和やかな雰囲気が伝わってきて、通り過ぎる私の気持ちまで快活にされた。そこだけが周囲に比べていっそう明るさに包まれている。 

 こんなに寒くて、コロナ禍の中なのに、あの二人は今日も元気で会えたんだ!良かったなぁ〜。なんだか尊く感じられて、お二人の上に主の祝福を祈った。

2021年1月17日日曜日

求め続ける

  再び緊急事態宣言の中ではあるが、私たちの主イエスの栄光は2000前と少しも変わらず輝き続けている。

 洗礼者ヨハネは主イエスとのすれ違いざまに自分の二人弟子たちに「ご覧、神の子羊」と言った。二人の弟子はイエスのあとについて行く。するとイエスは「何が欲しいのか?」と聞かれた。しかし、彼らは尋ねた。「どこにおられるのですか?」一見、問と答えになっていないが、この方に繋がっていきたいというのが答えだ。午後四時のこととはっきり聖書に時間が記してある。よほど印象深い出会いだったに違いない。

 コロナ禍の波に飲まれそうにな私たち。主は私たちとのつながりを求め続ける。

2021年1月10日日曜日

温かい飲み物でホッとしたい

  冬でも温暖な湯河原なのに、寒の入りのこの二三日は特別に寒い。なんだか温かい飲み物でホッとしたい。

 台所でインスタントのカフェオーレの箱を見つけた。それには「今だけ和みのことば入り」と書いてある。中にあるスティックの一つ一つに言葉が書かれている。「なにごとにもほどほどが一番」「キミは世界一やさしいひと。」「常にポジティブなんてつかれちゃうし。」などなど。今だけの企画らしいが、このコロナ禍の時期ちょっとでも和ませたいという思いやりかな…?

 飲みながら、僕だって作れるさ!と思った。「イエス様の言葉に温まって!」「イエス様は世界一優しい人」「イエス様と一緒だから疲れちゃっても大丈夫」。

2021年1月3日日曜日

エピファニー(顕現)の光

 「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り主の栄光はあなたの上に輝く。」(イザヤ書60:1)

 元旦、久しぶりに家族みんなで集まって正月を祝った。コロナ禍で無くても正月に家族が皆で集まるなどということが皆無な我が家では、むしろオンラインでなら皆で集まれると早々に決まった。

 画面上の家族の話に耳を傾け、家族の顔を眺めて過ごした貴重な時間。ああ、心を満たしてくれた。恵みだと感謝した!たったこれだけのことで元気になる。

 たとえ世界がCovid-19によって閉ざされ、闇にいるように感じても、はっきりと暗闇に光が昇ることが私たちに約束されている。顕現の光は、私たちを照らす。

2020年12月27日日曜日

希望の子を地上に送る姿に

  10年前に初めて小惑星イトカワ探査に成功した「はやぶさ」の地球帰還の動画を改めて見た。

 大気圏に突入し流星のように輝きなが無数の破片となって消えていく。その中に明るくはっきりと切り離したカプセルが見える。満身創痍で希望の子を地上に送る姿に主キリストを重ねてしまう。

 今年、「はやぶさ2」が小惑星リュウグウからの岩石の採取に成功した。暗いことの多かった2020年に大快挙だ。「はやぶさ2」は大気圏に入ること無くカプセルを切り離し、次のミッションにでかけるという余裕さえ見せた。目に見えない世界への探求心は尽きず、続く。このゆとりに憧れる。

2020年12月20日日曜日

スクルージの回心が広まって

  最初のクリスマスが祝われて今日は2020回目のクリスマス。クリスマスおめでとうございます!

 ディケンズの『クリスマス・キャロル』は19世紀半ばの社会問題が噴出していたイギリス社会を大きく変えた。小説の主人公スクルージの回心に人々は触発され、刊行から5年間で「クリスマスは他者に対して温かな眼差しを向ける季節へ」となっていった。

 Covid-19の感染拡大が続く只中にあっても、聖霊の風は吹き、私たちをクリスマスの愛と恵みへと導いてくれる。今日の良き日、主のご降誕の喜びを皆さんと共にお祝いできることに感謝します。クリスマスの慈しみが世界中の人々の上にありますように。

2020年12月13日日曜日

“Live deep(深く生きる)”

  イギリスでCovid-19のワクチン接種が始まった。90歳の女性がワクチン接種をしての感想をニュースで聞いた。彼女は言う。「これでこのクリスマス、子どもたちや孫たちと会うことができる。私はこのワクチンを受けることができて光栄に思う」。

 彼女の90歳という年齢を考え、そして思った。感染を恐れてこのまま愛する家族とも会えず、子どもたちや孫たちを抱きしめることも叶わないまま生きることは「生きる質」に関わることなのかもしれない。

 “Live deep(深く生きる)”。副反応を恐れて、ワクチンに懐疑的な人たちが多い中、世界の人々に先駆けてのこの高齢女性の決断は私には英断に思える。

2020年12月6日日曜日

たがいに与え合うクリスマス

 40年も前に読んで、すっかり忘れて、ホコリまみれになっていた『クリスマス物語集』を懐かしく手にとった。

 そこには「クリスマスは、輝かしいときです。愛と、優しさと、楽しい笑い声の満ち溢れる日、他の人を思いやる日、親切な思いつきが、ふつふつとわく日なのです。」と、この本の物語の一部が紹介されていた。

 クリスマスは長い間みんなの幸せのために役立ってきた。クリスマスは互いに与えあう日なんだと今更に知る。

 世界はすごいスピードで移り変わっていく。古い習慣は顧みられなくなったが、人の心のやさしさは時代遅れになることはない。私たちの心の中の宝、私たち人間を人間らしくしているものは決して変わることがない。 

2020年11月29日日曜日

今日から目を覚ましていよーっと!

  予測されていたがCovid-19の感染はここにきて広がった。連日のニュースにも先行きの不安が漂う。

 こんな中で感謝なことに、湯河原教会は宣教65周年記念の外壁塗装工事を終えることができた。明日には足場が外される。白壁の美しい教会堂が青空の下にスッキリと現れる様子を思ってニコッとなる。だが、もっと嬉しいのは今年もクリスマスを迎えられることだ。

 今日からアドヴェント、クリスマスの足音が近づいてきた。「さあ、主キリストの御降誕と再臨を待つ用意はできたか?」とささやく声がする。居眠り名人でネタロー(寝太郎)というニックネームを付けられた私だが、密かに思う。今日から目を覚ましていよーっと!

2020年11月22日日曜日

50cm×80cmの床面が出現!

  教会の外壁の塗装工事が始まった。まずは足場作りから。狭い隙間にも、高い十字架塔にまでもうまく足場をかけてゆく。職人さんたちの交わし合う声が楽しそうに室内にいる私の耳に響いてくる。きっと良い仕事をしてくださるのだろうと、そう思った。

 その時だ、牧師館の勝手口のたたきに床板を張ってもらえないかと頼んでみようとの思いが浮かんだ。聞いてみると「いいよ」と、二つ返事が返ってきた。

 値段を聞くと、「教会さんは人のために働いているんだから、教会さんからはいただけないよ。私がやってあげるから」。思いがけない贈り物にただ感謝!デッドスペースにデッドスペースに50cm×80cmの床面が出現!

2020年11月15日日曜日

君を信頼するよ

 「君を信頼するよ。これで大いに自由にやってみなさい」と、ど〜んと大金(タラントン)を預けられた。

 私へのこの信頼に心が躍る!さて、この資金をどう役立てようか?それを元に起業するのも悪くはないかな?しかし、とりあえず銀行に預けておこうかな?

 いろんな選択肢が頭をかすめるが、いずれもリスクはある。そのまま使わずにおくのが一番安全かな…?

 しかし、ご主人の望みは失敗を恐れずにタラントンを用いることなんだ。ここを外しちゃいけない。たとえ失敗してすっからかんになってもご主人はお怒りにならないに違いない。失うということでは主キリストご自身は全てを私達のために使い果たされたのだから。

2020年11月8日日曜日

このお菓子を見て泣いた

 突然K姉妹が訪ねてこられた。「今日、息子の施設から送られてきました」と言って見せてくれた会報には息子さんが元気に稲刈りをしている写真が載っている。

 Kさんの息子さんは長い間心の病で、本人も家族も苦しんできたが、最近ある施設に巡りあい、彼はそこに初めて自分の居場所を見つけ、障害者として働き始めた。このことがどれほどKさんとKさん家族を喜ばせ、神への信頼と感謝に導いたことだろうか!

 「息子のために祈り続けてくださった先生にも食べて頂きたい」と、一個の三笠山をくださった。息子さんが初めて家族に送ってくれたお菓子だった。ご家族はこのお菓子を見て涙したそうだ。主よ、感謝します!

2020年11月1日日曜日

神の愛につながる

  キリスト教会は11月を「死者の月」としている。礼拝堂に飾られた天国の方々の写真を見ながら思う。

 神に結ばれてこの世を生き、今は主と共に天におられる兄弟姉妹が「神の愛につながること」は人が愛し合うことだ、それが最高の喜びだと伝えている。

 折しもハロゥィンの花火が始まる。家人に呼ばれて屋根の上に。明日のことを思えばのんきに花火見物でもないがせっかくの誘いだ。しばし一緒に楽しむべし。

 澄み渡った夜空に火の花が大きく咲いては散る。ドカーン、ドカーンと爆音が腹に響く。急(せ)く気持ちはどこかへ飛んで、一緒にいるっていいなー、主の愛につながることだなーと思えてくるから不思議だ。

2020年10月25日日曜日

今年が見納めとなりそうだ。

  兄弟教会である小田原教会の植え込みのドウダンツツジの紅葉がみごとだ。隣接地の工事のためにこの植え込みは取り除かれることになった。この艶(あで)やかな紅葉も今年が見納めとなりそうだ。

 小さな苗木であったのが今や大人の丈を越すほどになり、教会の歴史を偲ぶドウダンツツジの紅葉を今年は特別な思いで眺める。教会の皆さんの気持ちを察すれば、一本どこかに移す方法はないものかと・・・。

 さて、目を上げれば遠くに山々の紅葉が広がりつつある。こんなにも神は豊かに自然を備えてくださっているのだから、目先の自然に捕らわれて寂しくなることもないか!この先にはきっと恵みが待っている。

2020年10月18日日曜日

たちまちあったか〜い!

  今日は一日中じとじと雨だ。秋の雨はどこかうすら寒く、沈んだ気分を誘う。この雨、冷え冷えとして、なかなかあがらずコタツが恋しくなる。まさに秋の長雨「秋霖(しゅうりん)」を思わせる。

 我が家でも大慌てでファンヒーターを出す。スイッチをONにするとたちまち寒がり屋の猫たちが集まってきて膝の上でとぐろを巻く。

 ゆっくりFさんからの手紙を開いた。病院に長期入院しておられるが、コロナ禍で礼拝に出席できなくなってもう9ヶ月。外出許可が出たら礼拝に来たいとある。終わりの一文は「教会の皆さんに主の平和がりますように」だ。心も体も魂もたちまちあったか〜い!

2020年10月11日日曜日

イエス・キリストという礼服

 4日に召された叔母の葬儀説教で母教会の牧師の話が印象に残った。

 「晩年、惠さんはよく『私のためにお祈りください』と言われた。ある日曜日『先生、お祈りくださってありがとうございます。先生がお祈りくださっていたことがよく感じられました』と言われた。それを聞いて私は恥ずかしくもあり、申し訳ない気持ちになった。なぜならその週、私は惠さんのことを忘れていたからです」。

 私は天の父はまさに祈る者と共におられるのだと知った。今日、天の父は罪ある者を婚宴に招き、おまけに礼服まで整えてくださっている。イエス・キリストという礼服を私は着るだけだ。主の礼服は軽やかで柔らかく、着心地はさぞかし良いだろう! 

(マタイ22:1〜14)

2020年10月4日日曜日

皆さんから愛されてます

  施設に頼み込んで15分だけ面会が許された。それが急な入院前の叔母との最後の会話らしい会話となった。

 「叔母さん、博雅です。お久しぶりです」というと、「あら、そうでもないわよ」と、2週間前に施設の玄関先で数分間だが会ったときのことを覚えていた。「叔母さん元気ですか?」と尋ねると、「皆さんから愛されてます」というしっかりした返事が返ってきた。

 Covid-19 の影響で叔母とはこの半年というものほとんど会うことがかなわなくなっていた。認知症の叔母だが、「神にも人にも愛されている自分」から全くブレていなかった。この返事を聞いてわたしは思いもかけず幸福感に包まれた。安心したし、嬉しかった!

2020年9月27日日曜日

考え直して・・・

   あるところに父と二人の息子がいた。父親は息子達にぶどう園に行って働くように命じる。兄は「嫌だ」といったが、あとから考え直して出かけた。弟は「いいよ、行くよ」と言ったが行かなかった。

 この主イエスのたとえ話の奥深さは、兄と弟の二人しか登場しないことだと思う。もしもこの話に、「いいとも」と二つ返事でぶどう園に行って働く、そんな品行方正の3人目の息子が登場したら、主のたとえは「行いが大事だ」という話になってしまうだろう。

 人は誰でも時にはこの兄であったり、この弟であったりするのではないか?主は考え直すこと、そして心を神に向けることが鍵だという。OK、鍵をゲットだ!

2020年9月20日日曜日

慈しみの中で

  ニネベの人々が預言者ヨナの予想に反して悔い改めた。ところがヨナのこの“ちんぶくれ”ぶりはどうだ!

 ヨナがあまりに正直なので、つい「わかる、お前の気持ち」と言ってしまいそうになる。

 また、遅くからやってきてわずかしか働かない者に早くから働いた者と同じ賃金を支払うなんて不公平だというこの文句にも「そうだよね」と同情する。

 そんな時だ、主の声が耳元でささやいた。「お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。(ルカ15:31)」。弟を妬む兄への父の優しい言葉。

 ああ、そうでした!イエスさま、あなたはこれまで私を惜しみなく慈しんでこられました。

2020年9月13日日曜日

素直に頭を垂れる

 「最近の死刑についての司法判断は『一人殺せば懲役刑。二人以上なら死刑』というように、人数で割り切る傾向だ。犯罪被害者の家族に対しても心のケアや援助ではなく、『望み通り極刑にしましたよ』と、割り切った考えになってきている。」これは「NHKニュース解説:最近の裁判の傾向について」の論評だ。

 聞きながら、「眼には眼」という旧約聖書の時代が彷彿させられた。人の更生ということ、神のものである命ということについてもっと深める必要を思った。

 自分が赦されているのに仲間を赦さない。ここに心を痛めている仲間達もいる。人間の鈍さ!それにひきかえ王である主の憐れみ深さ!素直に頭を垂れる。

2020年9月6日日曜日

油断はできないが

  自粛生活とかウイズコロナとか言いながら過ごし始めて半年になるだろうか?

 Covid-19の正体も徐々に解明されてきて、どんなことに注意して生活すればいいのかがわかってきた。感染を恐れて家に閉じこもりの生活が長く続けば、感染はせずとも人間らしい豊かな生活が失われかねない。

 「このコロナの時期は…」と言って、中断していた聖書研究会、懇談や信仰入門の学びも再開した。そして、何より嬉しいことは聖餐の再開と説教原稿の代読でなく、生の説教者による礼拝に与ることができるようになったことだ。小さな町の小さな群れだからこその祝福かもしれない。もちろん油断はできないが。

2020年8月30日日曜日

だが、待て!

  8月も終盤なのに、夏の真最中といった感じの毎日である。コロナ禍も手伝って、健康な者にでさえ今年の夏の暑さはこたえるから、病気や障害を持つ方や高齢の方には如何ばかりかと気がかりである。

 「自分の十字架を背負って私に従いなさい」と主イエスは言う。十字架を負うことなどできるのか?と、このコロナ禍と酷暑の中では言いたくもある。だが、待て!自分の背負える十字架でいいのだ。「私に、今できることか」と、気を取り直して歩くことにした。歩数にして5500歩あまり。夜、湯河原の海岸を歩く。

 星空の美しいこと。寄せる波の音の響きの心地よさ。昼間の暑さは吹っ飛んで、清涼な命が吹き返す!

2020年8月23日日曜日

ビビッと響け!

  今年の夏は35度を上回るジリジリした暑さが続く。日中は前の通りを歩く人は皆無だ。そんな炎天下の中、帽子もかぶらず歩いている一人の老人を見かけた。

 「これ、古いものですが」と家人が自分の緑色の細いリボンの付いた麦わら帽子を差し出すと受け取ってかぶって行かれた。ご飯の買い出しにでも行くのだろうか?・・・それ以来、教会の前の道を「あの麦わら帽子」をかぶって行き来する老人を見かけるようになった。安心したー、役に立っているんだねー。

 さあ、暑いが頑張ろう!「あなたはキリスト、生ける神の子です」と告白したペトロの、あの生き生きした信仰告白よ、私の魂にビビッと響け!

2020年8月16日日曜日

わたしの夏の友

  私の子供の頃の夏休みには『夏の友』という学習ドリルの宿題があった。ドリルが「友」だなんて、どうしたらそういう発想になるのだろう?と思うが、私にとって当時の「友」は勿論遊びだった。夏休みは浜辺で日がな一日過ごした。そんなわけで8月の終わりは溜まった宿題をチャチャッとやっつけるはめに。

 ある時、私が描いた宿題の絵に、「ちょっと」と、父が手を出した。スケッチの趣味のあった父は、泥縄式で描いた絵を見るに見かねたのかもしれない。

 その絵、どう見てもうまく描け過ぎていた。学校に持ってゆくの、嫌だったなー・・・いまは笑い話。

 今年、私の「夏の友」はエアコンと扇風機と麦茶。

2020年8月9日日曜日

安心、安心、ああ安心

 NHK『夏休み子供科学電話相談』で、6歳の幼児の珍しい相談に思わず聞き入った。

 ブラックホールに飲み込まれるのではないかと心配で毎晩眠れないという。宇宙・天文学の専門家が幼児にもわかるように、そういう心配はないと丁寧に説明している。しかし、彼は「わかりましたか?」と聞かれて、はっきり「わかりません。」と答えた。

 この子の不安の種はブラックホールではないのだ。彼は無意識に、「安心しなさい。わたしが一緒に

いる」と言ってくださるイエスさまを必要としているのだ。安心、安心、ああ安心…と響くもの、いや、響くこと、なんでもいい。会話でも触れ合いでも。 

2020年8月2日日曜日

いっぱいあるなー

 長く逗留した梅雨も重い腰を上げて去った。しかしCovid-19との付き合いは続きそう。それどころか、ますます「切っても切れない関係」になりつつある。嬉しくないが、Covid-19は人付き合いが大好きなのだ。
 この数ヶ月、礼拝や活動の自粛を経験してきたが、牧会と宣教はいろんな方法で可能だと、今改めて思う。隣人に仕える愛の奉仕はCovid-19をむしろ媒体にして行える。私たちは自分の信仰心のことばかり、教会のことばかりであってはどうもうまくない。神はこの被造世界をお作りになったのだから、私たちに世界に仕える視点を求めておられるのではないか?
“この時期だからこそできること、いっぱいあるなー”

2020年7月26日日曜日

大転換だ!

 耕していた畑で宝を見つけたなら、宝だけをそっと家に持ち帰るんじゃないかな・・・?自分だったらだいたいそんなストーリーを思い描く。
 しかし、彼の非凡なところは・・・彼は一大決心をして持ち物をすべて売り払い、今までの生活に終止符をつけ、そして「宝」の埋められていた畑ごと買い取る道を選んだことだ。彼は、それまでの小作人の人生に甘んじることをやめた。大転換だ!
 「天の国」は机上の空論ではない。神と共に生きる人生には喜びがあり、そこが「天の国」だと味わい知る。いま、「宝」の発見を機に自立の道を歩くことを決意した一人の農夫の姿が彷彿とする。

2020年7月19日日曜日

そのままにしておきなさい

 誰かを一本の毒麦にたとえ、自分たちは良い麦だというふうに、この主のたとえを聞いたとしたら善悪二元論の匂いがする。もしそうなら、「真っ先に引き抜かれるべきは他ならない、私ではないか!」と思った。
 世の中に毒麦と呼ばれる麦は存在するし、他人の畑にも毒麦を見つける。そして、認めたくないが自分の畑にも毒麦は生えている。それは人類共通に存在する毒だ。この毒麦、抜いても、抜いても「敵の仕業」はなくならない。「この毒さえなければ」と思う時、「そのままにしておきなさい」との主のみ言葉が響く。
 悪いものでも大切にして、いつか良いものへと変えてくださる愛の主に、私は救われ続けている!

2020年7月12日日曜日

どんな土地でも

 イエス様は畑に種を撒いておられる。大きな袋から、福音の種を気前よく握っては蒔き、握っては蒔き…
 種は道端に落ち、石地に落ち、茨の茂みにも落ちる。そんな光景を思い描きながら、私はこの中のどの土壌だろうかと、どうしても自分の貧しさに目が行ってしまう。しかし、畑に種を撒いた後で、種ごと土を耕して種を深く土に根付かせるというパレスチナの当時の農法を知った。びっくり仰天だった!日本では想像できないが、これでないと逆に多くの実りはないという。
 イエス様は、「芽生えよ!実れ!」とばかりに、どんな土地にも、惜しみなく、今日も福音の種を蒔き続けてくださる。だから、悟らせてくださいと祈る。

2020年7月5日日曜日

ありきたりのサンドイッチのままで

 胡瓜とハムのサンドイッチは我が家の昼食の定番メニューだ。この頃、そのサンドイッチにバジルやルッコラをはさんでみる。うまい!オー、イタリアン。 
 以来、香りのものはサンドイッチに欠かせない。少しなのに味にパンチが出る、美味しさが増す、昼食がちょっと楽しい、そんな不思議な変化を感じる。
 私たちはなかなか自分だけでは変えられないし、変わりようがない。しかし、主イエスの軛に繋がれてみて、私たちは初めて「謙遜」と「柔和」を味わい知る。
 主の軛は慰め、安堵、喜び、感謝・・・そんな平凡な言葉しか浮かばないが、きっと、あなたは味わい深く変えられる。ありきたりのサンドイッチのままで。

2020年6月28日日曜日

神の恵みは変わらずにある

 この6月、ズームによる「ルターセミナー」が開かれた。
ルターの時代はペストが流行した時代だった。ルターの『慰めと励ましの手紙』を参考に聞きつつ思った。私達はcovid-19と共存する新しい時代を歩み始めているのかもしれない。
 各教会の礼拝の取り組みを分かち合い、どの教会の牧師も「礼拝をどのようにすべきか」「オンライン礼拝は礼拝か」と、悩みながら努力し、工夫しているんだな〜と思わされた。
 セミナーの終わりに、「礼拝は形式ではないこと。礼拝を続けても、続けられなくてもそれは信仰の強さの証明ではないこと。礼拝を持っても持てなくても神の恵みは変わらずあること。コロナ禍で大事なのは『隣り人への愛』ということを教会の中心に据えることだ」と確認できた。晴れ晴れした。

2020年6月21日日曜日

腸の中のパートナー

 寄生虫を自らの体に長年住まわせてアレルギーの実験をした藤田紘一郎医師の腸内細菌の話が面白い。
 多様な生き物の腸内細菌はビタミンや脳内伝達物質を合成し、免疫力の70%を作っている私達の大切なパートナーだと言われて、なになに?と聞き耳を立てる。
 要は腸内細菌の餌となる食物繊維を食事で取ることが大切だということなのだが、先生がユニークなのは、腸内細菌という他者との共存を見直すことは自分を大切にすることだという哲学的な提題をしている点だ。
 自分の中のサナダムシでさえも、もう一人の自分として愛おしんだ先生は、現代人は自分と他者とを区別しすぎてバランスを崩していないだろうか?と問うている。

2020年6月14日日曜日

改めて宣教を考える

 コロナ共存時代となった日々、宣教は今までと同じとはいかなくなった。礼拝も問安も大きく変化した。
 しかし、変化を要求される中でネットでの説教・週報の配信、オンライン礼拝などさまざまな工夫を試みている。だが、ネットがますます主流のようになってゆく社会にあって、実はネットは万能ではない。主は一人ひとりに主の福音が伝わることを望んでおられる。
 コロナの時、私達はなんの宣教手段もないと言って恐れることはない。主は私達の創造力も想像力も持久力もさらに豊かにして、宣教に送り出してくださる。
 今日、主イエスは12弟子を着の身着のままで送り出された。改めてアナログ的な宣教を考える。

2020年6月7日日曜日

恵みを先取る祈り

 この3ヶ月、私達は主イエスの受難と死、そして復活、昇天、聖霊降臨の喜びを記念してきた。
 三位一体主日の今日、これらを通して示されている父なる神と子なるキリストと聖霊の慈しみが私達をまるごと包んでいてくださることをしみじみ味わいたい。
 「お守りくださるのですね。感謝します」とは、ご主人が10時間に及ぶ手術を受けた直後の奥様の祈り。「渋滞を取ってくださるのですね。会わせてくださるのですね。感謝します」。これも彼女の夫がICUに移される前に一目会いたいと願って、渋滞をくぐり抜けて、病院に駆けつけた時の先取りの祈り。聖霊はこんなにも大きな愛と信頼の内に私達を生かしてくださる。

2020年5月31日日曜日

聖霊は香油のように

 聖霊降臨祭の今日、2ヶ月ぶりに教会に集まって礼拝に与る。この恵み、この幸い、この感謝!
 私達はこの自粛の期間、新型コロナウィルス感染症による不安と孤立の中にある方々を覚えならが祈りの時を過ごした。また「時が良くても悪くても福音を述べ伝えよ」このことについて、前を向いて行くようにと励まし続けてくださった聖霊に感謝する。
 私達はこれからコロナ時代を生きてゆくことになった。私達の生活も礼拝の仕方も変わる。そこに恵みは必ずある。教会は聖霊に信頼する。聖霊は過去の辛い記憶に慈しみの香油を塗ってくださり、私達のうちに調和を作り出してくださる。さあ、聖霊の風よ、吹け!

2020年5月24日日曜日

心と心は近くにいたい

 COVID-19のおかげで私達の物理的距離はすっかり遠くなった。人と人との接触が感染を広めるからだ。
 病院には付き添いも見舞いもできない。重篤な病気での入院手術には付き添ってあげたいに違いない。施設やホームも同様だ。施設で暮らす障害を持つ方のご家族は、月に一度施設から送られてくるその方の写真を見て慰められているという。
 米国では施設の老人の孤独による死亡が増えている。認知症のお年寄りは家族が訪ねてハッグするだけで、家族の愛を確認できたものを…悔しいに違いない。
 人との物理的距離によって私達の心が遠く離れることがないように、主よどうぞ知恵を与えてください。

2020年5月17日日曜日

離れていても感じあえる

 休校になって二ヶ月。「NPOカタリバオンライン」で出会った全国の子供達が今の気持ちを詩にして伴奏をつけた。子供達は自宅からネットで歌っている。
 「世界中が止まっても いつものように朝が来て どんどん今日が生まれてく…集まれないけど集まろうよ 離れていても感じあえる 約束しよう優しい気持ち どこにいても心をつなげたい…」打算や計算のない子どもたちの気持ちがストーレートに伝わってくる。
 「離れていても感じあえる」。このメッセージに勇気が湧く。今、私達に必要な「つながり」の感覚はこれ!互いを思いやる時、主は私達につながり、私達同士をつなげてくださる。聖霊なる主は「元祖つながり」だ!

2020年5月10日日曜日

心の手を握りしめる

 先日、叔母が入所しているホームから知らせが入った。94歳の叔母に熱があるという。「38度4分ですか!」と私。新型コロナウィルスの感染が頭をよぎる。しかし、万が一感染していても、誰のせいでもない。これが天の父が定めた叔母の時だと覚悟を決めた。
 しかし、解熱剤を飲んで翌朝、叔母は平常に戻った。その夜、叔母に付き添ってくださった職員さんは、一時間おきに叔母の体温、血圧、脈拍、サチュレーションを測り、数時間ごとに3回に分けて水分の補給をしてくださったそうだ。
 家族にもできない看護に思わず涙・・・有り難くて感謝を言葉にできない。
 叔母は守られた。時節がら叔母には会えないが、「よかったね~叔母さん!」と、心の手を握りしめる。

2020年5月3日日曜日

それならば・・・と

 緊急事態宣言が一ヶ月先まで延長されそうだ。長引く礼拝や集会の休止に気持ちはどうしてもしぼみがち。どうか、福音につながり続けてほしいと覚悟を決めてYouTubeとFacebookに説教をアップした。
 礼拝と集会の自粛を始めて以来、毎週ごとの説教をメールで配信するかコピーして郵送している。しかし、御言葉は聞くことが大事にされてきたことを思うと、ネット上であっても聞けることは一つだ。そういう声に押されて恥ずかしながら試みることにした。
 不慣れなレコーディングを何回もやり直すうちに元の説教原稿から外れてしまったが、とにかく初めの一歩だ。少しでも主日メーッセージに触れていただければ幸い。

YouTube で "日本福音ルーテル小田原教会湯河原教会" と検索してみてください。説教ビデオの閲覧ができます。

2020年4月26日日曜日

心は燃えていたではないか!

 鶯の澄んださえずりが近くの木陰で聞こえる。気がつけば桜はすっかり葉桜となり、木々の若葉が美しい。
 丁度いまごろの季節、二人の弟子がエマオへの道で復活の主イエスに出会った・・・。
 ロバート・ズンドの「エマオへの道」は青空のもと、緑豊かな春の道で主を挟んで歩く三人の後ろ姿が描かれている。大好きな絵の一つだ。
 「道で話しておられるとき、聖書を説明して下さったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか!」と、後になって気づいた二人の弟子の感動に思いを馳せる。彼らが言う「あのとき」とは「一緒に歩いているこのとき」なんだ!いいなーと想像が膨らむ。

(エマオへの道 ロバート・ズンド と検索してみてください。絵が見られます)

2020年4月19日日曜日

ひねくれ者にも祝福だ!

 弟子達はユダヤ人を恐れて家に鍵を駆けて閉じこもっていた。復活の主はそこに現れ、真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と祝福してくださった。
 ところで、トマスはみんなが一緒にいたときにどこに行っていたんだろう?理屈屋でちょっとシニカルな彼は仲間から一人外れるひねくれ者だったかもしれない。主はそんなトマスを愛して、もう一度同じ状況を再現して下さった。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言って下さった。
 そういえば「お前はひねくれている」と生前の父も先生方もよく言ってたなぁ・・・思い出して、なんだか懐かしい!バンザ〜イ、ひねくれ者にも祝福だ!

2020年4月12日日曜日

アーメン。主は復活された。

 「主は復活された。ハレルヤ!」主イエス・キリストのご復活を皆様と共に心からお祝いいたします。
 今年はやむなくイースター礼拝を教会で皆さんと一緒にではなく、各ご家庭で与っていただくことになりました。
 しかし、私たちは依然として聖書を読み、祈ることが許されています。なんと幸いなことかと思います。皆様お一人お一人に、主の復活の喜びが届きますようにと心からお祈りいたします。
 まだ緊張や不便な状況が続きますが、試練に耐えることが日常であった禁教の時代を想い起こします。今日私たちは復活の主に出会いました。主から愛された者として“隣人への愛の配慮を心に”と願うものです。

2020年4月5日日曜日

満開の桜に誘われて

 Covid-19の感染拡大を思えば気持ちは沈むが、満開の桜に誘われて、すっかり慣れた小田原への行き帰りの道、桜を見ながら行くことにした。
 旧造幣局の桜並木道を通りながら、「ここはY兄が案内してくれた場所だったね」と家人と話しながら通る。
 Y兄はこころの病気だった。救われたいと洗礼を願って授けられた。そして4年後にちょっとした怪我がもとで天に召された。本当にあっけなかった。
 満開の薄墨色の桜を見ながら、今は天にいるY兄に、「この桜、一緒に見たよね」と話しかける。桜の色がなんだかいつもより灰色っぽく感じるのはこちらの気持ちのせいなのか。今年、桜は薄墨色がいいと思う。

2020年3月29日日曜日

誰のための自粛か

 今や世界中に感染が広がった新型コロナウィルス、日本でも都市を中心に感染の拡大が止まらない。
 先日も用事があって熱海の繁華街を車で通ったが、若者たちの多さに驚いた。ある店の前には黒山の人だかり。人と人との距離を開けるという社会的距離など、どこ吹く風といった様子・・・少々気が滅入った。
 Covid-19の感染が国民の60%〜70%に及ぶと予測されるという専門家の見解を受けてのドイツのメルケル首相の言葉が印象的だ。「高齢者とリスクのある人々を守る為に、私たちの団結と理性とお互いを思いやる心が試されている」。今この言葉の重みを噛みしめる。「私は大丈夫」という正常性バイアスに陥るまい!

2020年3月22日日曜日

鎮座ましたサボテン

 一年に一度、丁度クリスマスの季節に花をつけるシャコバサボテン、教会のクリスマス用にと家人が挿し芽で増やした結果9鉢になってしまった。
 日の当たる南の部屋で育てたいと言うので、フラワースタンドをネットで注文した。待つこと1ヶ月半。
 3月の初めに荷造りテープでぐるぐる巻きにされて届いたのはある国からの国際宅急便。驚いたのはそればかりではない。部品のサイズが合わないのだ。組み立てに難航する。「な〜に、単純作業さ!」と気分転換に毎夜30分、2週間かけてとうとう完成。やったぞ!
 春の日差しの中に鎮座ましたサボテン、その鉢に同居して名も知らぬ草が小さな黄色の花をつけている。

2020年3月15日日曜日

今、新鮮に映る

 Covid-19の感染は世界に広がった。私の楽しみのF1レースも中止。「やっぱり!」だが、しかたがない。
 そんな中、「仕事がキャンセルになって、聖書を読む時間が増えました」という方がいて、いいなーと思う。
 「おもしろいことをしてみよう。なんにもなくても、げんきでいなくちゃいけないもの」という言葉が思い出された。『あおい目のこねこ』という絵本の一節だ。
 ネズミの国を見つけにゆく元気な子猫は、黄色い目の5匹の猫たちから青い目を馬鹿にされながらもひょうひょうと生きていく。困難に出くわしても「なーに、こんなこと、なんでもないや」と意に介さない。
 きわめて前向きな子猫の姿は、今、新鮮に映る。

2020年3月8日日曜日

空の鳥、野の花を見よ

 新型ウイルスの目に見えない脅威で世の中は活動自粛の方向にますます傾き、根拠なきデマが飛び交う。
 薬局やスーパーでガラリと空いたスペースの棚があって、はてな?と思った。それがトイレペの買い占めだったと後から知ってビックリ!今朝もトレペを買って道路も見ずに渡ろうとしている人がいた。トレペに夢中になり事故にあっては元も子もないのに・・・。
 「空の鳥、野の花を見よ」という主の教えが今更よみがえる。空を飛ぶ鳥の自由さ!野に咲く花の無心なこと!自分が生きているんじゃない、神が生かしてくださるのだと気づく。先へ先へと私を追い立てる脳みそをストップさせ、主の前に口を閉じで静まる。

2020年3月1日日曜日

神の子の道

  コロナウイルスで落ち着かない日々が続きそうだが、こんな時こそ今が四旬節であることを覚えたい。
 今日、主イエスは荒野に導かれて悪魔の誘惑にあう。パンの誘惑、肉体を傷つけない誘惑、力の誘惑だ。
 民衆を魅了する肉のパン。自分の肉体が安全であることの保証。全世界を手中に収める権力。この3つが手に入れば神の国の完成はいとも簡単のはず。
 しかし、主はパンではなく真のいのちに導く救いのパンによって、傷つかないことではなく十字架上で自分の体が傷つくことで、人を力で屈服させるのではなく人が自由意志で喜んで神に従うようにと、全ての人を救ために「神の子としての道」を選ばれた。

2020年2月23日日曜日

直球勝負

 先日、Iさんの召天三年目の記念の祈りがあった。その日、河津桜が満開の墓苑にIさんのかつての仕事仲間であった親しき友人たち数人も集ってこられた。
 Iさんは洗礼の後、3年ほどで召された。その間、入退院を繰り返しながらも神の国の希望を持って、「赦し」と「救い」について身近な人達に語っておられた。そのことを思い巡らしながら説教をさせていただく。
 記念式の後の懇談で一人の方から質問された。「自分が赦されるにはどうしたらいいですか?」まさに直球が飛んできた!他の方も興味津々で耳を傾けている。Iさん、今も天から祈っておられるのだな〜。ここは伝道のチャンスだと、この時を主に感謝した。

2020年2月16日日曜日

一番痛いところだなぁ!

 主は山上の説教で私たちを8つの幸いで満たし、地の塩、世の光だと祝福してくださった。その後で、キリスト者の新しい生活を示される。ドキッとするが今日「心の殺人」「心の姦淫」を戒めてくださる。
 「誰しも腹を立てるくらいは仕方がない」と、どこかで自分にお墨付きを与えてはいないだろうか。法というものは決して内的在り方にまでは踏み込まない。法は外に現れた行為に対して拘束力を持つからだ。
 主は、もう律法に従うだけのトレーニングの時代は終わったと言われる。まさに「行動」ではなく、法では拘束されない目に見えない「心の有り方」が問われている。何と言ってもここが一番痛いところだなぁ!

2020年2月9日日曜日

主よ、憐れんでください

 お隣の国、中国では新型コロナウイルスの感染が止まない。感染者と死亡者の数が日々増え続けている報道に胸が痛む。関係者の苦難を思えば決して他人事でない。主よ、この苦境を乗り切らせてくださいと祈る。
 それにしても、花粉症などでマスクの必要な方もおられよう。が、マスクは品切れ。インターネットで普段の10倍もの値段で転売していると言うから呆れる。
 かつてヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行した。「死の舞踏」に描かれる恐怖は当時の現実だ。また足に大きな腺ペストのコブのあるキリスト像を見たことがある。人々はこれをさすりながら祈ったのだろうか。「主よ、憐れんでください」と聞こえてきそうだった。

2020年2月2日日曜日

でっかくて重い

 昨年の年の暮れのことだ。Tさんが泥だらけのかぼちゃのようなものを持ってニコニコ顔で来られた。
 「家の畑を掘っていたら、こんなのが出てきたよ!」蒟蒻芋だった。「へー、これが蒟蒻芋か!」生まれて初めて見る蒟蒻芋は予想外にでっかくて重い。
 さて今年に入って、4キロのこの芋からKさんが手間暇を惜しまずたくさんの蒟蒻を作ってくださった。作り方を聞いたが、私にはまったく魔法のようだ。
 礼拝後の昼食で、美味しくて食感抜群の手作り蒟蒻を皆で楽しむ。湯河原教会の兄弟教会にも蒟蒻を分かち合った。畑の隅に育った天の恵みは広がって教会家族の食卓に一役かってくれた。分かち合いの幸いだ!

2020年1月26日日曜日

教会家族

 今年も教会の年次総会が近づいてきた。昨年の振り返りをし、新しい年の宣教を思い巡らす・・・このところ、そんな時間を過ごしてきている。
 昨年から教会家族ということを思っている。お互いに欠けはあるけれども補い合って、助け合ってやっていく・・・なんか、いいなーって思う。
 今日、主は人を選んで従えと言う。主に選ばれた者とはキリスト者のことだ。私も日々主の示しに従って眼の前の人と出来事に向き合っている。私は何も誇ることができない。優れているから選ばれたのではない。主はもっとも弱く、貧しい人を選んですべての人を救おうとされている。それが教会家族から始まるんだ!

2020年1月19日日曜日

我が足元の生活から考えてみる

 今日のこの寒さはこの冬初めてと言っていい。さすがに冬だと実感できるのはおかしなことだが安心だ。
 この冬の暖かさは気にかかる。「こんにちは、暖かいですねー」という挨拶が通りでよくかわされている。「これでは夏が心配です」と言われる方もいる。これらは身近に感じる心配ということだが、実際は地球の気候変動が危機的になっているということだ。
 16歳の少女、グレタさんのことが頭をよぎる。彼女の訴えは正しい。私たち大人はこの地球を未来に残すために何ができるのか?「持続可能性」という言葉は18世紀に突然文明の滅びたイースター島の教訓から知った言葉だった。我が足元の生活から考えてみる。

2020年1月12日日曜日

同根なのだ

 平和を願って迎えた新年、飛び組んで来たニュースは暗い。アメリカとイランの紛争は、民間航空機を誤射し、176人もの命が失われる事態を招いた。
 またもや紛争が身近に感じられる。日本の中東海域への自衛隊派遣のニュースを耳にする。大戦中のラジオ放送を聞いているような錯覚を一瞬覚えた。
 平和という時、聖書は私たちの心をまず問う。世界で起きている紛争は海の向こうの出来事ではなく、実は私たちの只中で起こっている争いと同根なのだ。
 さて今年、やっぱり教会家族の交わりを豊かにしたいなーと願う。尊敬し合い、赦し合い、助け合う。私がそうなれたら、世界もやがて平和になるはずだ。

2020年1月5日日曜日

この幸いに感謝!

 2020年が明けた。どんな時にも祈り、どんなことにも感謝する一年でありますようにとお祈りします。
 1月6日は主イエス・キリストの顕現の祭日だ。メシアを示す星に導かれて遥か東方からやってきた三人の占星術の博士達はついにヨセフ、マリア、そして幼子イエスに拝謁し、宝を捧げ、喜びに満たされた。
 幼子イエスを我主として礼拝したこの三人の博士達は私たち皆の代表だ。博士達の姿に私自身を重ねてみる。彼らの姿は主を礼拝する者の原型のような気がした。神の前に謙遜にひれ伏し、喜んで献げ、神の恵みに満たされる。こういう礼拝に心から憧れる。
 年の初め、顕現日を覚えて祝うこの幸いに感謝!

2019年12月29日日曜日

さわやかに This is my mission と言う

 テネシー州にいた頃、車好きの友人Rの家に行くと、中古車を修理していた。当時、経済的に困窮していた母子家庭の母親に車を提供するためだ。かなり年代物の中古車を安全に乗るには数々の部品を取替て修理しなければならないところが山とある。
 庭先に置いた車の下から仰向けのまま顔を出して、彼は明るい声でいった“Hi! Hiro, This is my mission.”(やあ、ヒロ(私の呼び名)、これは僕の宣教だよ)。
 彼は奉仕とかボランティアワークとか言わずに「ミッション」と言ったのだ。キリスト者には「これは私の宣教」というものがある。奉仕して、爽やかにThis is my mission と言う。いいなー!

2019年12月22日日曜日

メリー・クリスマス

 この季節、シュトーレンを探すがマーケットのどこにも見当たらない。今まではドイツからの輸入のシュトーレンが山と積まれていたのだが・・・はて?
 そういえば、今年湯河原はまったくと言っていいほどクリスマスの雰囲気がない?クリスマスソングも聞かないしクリスマスツリーも見かけない。クリスマスグッズの代わりに正月グッズが場所を締めている。
 もしも、巷にクリスマスが無いとなれば、それこそがチャンス到来!この際だから声を大にして言おう。皆さん、クリスマスは教会で祝いましょう。クリスマスの讃美歌を教会で歌いましょう。すべての人の救い主が降誕されました!メリー・クリスマス!

2019年12月15日日曜日

「喜びの2乗だ!」

 アドベントの第3週、今日から喜びの主日が始まる。アドベントクランツのロウソクは伝統的にバラ色も用いられる。喜びそのものである主イエスを、ワクワクして待つ喜びとで、今週は喜びの2乗だ!
 昨日のクリスマス・チャリテ―・コンサートは楽しかったー!こんなに様々なグループをよくまとめ上げたものだ!クリスマス合唱団、子どもやシニア世代のコーラス、そしてプロの演奏家やプロ歌手と・・・。
 歌手、演奏者、コーラスの方、聞きに来てくださった多くの方々、そしてこのコンサートを裏方で支えた方々、皆さんに感謝。みんなで喜びを分かち合えた。

2019年12月8日日曜日

ハレルヤ!

 ルーテル小田原教会では今日、一人の方が洗礼を受けられる。ふと、40年以上前の自分の受洗の時を思い出した。
 「踏み迷うとも大道を外さず。ただ主にありて。ただ主にありて」。恥ずかしながらこれは大学生の頃、受洗記念に頂いた聖書の扉に書き記した自分の言葉だ。あれからずいぶん時がたった。踏み迷うこと、いくたびか!だが、この時の気持は今も変わらない。
 さて、洗礼を受けられる方は80歳に近い。前任牧師から引き継ぎ7年になる。イエス様との出会いは十代の頃という。諸事情から教会生活は途切れ途切、いわば点線のように繋がって来られた方だ。その歩みを主は祝福された。今日救いが彼女に訪れた。ハレルヤ!

2019年12月1日日曜日

壁を崩すために

 さざんか梅雨が止んだとたん、文句なしの冬晴れとなった。酒匂川の堤から眺める雪の富士山が、空の青を背景にまるでバタークリームでデコレーションしたみたいに真っ白だ。てっぺんのギザギザがあまりに見事なので、運転しながら見とれてしまった。
 カーラジオからベルリンの壁崩壊30年のニュースが流れてくる。「人々を排除し、自由を制限する壁はどんなに高くても崩すことができるが、憎しみと不満からできた壁は築いた自らが崩すしか無い」。旧東ドイツの人々の中にできた新たな心の壁、怒りと不満の壁だ。
 主は、目に見えない私たちの中の壁を崩すために生まれた。希望のうちに御子の御降誕を待ちたい。

2019年11月24日日曜日

主の問いかけ

 教会暦では今日は年間最後の主日。12月1日からいよいよ御子のご降誕を待つ待降節(アドベント)を迎える。キリスト教会の新年は来週がスタートとなる。
 誰もが多忙になる季節に入るが、御言葉に養われ、愛の心配りを他者にしながら心豊かにクリスマスを迎えたいと願う。
 最終主日の今日、「終末」について主の御言葉を聴く。
 私たちの人生にも必ず「終わり」が待ち受けている。その終わりに向かってどう生きるか、今日の福音と、主イエスの生き方はわたしたちに問いかけてくる。
 誰にとっても挑戦だが、偉ぶらず、話を盛らず、謙遜に主の前に誠実でありたい。

2019年11月17日日曜日

実は私もなんです!

 小田原からの帰り道、前を行くバイクに近づいた。対向車線は車の列。追い越したいがチャンスがない。
 50ccのカブに股がったバイカーは、何と、レッドブル・ホンダのジャンパーに、ロゴのステッカーがペタペタつけてあるヘルメット姿だ。
 急に親しみを感じた。「あなた、F1のファンでしょう。実は私もなんです!」と、心のうちに語りかけた。内緒だったがホンダF1の密かなファンだ。そして、何よりホンダの健闘に心をおどらしている。
 バイカーはシニア世代に見える。一定速度を守って道路端を疾駆する誇り高い50ccカブに敬意を表す。フィットの私は抜かずに従った。

2019年11月10日日曜日

天を見上げて

 この秋は15号と19号という2つの強烈な台風に見舞われた。つい先々月と先月の出来事だ。千葉県や長野県を始め各地に豪雨を降らせて大きな被害をもたらした。
 被災者の味わった苦痛と今も続いている困難に少しでも寄り添いたい。JELC本教会が連帯献金を呼びかけている。今回も、祈りと献金をもって被災された方々に寄り添うことができればと願う。
 おかげさまで、この湯河原は無事だった。山麓に色づく蜜柑を眺める。今年も収穫の季節を迎えられたこと、主日から主日へ御言葉三昧の日々を送れた幸いに感謝。天を見上げると、胸のすくような高い青空だ。
 さあ、どうだ!と言わんばかりの秋の空。

2019年11月3日日曜日

新米の向こうに

 もう田んぼの刈り入れは終わっただろうか?昔は収穫後の田んぼではよく籾殻や藁くずが燃やされていた。くすぶる煙の臭いに郷愁を誘われたものだった。
 先日、新米を買って食べた。うまい!炊きたてのご飯から田畑の風景や農作業を思い起こすのは至難の技だ。だが、米の袋には田んぼを背景に生産者の写真が印刷してある。この人達が作ったんだなぁと思った。 
 私などはつい腹を満たすため「俺と飯」になってしまう。これが習慣になっていれば、やはりまずい!
 ときには、農作業や雨の日、風の日を通して働いてくださった神さまに気づくことも大事だ。美味しさもまた、そういうゆとりの中にある感謝かもしれない。

2019年10月27日日曜日

トリック オア トリート!

 ず〜っと以前、長男を連れて行った米国で初めてハロウィーンを経験した。衣装の用意がなくて慌てて浴衣を着せてご近所を回った。満面に笑みをたたえたご老人たちがキャンディをトリートしてくれた。
 いつしか立場が変わりハロウィーンの夜は迎える側になった。庭の木々に人工の蜘蛛の巣をかける。玄関のジャック・オー・ランタンに火を灯すと、「歓迎!」のサインになる。そして黒ずくめの魔法使いに変装、キャンディを用意して小さい子どもたちを待った。
 夕暮れ、大人に連れられてお姫様やお化けに変装した子ども達がやって来る。「トリック オア トリート!」・・・昨日のことのような温か〜い思い出。

2019年10月20日日曜日

これこそが要だ

 主イエスは「神の国はわたしたちのただ中にある」と言う。そして身近な材料を用いて実にユーモアとウィットに富んだたとえ話を創作し、自らそれを語る。今の世界が過ぎ去らなければ新しい世界はやって来ないという終末論的な「神の国」の宣教とは一味違う。
 今日のたとえ話は神を畏れず、人を人とも思わない不正な裁判官が、訴えてきた寡婦を助けるという話だ。
 このたとえの意外性は、裁判官が彼女のために便宜を図ってやったその理由にある。うるさくてたまらないという人間的理由によって弱い立場の寡婦は救われたのだ。裁判官の胸の内など誰が知り得よう!「諦めず祈る」は無駄ではないどころか、これこそが要だ。
(ルカによる福音書18章1〜8節)

2019年10月13日日曜日

静まれ!

 近年にない大型台風の来襲に危機感が強まる。私も今回はさすがに定番の防災グッズをゲットした。
 一ヶ月前の台風では長期の停電と断水が起きた。通信手段の確保のために早速、乾電池式モバイルバッテリーを買いに電気店へ。しかし、売り切れだ!やむなく車から電源を取るアダプターを購入して帰ってきた。
 今朝、教会の周りにある諸々のものを教会の玄関と裏口につぎつぎに取り込む。断水に備えて水も汲み置いた。自然を相手に十分などということは到底ありえないが、できることはやったように思う。
 刻々と入ってくる台風情報に不安がます。しかし、心を沈めて祈る。「静まれ!」との主のみ声を聞く。

2019年10月6日日曜日

からし種ほどの信頼でいい

 十字架に向かう主イエスの旅は今日もエルサレムに向かって一歩一歩進んでいく。最後となるエルサレムへの道すがら主は弟子たちに言われた。「からし種ほどの信頼でいい。あとは神が働いてくださる」。
 からし種は胡麻つぶとほぼ同じ大きさの種だそうだ。だが、いくら小さくても種は種。種がなければ芽は出ない。さて、困った!からし種はどうしたら調達できるのだろうか??
 種まく人である主は言われる「安心しなさい、種はすでに蒔かれた」。そして、主は今まさに私たちに水を与えてくださる。「路傍に蒔かれず、岩地に枯れなかった良き芽生えとなれ!」と慈しんで育ててくださる。

2019年9月29日日曜日

ヒガンバナの賛美

 小田原教会の掲示板の下にいつの間にか彼岸花が咲いた。こちらは全く世話をしないのに毎年この季節になると咲く。スクッと空に向かって両手のように伸びた赤いその姿が主の恵みと栄えを賛美しているようだ。
 さて、我が家の庭にも?と見るが一輪もない。例年だと彼岸花がいっぱい咲くのだが、夏の終わりに雑草と一緒に球根までも掘り起こしてしまったらしい。雑草、そのままでよかったかな・・・と今にして思う。
 何もしないほうが良いときがある。何もできない時すらある。だが、いつでも、どんなことにも主に信頼を置いて感謝して生きてゆく。さあ、赤い彼岸花のように両手を天に向かって上げる。主よ、感謝します!

2019年9月22日日曜日

普段が不断であるように

 やっと一息つけるようになった。何と言っても扇風機の風より自然の風は快い。我が家の猫たちも風通しの良い場所を見つけてそれぞれのんびり過ごしている。こんな穏やかな日々があることが心底ありがたい。
 先日のこと、末猫のメルがまた行方不明になった。今度は4日ぶりに飛び込むように帰ってきた。いたずらでお困り猫だが、皆んな揃ってこそやっと落ち着ける。
 普段が普段どおりであることのありがたさは知っているつもりが、こんなことでもなければつい忘れる。
 「普段」は「いつまでも続くこと」という意味で、本来は「不断」と書くそうだ。こんな当たり前のような日々も暗雲に閉ざされる日々も主の恵みの中にいると知る。

2019年9月15日日曜日

分け合って食べる

 こんな言葉に出会った。「『共に食事をすること』が、一緒に食事をする人同士の絆を作り、確認し、深めるものであることは、ほとんどすべての民族・文化に共通することだ。食べ物を独り占めせずに、分け合って食べるというところに、人と人とのもっとも基本的な『共に生きる姿』がある」。
 主は今日も社会からはみ出されてしまった徴税人や罪人を招いて一緒に食事をする。彼らは見失われた羊、見失われた銀貨だ。社会が受け入れないこれらの人達との食事は主イエスの生き方をよ〜く示している。
 私も見失われた羊か銀貨だった!救われたありがたさが身に沁みる。パウロの宣教の原動力もこれか!

2019年9月8日日曜日

くも

 「くも」という詩がある。“空が青いから白をえらんだのです”これは奈良少年刑務所の受刑者の一人である
A少年が書いた詩だ。
 日頃寡黙な彼が語った。「お母さんは病院で『つらいことがあったら空を見て。そこにわたしがいるから』と僕にいってくれました。それが最後の言葉でした。お父さんは体の弱いお母さんをいつも殴っていた。ぼく、小さかったから何もできなくて…」。彼は青空を見て、まっ白でふわふわのおかあさんを感じている。
 朝夕に涼風の感じられるこの頃、青空に綿のように白い雲が浮かぶのを見ながら、たった一行に込められたAくんの思いの深さを知ったような気がした。

2019年9月1日日曜日

天下無敵のオシロイバナだ!

 教会の横の道ぎわにある電柱と地面の隙間からオシロイバナが自生して3ヶ月ほどになる。威勢よく茂って黄色い花がいっぱい咲き、さわやかな花蜜の香りが漂う。
 こんなわずかな隙間からよくもまあ…と思うとチョット感動的だ。きっと、アスファルトの地面の下には想像以上に潤沢な水があるに違いない。
 全く野放図に茂っていて、少々通りの邪魔になるのではと思うが、枝を折ったりする人もなく、枝を轢いて行く車もない。天下無敵のオシロイバナだ!あれはあれで通りゆく人も驚き半分で眺めているのかもしれないな。
 直径3ミリに満たないコロコロ種をこんなところで育てるなどとは、やっぱり神の業に相違ない!

2019年8月25日日曜日

はじめの一歩は

 昨日、8月恒例となった「平和を想う集い」で、沖縄で生まれ育った岡田和枝さんが謡三線にのせて語った平和への想いは生の声だった。私たちは基地の島の抱える重荷を少しでも荷なわなくてはなるまいと思った。はじめの一歩は聴くこと、知ることから。
 また、平和のメッセージで紹介された日野原先生の言葉が印象的だった。国同士の争いと子供同士の争いは実は同一線上にあるという。全くだ!これこそキリスト者の視点だと深くうなずく。
 晩年の日野原先生は「命の授業」で子ども達に「ゆるす」ことの重要性を訴えた・・・仕返しではなく、どうしたらゆるす事ができるのかを考えてほしいと。

2019年8月18日日曜日

浦島太郎のような時を過ごした

 休暇をいただいて、米国ワシントン州に住む二女のところへ行って戻ってきたら、まるで浦島太郎のよう。
 たかだか一週間なのに、現実に適応するのにちょっと時間がかる・・・・留守中の手紙を開く…信徒さんが「帰ってきた?」と顔をだしてくださり…滞っていた電話をかける少しずつ現実に戻される。
 留守の間ご近所の方々にお世話になり、猫たちも教会の庭の花々もみな元気だった。この度は、ご近所の助けがなければとても実現しない休暇だった。ここに住んで7年目という年月を実感した。
 休暇中、暫し何もかも忘れて解放された。ああ、浦島太郎のような時を過ごしたなぁ〜。感謝だなぁ〜!

2019年8月11日日曜日

主よ、感謝します。

 米国に住む二女ところにやって来た。シアトルから車で北へ一時間、州都オリンピアの郊外についた時、針葉樹の間を吹き抜ける涼やかな風が吹いていた。
ここは日本の暑さとは程遠い涼しさだ。日本での流れるような汗の日々のことを思えば、この涼感はまるでヘブン(天国)だと思った。
 今朝、庭に出てハーブのルッコラを摘んだ。地元の燻製サーモンとクリームチーズ、それに娘が焼いたパンでサンドイッチを作った。コーヒーと一緒に朝食。
  週末には長男夫婦もやって来る。日曜日にはそろって教会だ。礼拝堂に腰掛けて主のみ言葉と聖餐にあずかるこの幸せ!この喜び!主よ、感謝します。

2019年7月28日日曜日

主はにこやかに笑って

 先週末、カンナの葉っぱに蝉の抜け殻1個を見つけた。そして気がつけば、海岸線から眺める海や空や雲の色合いも急に夏の色に変わっている。いよいよ夏到来、これから一気に暑くなりそうだー!
 さて、この夏の暑さをクールダウンさせてくれる主のみ声が今日も注がれていることを我が心に刻む。
 イエス一行を迎えて忙しく立ち働くマルタのヒートアップが想像される。しかし、「マルタよ、マルタ、まあ、ここにおすわり。そんなに頭にきてはいけないよ。先ず、私の言葉に耳を傾けて・・・」と主イエスはにこやかに笑って言われた気がする。主の微笑みを見てマルタはハタッと我に返った。ホッとした!!

2019年7月21日日曜日

希望はいつも天にある

 このところ叔母の様子が少し変わってきた。朝から眠ってしまうらしい。食事の後ばかりか、食事の最中にも。食事の量がこれまで半分になってきたそうだ。
 「いつまでこうしていなきゃならないのかしら」と叔母が言う。「みんなが、叔母さんが元気にしてくださっていることを励みにしています」と答える。叔母が言う、「そう、それならもう少し頑張らなきゃね。皆さんにお祈りありがとうと、伝えてください」。
 主、我を愛す 主は強ければ 我、弱くとも恐れはあらじ・・・叔母と共に賛美と祈りを捧げる。恐れはない。御言葉はいつも叔母の近くにあり、叔母の口、叔母の心にある。私たちの希望はいつも天にあるのだから。

2019年7月14日日曜日

感謝の張り紙をだす

 帰ってくると、いつも「おかえりなさーい」と出迎えるはずのやんちゃ猫メルの姿がない。結局、翌日になっても帰ってこなかった。メルの初めての家出だ。
 心配ばかりするよりはと「迷い猫」の張り紙をだす。ご近所の方々が張り紙の前で足を止めて行く。そのメルは二日目の夜に突然帰ってきた。主に感謝!
 次の日、メルを見て「帰ってるよ、ほら!」と指さして通る人達。わざわざ車を止めて、「戻って来ましたか?」と尋ねてくれる方。有り難いな〜。
 我が家の“お困り猫”を皆さんが気にかけてくださってと、人の暖かさにも感謝した。早速「戻って来ました。ありがとうございました」の張り紙をだす。

2019年7月7日日曜日

ホウジャクだとわかった

 この季節、夜ともなると今までになく大きな蛾が飛び込んでくる。どうやらスズメガらしい。はて?このあたりの樹木の環境の変化だろうか。
 そういえば、先日、庭木のあたりで一瞬ホバリングしていたかと思えば、ものすごいスピードで目の前をビュ〜ンと横切って飛んでいく小さな飛行物体を見かけてポカンとした。まさかハチドリがいるわけはなし、蝶にしてはスピードが凄すぎる。後から昼行性のスズメガの一種、ホウジャクだとわかった。
 さて、今夜もいつの間にか壁にひっそりとスズメガが静止している。猫に気づかれぬよう、そっと忍び寄る。家人のレスキュー癖に私も感染したようだ。