2021年11月28日日曜日

祈りが継がれた

 梅北美智子さんは『聖書日課』の教会を覚えて長年にわたって祈りの葉書を出し続けてこられた。その彼女が今年5月5日天に召されたということを知った。

 湯河原教会も祈りの葉書を何度か頂いたことに改めて感謝したい。「高齢のためにとうとうこの働を諦めざるを得なくなりました。心残りですが今回が最後になりました」という葉書を頂いて二年ほどになる・・・。

 葉書一枚を書くのは特別のことではない。が、何年にも渡って毎日力の尽きるまで書くのは平凡ではない。

 今日一枚の祈りの葉書が届いた。梅北さんの祈りが誰かに受け継がれたのだ。待降節、新たな希望を一枚の葉書にも見る。地に平和、み心にかなう人にあれ!


2021年11月21日日曜日

聞こえていなくてもの感謝!

  久しぶりに問安に伺った。いつもZOOMで礼拝に参加されている〇〇兄弟が遠慮がちにおっしゃった。「先生の説教の声が全く聞こえないんです」。このところ他の方からも似たようなことを聞いていたのですぐにZOOMの実験をしてみた。なんと、WiFiマイクが接続されていないなかった!さっそくアダプターを購入。これでもう大丈夫、ご安心ください。

 それにしてもZOOMで礼拝に参加し続けてくださった兄弟姉妹の愛には感謝する。聞こえないのに、礼拝での交わりを大事にしてくださっていたのだ。

 今日、「真理とはなにか?」のピラトの問に、私は「神の愛」だ、「主イエスの慈しみ」だと答えたい。


2021年11月14日日曜日

あったか〜い思い

 兄弟教会の小田原教会では、すっかり伸びてしまった庭木の剪定のために植木屋さんをお願いした。

 植木屋さんは一本一本の木を丁寧に見てまわって言う。「花梨は日光が好きで、前に建物が建つと花は咲いても実はつけられないな〜」。「梅はもう枝に花芽をいっぱいつけているので、今剪定すると来年の花は咲かないねー」。植木屋さんが木の性質に詳しいのはプロなのだからよく分かるが、私がそれ以上に感心させられたのは木たちへのあったか〜い思いを感じるからだ。

 一本一本の木への配慮を聞きながら、なんだか似てると思った。こんな自分なのに、慈しんで心配りしてくださる神の親心が急に身にしみる気がした。

2021年11月7日日曜日

天から始終話しかけてくる

  穏やかな小春日和から始まった11月、青い空に白い綿雲がのんびり浮かぶのを見ていると、不思議にも天国があの空の彼方にあるように思えてならない。

 天国はきっと平和で、穏やかなところだと思い描く一方で、召された方々は喜びに満ちて、生き生きと新しい命に生きているという思いがしてならない。

 昨年召された叔母は、このコロナ禍で未だ納骨も済ませず、箱に入ったまま我が家にいてもらっている。箱の上に叔母の手のぬくもりのする聖書と讃美歌をのっけてテーブルの上にいてもらうのにすっかり慣れた。

 しかし、叔母はこの箱からではなく、天から始終話しかけてくる。「あらあらヒロちゃん、しっかりねー!」。

2021年10月31日日曜日

「けだし・・・」と

  今日は宗教改革日。1517年、今から504年前の10月31日、我らがルター先生はヴィッテンベルク城内にあった教会の門扉に『95ヵ条の提題』を発表した。それが宗教改革のスタートとされている。

 今、『ローマ書講義』を水曜日の会で読んでいる。それは若きルター先生が中世期のドイツ語で講義し、学生たちが筆記したものだ。戦後まもなく日本語にも翻訳されて、今こうして手にしている。ルターが命がけで説いた恩寵義認の500年余の歴史に繋がりたい。

 難解な言葉使いと読めない熟語に閉口するが、だからこそ一つ一つの言葉にいっそう奥行きを感じる。「けだし!」とルター先生の肉声が私たちにも飛んでくる。

2021年10月24日日曜日

わたしを憐れんでください

 「わたしを憐れんでください」と盲人バルティマイがイエスさまに呼びかけているが、これが彼の言い表した信仰だと言うことを今日の聖書は伝えている。

 天空を仰いで見回してみても、雲ひとつ無い澄みわたった青空というものにもし出会うとすれば、このバルティマイの信仰のようだとは言えないだろうか。それくらいバルティマイの主への呼びかけはいさぎよい。

 言ってみれば盲目の彼は主と彼の間をはばむものを前にしても、「イエスさま、私はここにいます!」と主を信じて叫んでいるのだ。

 これ以上の呼びかけは無いと思った。今日も礼拝で「主よ、憐れんでください」とイエスさまに呼びかける。ギリシャ語で「キリエ・エレイソン」と。

2021年10月17日日曜日

偉くなりたかったら

 私たちの思い込みも、こんなものなのだろう。人間らしさが出てしまった今日の弟子たちの会話だ。

 二人の弟子がイエス様に「栄光をお受けになったその暁には私たち二人を一番重要なポジションにしてください」と願う。すると、他の弟子たちが「よくもそんな抜け駆けをして!」と怒りだす。

 私たちにしても同じだが、イエス様は「私こそが」という自意識を否定なさらない。「栄光」が「十字架の死」だと三度言われてもピンとこない弟子たち。

 「偉くなりたかったら、すべての人の僕になりなさい」とイエス様はこの機を捉えて教えてくださった。

人には偉いようには見えない「偉い」があるのだ。

2021年10月10日日曜日

元野良猫の順応力

 先日、飼い猫のメルが足に怪我をして、結局、入院手術となった。翌日、メルの様子を見にゆく。右前足に包帯、首にカラーのメルはケージの奥で横になっていた。痛みが和らいだのか幾分リラックスして見える。

 「メル!」と呼んでも私にはそっけない。すると看護師さんが嬉しそうに言う。「昨日はシャーシャーと怒ってたんですけど、今日は私にスリスリしてくれるんですよ」。そう云われて私はなんだか複雑な気持ち。

 猫に「理屈」は通用しないが、「お前を可愛がっているのはこちらだぞ」と思った。家に戻れば、また感謝と大好きの「スリスリ」が始まるかな?それにしても、人の情を外さない元野良猫の順応力には脱帽!

2021年10月3日日曜日

興味津々

  生後6ヶ月になった孫のビデオがスマホに送られてきた。

 ウーウーとしきりに声を上げながら鏡に向かってハイハイして行く姿。孫は鏡の中の自分に興味津々、突進して頭をゴツン。何度も何度も手を伸ばして触ろうとしている。だが、もちろん触れない。孫にはその姿が鏡に映る自分の虚像だとは理解できないからだ。

 私たち人間は鏡に映して自分の像を見るが、自分の肉眼で自分の実像を見ることは決してない。しかし聖書という鏡は私たちの像も心も映し出してくれる。聖書に映し出されながら自分を知る。日々救われて「あなたは神の子」だと知るのは素晴らしい。

2021年9月26日日曜日

100%と0%

  説教の準備をしていて、ルターの言葉の中に「神の救いは、私たちが何かをするからでなく、それ自らの力によってなっていくものだ」という箇所があったはずだと思った。しかし、それがどこに書かれているか、どうしてもわからない。大先輩のK牧師に電話で教えを請うと先生はすぐ答えてくださった。

 「それは『恵みのみ、信仰のみ、聖書のみ』というルターの信仰を解釈するところから生まれた言葉だ」と教えてくださった。それから先生は、「救いは、神が100%、人間は0(ゼロ)%。けれども、神の御業への応答では人間が100%だ」というふうに教えてくださった。なるほど!すごくよく分かるな。

2021年9月19日日曜日

こんなところに主はおられる

  コロナ禍の続く中では、孫達とは会えないのでインターネット上に送られてくる写真を見て満足する。

 画面の孫たちの様子にニッコリしたり、えーっと驚いたりしながらも、息子や娘の子育てぶりが垣間見える。気になることがあっても、言葉にはしない。

 ところで今日、主は「このような子どもの一人を受け入れよ」と言われる。この場合、子どもは「力のない者、弱い者」の象徴だ。こういう社会的弱者のところに主イエスはおられる。居心地が良くないところ、弱さのあるところで主は私たちを待っておられる。

 自分を誇るのではなく、謙遜な奉仕のこころのあるところに主はおられると知らされた。

2021年9月12日日曜日

虫の音をききながら

  秋の虫の大合奏が牧師館でも聞こえるようになった。夜9時、日中の暑さはどこへやら。ひんやりした空気の中で聞く虫の音はなんとも良い気分である。

 この夏、中東ではもはや気温50℃超えは当り前となったというニューズウイークの記事を読んだ。極端な気温上昇と干ばつ、森林火災。都市はヒートアイランドと化し、水不足、電力不足でエアコンも使えず、難民大量発生の懸念もあるというものだ。

 地球と被造物は単なる「資源」ではない。私たちの共通の家だ。被造物はただ存在するだけで価値がある。ジジジジ、チリチリ、リーンリーン、秋の虫の音をききながら神の被造物への愛を想う。

2021年9月5日日曜日

パラリンピアンから力をもらう

 9月に入った途端、この夏の熱波は去った!目覚めて今朝の涼しさに驚く。ほんとうに感謝だ!

 この夏は今までになくパラリンピックをラジオ観戦した。こちらの方の応援はどれだけ熱くても熱すぎない。印象的なのは、多くのパラリンピアンがメダルを取る事も大事だけれど、自己ベストに挑戦したいと抱負を語っていることだ。自分の限界を超えることに向かって頑張る姿には一種の清々しさを感じる。

 「がんばれー!行けー!行けー!」とマイクに向かって絶叫している解説者の声に、このアスリートたちを支えて生きてきた縁の下の人々の存在を思った。

 「自分の限界に挑戦」か!この言葉に勇気をもらう。

2021年8月29日日曜日

リメンバー・ザ・キューカンバー

  以前、米国のルーテル教会の礼拝での出来事だ。

 牧師が聖壇の前に集まった子どもたちに、貧しい人たちに何ができるだろうかと問いかけた。

 大きな子たちから順番に答えて、最後は4歳のジョシュア:「僕、キューカンバー(胡瓜)をあげる」

牧師:「???どうしてキューカンバーなの?」

ジョシュア:「だって僕、キューカンバー嫌いだから」

 聖堂の大人たちは爆笑した!礼拝が終わって帰る時、“Hiro , Remember the cucumber”(ヒロ、胡瓜のこと、覚えていようね)と、友人は私に向かって笑顔でウインクした。モチのロンで神様はジョシュアのキューカンバーを喜んでくださるに違いない。

2021年8月22日日曜日

献身者を求める祈り

 「私たちの主よ。

あなたは、キリストの体である教会を私たちに与えてくださいました。この恵みに心から感謝いたします。

教会に連なる私たちをキリストの枝として教会の働きのために用いてください。それぞれに与えられた役割を、喜びと感謝をもって担うことができますように必要な力を与えてください。

福音宣教の働きへと召される献身者を起こしてください。また献身の思いを与えられ、牧師を志して神学校で学ぶ神学生を導いてください。そのために神学校で働かれる方々を支え、その働きを祝福してください。

私たちの主イエス・キリストのみ名によって祈ります。」

2021年8月15日日曜日

聖餐は嬉し

  訪問聖餐を思い出す・・・主に出会えてこんなに嬉しいことはないと涙して聖餐に与った兄弟のこと。ベッドの上で居住まいをただし、聖餐の前に頭を垂れて、まるで幼子のようだった姉妹のこと。聖餐を受けたあと、安心に満たされて召されて行った姉妹のこと・・・。

 主イエスはご自身が命のパンであると宣言された。それは、主イエスだけが、私たちの魂を育み、たとえ人に失望させられても「神に愛されている」と確信させてくれて、困難な時でも愛し、ゆるす力を与え、さらには永遠の命を与えてくださるからだ。

 私は想像する。一信徒として聖餐に与る時には恵みと感謝でいっぱいでニコニコしてしまうだろうな!

2021年8月8日日曜日

これほどわかりやすい地図はない

 友人が世界地図を送ってくれた。A3のコピー用紙4枚に収められた地図に、国名だけが記載されている。

 手紙に、「オリンピック開会式の選手団入場をみながら、自分の知らない国の名前があまりにも多いのに驚いた。これは小学生向けの学習地図だが、世界の国の名前と位置を知るにはこれほどわかりやすい地図はないと思ったので送ります」とあった。

 改めて地図を見る。戦争、政変、民族紛争などの結果だろう、多くの国名の変化に気付かされて驚いた。

 不動の位置を占める大国の間にある小さな国々の名前を追う。ここにどれほど血の犠牲が払われたことか!知ることから始める平和への道があると思った。

2021年8月1日日曜日

蝉、夏の応援歌を歌う

  青空に真っ白な入道雲!熱い太陽に届けとばかり蝉が鳴く。「ジージージジジィー」夏の応援歌のようだ。

 毎夜、蝉は人が知らないうちに羽化するらしい。朝玄関に出てみて、いくつもの蝉の抜け殻を見つける。草や木ばかりか庭石の上、ホースやバケツにまでも。

 先日のこと、履こうとした履物に蝉の抜け殻があって、その隣にまだ孵化したての蝉がじっーとているのを見つけた。その履物をそのまま玄関の外にそっと置いて、別の履物をはいて出かけた。

 しばらくして帰ってみると、蝉はめでたく飛び立ったらしい。私は安心して履物をはいた。繊細な細工物のような抜け殻をあじさいの葉の上にそっと置く。


2021年7月25日日曜日

慌ただしさに忙殺されずに

  オリンピックの開会式をビデオに撮った。最初のところだけ少し見て、あとはビデオで見るつもりだった。ところが、見始めると引き込まれてしまって途中で止めることができずにとうとう終わりまで見てしまった。

 翌朝は予定があった。電話もかかってくるし、人もやってくる。当然気ぜわしくなった。そして思った。慌ただしさに忙殺されない心のときは大事だ。自分のすることだけに捕らわれないでいることで、他者に気づき、他者の痛みや必要としていることに気づける。

 思いやりは静かで穏やかなこころから生まれるように感じる。沈黙の時は大事だ。オリンピックはリオの時のようにビデオで見よう。後からゆっくりと。

2021年7月18日日曜日

まことの羊飼い

 「飼い主 我が主よ 迷う我らを 若草の野辺に導きたまえ・・・我らは主のもの 主に在りて生く」この讃美歌を歌うと詩篇23篇が思い起こされる。 

 真に良い牧者である主イエスは飼い主のない羊の群れのような群衆を目の前にして深く憐れんでいる。この人達はどこへ行けば平安が得られ、どっちに進めば自分らしく生きられるのか分からなくなっている。目的地にまで安全に導いてくれる牧者の存在は大きい!

 そういう私もイエスと言う大牧者に導かれるまでは、迷いに迷った!だが、今はどうにかして隣人を案内したい。「主のもとへどうぞー!草も水もありますよ〜」。

2021年7月11日日曜日

肩をポンと叩いてくれる

  熱海の土砂災害はすぐ近くで起こった。このときの実際の土石流の様子をインターネットで見たが生々しすぎてSFXかと思ったくらいだ。

 湯河原の私たちを気遣って電話がかかってくる。予想せず懐かしい人達と旧交を温めることになった。

 時間の経過とともにこの土石流の原因は山の斜面の盛り土らしいとわかってきた。目的を達成するために人間は頭を最大限に駆使し、計画をめぐらす。

 目的のために只計画するならそこには欲望と頭脳があるだけで神への畏怖はない。いつも横にいて、必要な時に私の肩をポンと叩いて黄色信号を出してくれるイエス様の存在はほんとうに有り難い。



2021年7月4日日曜日

実りを得た!

 主イエスは12人を二人ひと組で、杖一本のほか何も持たせず、「着の身着のまま」で宣教に送り出された。

 この12人のいかにも軽々とした旅姿を思い描いてみた。そして、かつて旅行に出かけた時などの自分のパンパンに詰まったリュックサックを思い出した。

 旅先でのいろんな状況を想定して「これも要るかもしれない」と考えると持っていく物が増える。膨れた荷物を前に再度選び直すということもやっていたなー。

 ところがこの12人は主から「汚れた霊を制する権威」を授けられたほかは無一物同様で送り出されている。物に頼らず、見えない霊的主イエスとの三人四脚を心に頼んで、12人の宣教伝道は実りを得た!

2021年6月27日日曜日

キリストがきっと触れてくださる

  新型コロナワクチンの接種が進む中、私も一回目のワクチン接種を受けた。ワクチンによる集団免疫という可能性までの道のりを思うが希望を持って待つ。

 コロナ禍が何ヶ月も続いて、暗闇が覆っているように感じられる時がある。そんな状況でも夢と思い出と祈りの道のりを歩む中、主キリストと共にいることで主は私たちに新たな旅路を進む力を与えてくださる。

 女性会が古着プロジェクトに取り組んでいる。アフリカのより貧しい人々との分かち合いができるなら、それは主の心を届けることになる。コロナ禍の中で、生活上の困難を抱えて忍耐している全ての人々の心に慈しみの主キリストがきっと触れてくださる。



2021年6月20日日曜日

あの人は、イエス様だったに違いない!

 以前、テネシー州に住み始めた頃、一時帰国する家人を空港まで送った。帰りの夜のドライブ、空港を出たところで一つ道を間違えた。夜の暗がりで周囲の様子が見えなかったからだ。知らない土地の知らない場所!ひたすら眼の前の道を走り続ける。パニックだった。

 やっと見つけたガソリンスタンドで、スイートウオーターへの道を尋ねると、一人の人が、「私のあとについて来て。そちらの方に行くから」と申し出てくれた。

 その人は私の目指す町への分岐点のところまで先導してくれ、交差点で窓から手を振って合図を送ってくれた。感謝と安堵の思いが胸にあふれてきた。今でも思う。あの時のあの人は、イエス様だったに違いない!

2021年6月13日日曜日

「からし種」がいっぱいだ!

  以前、からし種を5,6粒もらったことがある。それは胡麻より遥かに小さかった。撒いてみようと思ってはいたものの、いつの間にか無くしてしまった。「あれはなんとも惜しい事をした!」と今にして思う。

 主は「神の国」をこの吹けば飛ぶような小さなからし種にたとえている。この種はどんなに小さくても種なのだ。種が本物で生きていれば、いつかそれは必ず大きく成長していって、大きな実りがもたらされる。

 たとえみすぼらしく、弱々しく、こんなのでは何にもならないと思われるような現実にも神の国の「種」を見ていくとしたら、私たちの身の回りには「からし種」がいっぱいだ! そしてそれは大きな実りとなる。

2021年6月6日日曜日

脱帽です!

 このコロナ禍の上に健康上の問題もあり、教会に来ることができない方と私はよくメールや電話でお話をする。Qさんは今、孤独である。教会に友達と呼べるような方を求めておられることを知った。

 さっそく、教会のPさんに電話をして「この方の話を聞いてあげて、友達になっていただけないか」と遠慮がちにお願いしてみた。Pさんは、私が思っていたとおり気持ちよく引き受けてくださった。

 が、この後にPさんの言われたことが私の想像を超えていた。「私がQさんの友達になるというより、Qさんの方が私の友達になってくださるのだというふうに思います」。この謙遜な言葉に、私は脱帽した!

2021年5月30日日曜日

主の弟子ニコデモ

  画家カラヴァッジョの傑作「キリスト埋葬」に、ニコデモはキリストの下半身を支える姿で描かれている。中央の重要なボジションで描かれたのは、この絵にニコデモの主の弟子としての姿を描きたいという画家の思いではなかっただろうか。

 キリストが十字架刑で殺された時、ニコデモは側にいてキリスト埋葬に重要な役割を果たした。ここに描かれているニコデモの姿や表情は見る者の心を打つ。

 ニコデモはある夜、主イエスを訪ねた。その時からニコデモの中で何かが変わった。聖霊の風が吹いた。正しさに生きる律法の世界ではなく、神の愛と赦しの世界に生きるよう導かれた。聖霊の風は、今も吹く。

2021年5月23日日曜日

楽しんでいます

  いつもはこちらが手紙を出すと返事をくださる長期入院の方が、今月は先に手紙をくださった。

 いつもは決まって「早く教会に行きたい」とあるのに、今月はちょっと調子が違う。「僕はギターを楽しんでいます。詩も楽しんでいます。筋トレも楽しんでいます…教会の皆様の上に主の平和をお祈りします」。

 入院生活にコロナ禍では不自由の二乗なのに「楽しんでいる」というのはとてもいいなー!この方の中に心のユトリみたいなものができて、私の心がほころぶ。

 私たちの日々の生活の中に、私たちの集いの中に、今も神が、キリストが共にいて、何かをしてくださっている。目に見えないが、それが「聖霊」の働き。

2021年5月16日日曜日

主の昇天を思いつつ

  新型コロナワクチン接種の申込みのため電話をした。 予想通り全くつながらない。二度目はHPから試してみたが、予定とにらみ合わせてまごまごしているうちに予約は埋まってしまった。わずか数分の出来事である。

 いずれ接種は受けられるのだから、予約できる時まで待つとしよう!ワクチン競争曲を聞き流し、名前も知らない小鳥たちのさえずり協奏曲に耳を傾ける。ここはいいなー。鳥たちと彼らの住処である青葉があふれている。

 ちょうどベタニアもこんなだっただろうか?緑豊かなベタニアはマルタとマリアの家、それに香油が注がれたシモンの家がある。懐かしいベタニアから私たちを祝福しながら主が天父のもとへと昇られた出来事を思う。


2021年5月9日日曜日

安心な居場所

  そこは乳幼児を含む家族四人が暮らす住居だ。二つの小さなベッドルームと小さなダイニングキッチン、そしてやはり広くはないリビングルームがある。

 ベッドルームの一つはこの家の主人の仕事部屋となっていて、居住空間には家具や日用品が溢れている。

 今、この家の猫は闘病中でそう長くはないらしい。リビングの窓際に低めでゆったりしたキャットタワーが置かれている。ここでなら病気の猫が安心して体を横たえることができるにちがいない。

 キャットタワーのその脇にベビーベッドが置かれているのを見て、私はハットとした。そして、病気の猫にも子供と同じように居場所があるのに感謝した。

2021年5月2日日曜日

主につながっていよう

 私はぶどうの木のたとえが大好きだ。

 こういう見方が科学的かどうかわからないが、葡萄の木は同じ果物を実らせる木と比べてちょっと違う。

 例えば幹と枝がはっきり区別できる林檎や蜜柑の木に比べ、葡萄の木はどこまでが幹でどこからが枝なのかはっきりしない。「わたしはまことのぶどうの木、あなた方はその枝である」と主が言う時、私達は主イエスと一緒に一つのぶどうの木を形作っているのだ。

 慈愛の父である農夫はせっせと私達を手入れして、実がなるようにと育ててくださっている。育ての父が見守ってくださるこの安心感!このぶどうの木のイメージは私を力づけ、また幸せにしてくれる。

2021年4月25日日曜日

たぐいなきみ恵みよ

  「われ見たり 御子イエスを 緑の木陰に…(教会讃美歌105)」。今の季節、この様子が現実のように迫ってきて、復活の主をふと身近に感じることがある。

 4月は、主の育ったパレスチナ地方も新緑が美しかったのかなぁ。麦は新しい穂が出て、葡萄の葉は柔らかく茂り、いちじく桑は若葉をゆったり広げていただろうか・・・今と重ねてそんな風景が目に浮かぶ。

 「私は生きているよ。ほら、あなたのすぐ近くの緑の木陰をごらん!」と、主の声が聞こえるようだ。

 私達の日々にはいろんな事が起こるが、全ては御国へのプロセスの中にあることだ。今日も良き羊飼いの主は私達を導いてくださる。「さあ、ついておいで!」

2021年4月18日日曜日

復活の主はプラクティカル

  復活の主を見て「亡霊だ!」とうろたえる弟子たちに、主は手と足を見せてくださった。その上「まさしく主だが、これは現実だろうか?」と疑う彼らに、主は焼いた魚まで食べて見せてくださった。

 復活の主は弟子たちにくどくど小言などは言わず、どこまでもあるがままの彼らを受け入れて、「復活の証人」となるようにプラクティカルに教えてくださった。この復活の主に教えられ、励まされて今日も過ごせた。

 一日の終わりに思う。それは主の私達への慈しみのせいばかりではなく、主の証人となるよう期待しているからだ。罪の過去ではなく赦された未来に向かって進めという復活の主が示した有り難い実践なのだ。

2021年4月11日日曜日

復活の主に会える!

  主キリストの復活は何よりも嬉しい。この春の美しい季節に主は復活されたと思うと、小田原への行き来は格別の恵みに感じられる。山々の緑の梢に主はおられ、振り返る私の肩越しにやさしい主の気配を感じる。

 いつの間にか「主の祝福を!」と祝福を送りながら通り過ぎるのが日課となった。まずは石橋付近で、決まって見かけるマスク姿で杖と手押し車のおばあちゃん達。小田原市内に入って、動物病院の前で順番待ちをしている物言えぬ病気の動物達。山王橋付近で必ず出会う障害者の天使君。どういうわけか、祝福を願いながら私の方が元気になってゆくから不思議。

 今日も弱さの中に共におられる復活の主に会える!

2021年4月4日日曜日

小さな自然を通して

  気がつけば、いつの間にか教会の小さな庭に色とりどりの花が肩寄せ合って咲いていた。今日、主キリストの復活を祝うファンファーレがこの庭から響く。小さくてあどけない花の花弁一つ一つから、弾けるようにパンパラパ〜ンと天に突き抜けていく。

 感染者がまた増え始めた。不安になって、心や体を病んでしまう人々もいると思う。

 しかし、神は、小さな自然を通して神のご計画が進んでいることに私の目を向けさせてくれた。このコロナの時、心を合わせ、共同することは何よりも私達を元気にする。今日、イースターを迎えて、何があろうとも、天の父は、私達を愛しておられると確信する。

2021年3月28日日曜日

これが愛

  四旬節最後の主日は枝の主日とも呼ばれ、今日から主の受難の週が始まる。人々はシュロの枝を振りながら「ホサナ、ホサナ!」と歓呼の声で主を迎えた。

 しかし弟子たちはその週の木曜日、最後の晩餐と洗足の後、ゲッセマネで主を裏切って逃げ、主はその夜一人ピラトの前で裁かれる。翌金曜日、主は十字架を背負ってゴルゴダの丘へ。主は十字架につけられる。

 今週は主イエスの「受難・死から復活のいのちへ」という「過越」の三日間を想起して過ごす。「復活のいのち」に向かって、聖木曜日(主の晩餐と洗足)、聖金曜日(主の十字架)を記念する礼拝の恵みに与りたい。

 今年もキリストの十字架は私のためだと知る幸い!

2021年3月21日日曜日

一粒の麦

  麦の収穫は5月頃から始まるそうだ。当時のパレスチナあたりでも、今頃は青々と実った麦の穂が畑一面にすくすく伸びていたと思う。それはイエス様の当時も、みんなが見慣れた美しい風景だったに違いない。

 しかし、実った麦の穂を見て、土の中の種がどうなっているかを想像する人はどれほどいただろうか?仮に、麦を引き抜くとする。そこには、無数の絡み合った多くの根っこを見出すが、もはや、元の種は養分として吸収されて見当たらない。主の十字架は、人類の救いという実りを得るために撒かれた種だった。

 “主はこの私の罪を執りなしてくださった”今日、この慈しみでいっぱいにされ、ただ頭を垂れる。

2021年3月14日日曜日

「ヨハネさんの16」

  今日のこのヨハネ3章16節を、私の父は「ヒロマサ、ヨハネさんの16だ」と覚えやすいように教えてくれた。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。

 神にとって、独り子イエスはもちろん大事。そして、ヒロマサも大事。では、どちらか捨てなければならないのならば、神は「イエスを捨てる」というのだ。神は、なにがあろうとも、イエスよりも私の方を愛している。ギョッとする。

 私が、それほどに愛されていること、それを信じることこそが、永遠の命を生きていることなんだ。誰もが神に愛されるために生まれてきたんだ!

2021年3月7日日曜日

永遠不滅の神殿

 宮清めのイエス様の乱暴なふるまいは、神殿への熱い思いが心いっぱいに溢れてきたためだと見えた。

 事実、主は神殿にやって来て形だけの犠牲をささげて罪の赦しを願うという礼拝を否定されたのだった。

 しかしイエス様の本命は十字架だった。主は自ら罪の贖いを引き受けた。もう犠牲の動物はいらない。古い時代は終わった。今や、霊と真だけで神を礼拝する主イエスという永遠不滅の神殿の時代なのだ。復活の主を通じて直通電話のように天の父とつながっている。

 「もしもし、天のお父さんですか」と、何時でも、どこにいても父に語りかけることができる。何でも願いなさいと言ってくださるイエスの御名によって。

2021年2月28日日曜日

日々の祈り

  メソジストの牧師J・H・ジョエットの 『日々の祈り』の中にこんな祈りを見つけた。「わが主よ、つぶやくことなく自分の十字架を負うことを教えてください。(略)重荷を負いつつも常に喜び忍耐することができる秘訣を、どうぞ教えてください。」

 「重荷のない人生はない」とすれば、私を先導してくださるイエス様がおられることに気付くことこそが重荷を負いつつも喜び忍耐する秘訣だと思う。かつて過酷な十字架を背負った主イエスである。主は弱い私をそのまま受け入れ、気遣って助けてくださる。

 主に従う人生はどこか軽やかなのだ!いつか神の国の入り口に着く時、復活の喜びが待っている。

2021年2月20日土曜日

レントを旅する

  主イエスは40日間荒れ野で悪魔の試みを受けて勝利された。私たちも生きている限り誘惑や試みに合わずに生活することはできない。

 「主の祈り」の「試みに合わせず悪より救い出してください」は、むしろ「わたしたちを誘惑や試みに陥らせず…」と受け取るといいと言われている。

 主イエスは荒れ野で天父のみ心を生きようとされた。私たちもまた主イエスのみ心を我が心として生きようとする時、私たちの心は霊の戦いをして苦しむ。

 その時、天父は親心で見守り、愛のはからいをしてくださるに違いない。そう信じると勇気が湧いてくる。

 さあ、今日から私は四旬節(レント)を旅する旅人。


2021年2月14日日曜日

このレント

  先週、「忘れないうちに作っておかなくては」と、乾燥しておいた棕櫚の葉を鉄鍋で焼いて灰を作った。

 今週の「灰の水曜日」から四旬節(レント)が始まる。「灰作り」は、このレントの季節をよく生きて、そして喜びの復活祭を迎えようとの私の思いでもある。

 生まれつき全盲のピアニスト辻井伸行さんの言葉を聞いた。「ショパンが僕の近くに居るように感じて、色んなことを語りかけてくれて、僕を見守ってくれていて、また更に、僕に作品をずっと弾き続けていって欲しいと言っているような気がします」。

 福音伝道の初心に帰って思わず涙が出そうになった。このレント、イエス様を身近に感じて過ごしたい。

2021年2月7日日曜日

会える!

  先週、アイオワ州オレンジシティから一通の手紙が届いた。それは友人キャルの訃報の知らせだった。

 おおかた40年近く前のこと、教員だった私は妻と3歳になったばかりの長男を連れて渡米し、1年半滞在した。その時、キャルとベブ夫妻には言葉では言い尽くせないほどのお世話になった。

 イエス様つながりの彼らとの思い出の数々は、どれほど年月が経っていようが、何時思い出しても私たちの心を温かにする。

 一人になったベブに電話をすると、「とても寂しい。でも大丈夫!」と言う。「会いに行きたいけれど・・・」と私が言うと、「天国で必ず会えるわ」と確信の返事。天国から微笑むキャルの顔が浮かんだ。会える!

2021年1月31日日曜日

味噌汁、最高だー!

  今日は1月最後の日、2021年ももう一ヶ月が過ぎた。緊急事態宣言が出されて3週間あまり、非日常がだんだん日常になってきたことへの違和感も薄れてきた。朝の検温、マスクに手指の消毒、三密を避けての集会や懇談など、非日常の生活が定着した。

 ところで、この一年余り、私的会食や私的外食は皆無となって「お家ごはん」の毎日となっている。だから、負担なく作れる食事がなによりだ。この冬はもっぱら根菜に葉物をどっさり入れた味噌汁が我が家の中心メニュー。簡単に作れて、美味しくて、栄養もありそうで、あったか〜くなれる。毎日の主婦の働きに感謝を持って言う。味噌汁、最高だー!

2021年1月24日日曜日

今日も会えたね!

  湯河原から小田原への途中の道で、いつものおばあちゃん達が…という私も傍から見ればどう見たっておじいちゃんなんだろうけれど…二人共マスク姿で一人は杖をつき、もう一人は手押し車で海から上ってきた太陽の陽だまりの中に腰掛けて話し込んでいる。

 厳寒の季節だが日差しは長くなり、外の景色は明るくなった。そんな朝、二人の和やかな雰囲気が伝わってきて、通り過ぎる私の気持ちまで快活にされた。そこだけが周囲に比べていっそう明るさに包まれている。 

 こんなに寒くて、コロナ禍の中なのに、あの二人は今日も元気で会えたんだ!良かったなぁ〜。なんだか尊く感じられて、お二人の上に主の祝福を祈った。

2021年1月17日日曜日

求め続ける

  再び緊急事態宣言の中ではあるが、私たちの主イエスの栄光は2000前と少しも変わらず輝き続けている。

 洗礼者ヨハネは主イエスとのすれ違いざまに自分の二人弟子たちに「ご覧、神の子羊」と言った。二人の弟子はイエスのあとについて行く。するとイエスは「何が欲しいのか?」と聞かれた。しかし、彼らは尋ねた。「どこにおられるのですか?」一見、問と答えになっていないが、この方に繋がっていきたいというのが答えだ。午後四時のこととはっきり聖書に時間が記してある。よほど印象深い出会いだったに違いない。

 コロナ禍の波に飲まれそうにな私たち。主は私たちとのつながりを求め続ける。

2021年1月10日日曜日

温かい飲み物でホッとしたい

  冬でも温暖な湯河原なのに、寒の入りのこの二三日は特別に寒い。なんだか温かい飲み物でホッとしたい。

 台所でインスタントのカフェオーレの箱を見つけた。それには「今だけ和みのことば入り」と書いてある。中にあるスティックの一つ一つに言葉が書かれている。「なにごとにもほどほどが一番」「キミは世界一やさしいひと。」「常にポジティブなんてつかれちゃうし。」などなど。今だけの企画らしいが、このコロナ禍の時期ちょっとでも和ませたいという思いやりかな…?

 飲みながら、僕だって作れるさ!と思った。「イエス様の言葉に温まって!」「イエス様は世界一優しい人」「イエス様と一緒だから疲れちゃっても大丈夫」。

2021年1月3日日曜日

エピファニー(顕現)の光

 「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り主の栄光はあなたの上に輝く。」(イザヤ書60:1)

 元旦、久しぶりに家族みんなで集まって正月を祝った。コロナ禍で無くても正月に家族が皆で集まるなどということが皆無な我が家では、むしろオンラインでなら皆で集まれると早々に決まった。

 画面上の家族の話に耳を傾け、家族の顔を眺めて過ごした貴重な時間。ああ、心を満たしてくれた。恵みだと感謝した!たったこれだけのことで元気になる。

 たとえ世界がCovid-19によって閉ざされ、闇にいるように感じても、はっきりと暗闇に光が昇ることが私たちに約束されている。顕現の光は、私たちを照らす。

2020年12月27日日曜日

希望の子を地上に送る姿に

  10年前に初めて小惑星イトカワ探査に成功した「はやぶさ」の地球帰還の動画を改めて見た。

 大気圏に突入し流星のように輝きなが無数の破片となって消えていく。その中に明るくはっきりと切り離したカプセルが見える。満身創痍で希望の子を地上に送る姿に主キリストを重ねてしまう。

 今年、「はやぶさ2」が小惑星リュウグウからの岩石の採取に成功した。暗いことの多かった2020年に大快挙だ。「はやぶさ2」は大気圏に入ること無くカプセルを切り離し、次のミッションにでかけるという余裕さえ見せた。目に見えない世界への探求心は尽きず、続く。このゆとりに憧れる。

2020年12月20日日曜日

スクルージの回心が広まって

  最初のクリスマスが祝われて今日は2020回目のクリスマス。クリスマスおめでとうございます!

 ディケンズの『クリスマス・キャロル』は19世紀半ばの社会問題が噴出していたイギリス社会を大きく変えた。小説の主人公スクルージの回心に人々は触発され、刊行から5年間で「クリスマスは他者に対して温かな眼差しを向ける季節へ」となっていった。

 Covid-19の感染拡大が続く只中にあっても、聖霊の風は吹き、私たちをクリスマスの愛と恵みへと導いてくれる。今日の良き日、主のご降誕の喜びを皆さんと共にお祝いできることに感謝します。クリスマスの慈しみが世界中の人々の上にありますように。

2020年12月13日日曜日

“Live deep(深く生きる)”

  イギリスでCovid-19のワクチン接種が始まった。90歳の女性がワクチン接種をしての感想をニュースで聞いた。彼女は言う。「これでこのクリスマス、子どもたちや孫たちと会うことができる。私はこのワクチンを受けることができて光栄に思う」。

 彼女の90歳という年齢を考え、そして思った。感染を恐れてこのまま愛する家族とも会えず、子どもたちや孫たちを抱きしめることも叶わないまま生きることは「生きる質」に関わることなのかもしれない。

 “Live deep(深く生きる)”。副反応を恐れて、ワクチンに懐疑的な人たちが多い中、世界の人々に先駆けてのこの高齢女性の決断は私には英断に思える。

2020年12月6日日曜日

たがいに与え合うクリスマス

 40年も前に読んで、すっかり忘れて、ホコリまみれになっていた『クリスマス物語集』を懐かしく手にとった。

 そこには「クリスマスは、輝かしいときです。愛と、優しさと、楽しい笑い声の満ち溢れる日、他の人を思いやる日、親切な思いつきが、ふつふつとわく日なのです。」と、この本の物語の一部が紹介されていた。

 クリスマスは長い間みんなの幸せのために役立ってきた。クリスマスは互いに与えあう日なんだと今更に知る。

 世界はすごいスピードで移り変わっていく。古い習慣は顧みられなくなったが、人の心のやさしさは時代遅れになることはない。私たちの心の中の宝、私たち人間を人間らしくしているものは決して変わることがない。 

2020年11月29日日曜日

今日から目を覚ましていよーっと!

  予測されていたがCovid-19の感染はここにきて広がった。連日のニュースにも先行きの不安が漂う。

 こんな中で感謝なことに、湯河原教会は宣教65周年記念の外壁塗装工事を終えることができた。明日には足場が外される。白壁の美しい教会堂が青空の下にスッキリと現れる様子を思ってニコッとなる。だが、もっと嬉しいのは今年もクリスマスを迎えられることだ。

 今日からアドヴェント、クリスマスの足音が近づいてきた。「さあ、主キリストの御降誕と再臨を待つ用意はできたか?」とささやく声がする。居眠り名人でネタロー(寝太郎)というニックネームを付けられた私だが、密かに思う。今日から目を覚ましていよーっと!

2020年11月22日日曜日

50cm×80cmの床面が出現!

  教会の外壁の塗装工事が始まった。まずは足場作りから。狭い隙間にも、高い十字架塔にまでもうまく足場をかけてゆく。職人さんたちの交わし合う声が楽しそうに室内にいる私の耳に響いてくる。きっと良い仕事をしてくださるのだろうと、そう思った。

 その時だ、牧師館の勝手口のたたきに床板を張ってもらえないかと頼んでみようとの思いが浮かんだ。聞いてみると「いいよ」と、二つ返事が返ってきた。

 値段を聞くと、「教会さんは人のために働いているんだから、教会さんからはいただけないよ。私がやってあげるから」。思いがけない贈り物にただ感謝!デッドスペースにデッドスペースに50cm×80cmの床面が出現!

2020年11月15日日曜日

君を信頼するよ

 「君を信頼するよ。これで大いに自由にやってみなさい」と、ど〜んと大金(タラントン)を預けられた。

 私へのこの信頼に心が躍る!さて、この資金をどう役立てようか?それを元に起業するのも悪くはないかな?しかし、とりあえず銀行に預けておこうかな?

 いろんな選択肢が頭をかすめるが、いずれもリスクはある。そのまま使わずにおくのが一番安全かな…?

 しかし、ご主人の望みは失敗を恐れずにタラントンを用いることなんだ。ここを外しちゃいけない。たとえ失敗してすっからかんになってもご主人はお怒りにならないに違いない。失うということでは主キリストご自身は全てを私達のために使い果たされたのだから。

2020年11月8日日曜日

このお菓子を見て泣いた

 突然K姉妹が訪ねてこられた。「今日、息子の施設から送られてきました」と言って見せてくれた会報には息子さんが元気に稲刈りをしている写真が載っている。

 Kさんの息子さんは長い間心の病で、本人も家族も苦しんできたが、最近ある施設に巡りあい、彼はそこに初めて自分の居場所を見つけ、障害者として働き始めた。このことがどれほどKさんとKさん家族を喜ばせ、神への信頼と感謝に導いたことだろうか!

 「息子のために祈り続けてくださった先生にも食べて頂きたい」と、一個の三笠山をくださった。息子さんが初めて家族に送ってくれたお菓子だった。ご家族はこのお菓子を見て涙したそうだ。主よ、感謝します!

2020年11月1日日曜日

神の愛につながる

  キリスト教会は11月を「死者の月」としている。礼拝堂に飾られた天国の方々の写真を見ながら思う。

 神に結ばれてこの世を生き、今は主と共に天におられる兄弟姉妹が「神の愛につながること」は人が愛し合うことだ、それが最高の喜びだと伝えている。

 折しもハロゥィンの花火が始まる。家人に呼ばれて屋根の上に。明日のことを思えばのんきに花火見物でもないがせっかくの誘いだ。しばし一緒に楽しむべし。

 澄み渡った夜空に火の花が大きく咲いては散る。ドカーン、ドカーンと爆音が腹に響く。急(せ)く気持ちはどこかへ飛んで、一緒にいるっていいなー、主の愛につながることだなーと思えてくるから不思議だ。

2020年10月25日日曜日

今年が見納めとなりそうだ。

  兄弟教会である小田原教会の植え込みのドウダンツツジの紅葉がみごとだ。隣接地の工事のためにこの植え込みは取り除かれることになった。この艶(あで)やかな紅葉も今年が見納めとなりそうだ。

 小さな苗木であったのが今や大人の丈を越すほどになり、教会の歴史を偲ぶドウダンツツジの紅葉を今年は特別な思いで眺める。教会の皆さんの気持ちを察すれば、一本どこかに移す方法はないものかと・・・。

 さて、目を上げれば遠くに山々の紅葉が広がりつつある。こんなにも神は豊かに自然を備えてくださっているのだから、目先の自然に捕らわれて寂しくなることもないか!この先にはきっと恵みが待っている。

2020年10月18日日曜日

たちまちあったか〜い!

  今日は一日中じとじと雨だ。秋の雨はどこかうすら寒く、沈んだ気分を誘う。この雨、冷え冷えとして、なかなかあがらずコタツが恋しくなる。まさに秋の長雨「秋霖(しゅうりん)」を思わせる。

 我が家でも大慌てでファンヒーターを出す。スイッチをONにするとたちまち寒がり屋の猫たちが集まってきて膝の上でとぐろを巻く。

 ゆっくりFさんからの手紙を開いた。病院に長期入院しておられるが、コロナ禍で礼拝に出席できなくなってもう9ヶ月。外出許可が出たら礼拝に来たいとある。終わりの一文は「教会の皆さんに主の平和がりますように」だ。心も体も魂もたちまちあったか〜い!

2020年10月11日日曜日

イエス・キリストという礼服

 4日に召された叔母の葬儀説教で母教会の牧師の話が印象に残った。

 「晩年、惠さんはよく『私のためにお祈りください』と言われた。ある日曜日『先生、お祈りくださってありがとうございます。先生がお祈りくださっていたことがよく感じられました』と言われた。それを聞いて私は恥ずかしくもあり、申し訳ない気持ちになった。なぜならその週、私は惠さんのことを忘れていたからです」。

 私は天の父はまさに祈る者と共におられるのだと知った。今日、天の父は罪ある者を婚宴に招き、おまけに礼服まで整えてくださっている。イエス・キリストという礼服を私は着るだけだ。主の礼服は軽やかで柔らかく、着心地はさぞかし良いだろう! 

(マタイ22:1〜14)

2020年10月4日日曜日

皆さんから愛されてます

  施設に頼み込んで15分だけ面会が許された。それが急な入院前の叔母との最後の会話らしい会話となった。

 「叔母さん、博雅です。お久しぶりです」というと、「あら、そうでもないわよ」と、2週間前に施設の玄関先で数分間だが会ったときのことを覚えていた。「叔母さん元気ですか?」と尋ねると、「皆さんから愛されてます」というしっかりした返事が返ってきた。

 Covid-19 の影響で叔母とはこの半年というものほとんど会うことがかなわなくなっていた。認知症の叔母だが、「神にも人にも愛されている自分」から全くブレていなかった。この返事を聞いてわたしは思いもかけず幸福感に包まれた。安心したし、嬉しかった!

2020年9月27日日曜日

考え直して・・・

   あるところに父と二人の息子がいた。父親は息子達にぶどう園に行って働くように命じる。兄は「嫌だ」といったが、あとから考え直して出かけた。弟は「いいよ、行くよ」と言ったが行かなかった。

 この主イエスのたとえ話の奥深さは、兄と弟の二人しか登場しないことだと思う。もしもこの話に、「いいとも」と二つ返事でぶどう園に行って働く、そんな品行方正の3人目の息子が登場したら、主のたとえは「行いが大事だ」という話になってしまうだろう。

 人は誰でも時にはこの兄であったり、この弟であったりするのではないか?主は考え直すこと、そして心を神に向けることが鍵だという。OK、鍵をゲットだ!

2020年9月20日日曜日

慈しみの中で

  ニネベの人々が預言者ヨナの予想に反して悔い改めた。ところがヨナのこの“ちんぶくれ”ぶりはどうだ!

 ヨナがあまりに正直なので、つい「わかる、お前の気持ち」と言ってしまいそうになる。

 また、遅くからやってきてわずかしか働かない者に早くから働いた者と同じ賃金を支払うなんて不公平だというこの文句にも「そうだよね」と同情する。

 そんな時だ、主の声が耳元でささやいた。「お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。(ルカ15:31)」。弟を妬む兄への父の優しい言葉。

 ああ、そうでした!イエスさま、あなたはこれまで私を惜しみなく慈しんでこられました。

2020年9月13日日曜日

素直に頭を垂れる

 「最近の死刑についての司法判断は『一人殺せば懲役刑。二人以上なら死刑』というように、人数で割り切る傾向だ。犯罪被害者の家族に対しても心のケアや援助ではなく、『望み通り極刑にしましたよ』と、割り切った考えになってきている。」これは「NHKニュース解説:最近の裁判の傾向について」の論評だ。

 聞きながら、「眼には眼」という旧約聖書の時代が彷彿させられた。人の更生ということ、神のものである命ということについてもっと深める必要を思った。

 自分が赦されているのに仲間を赦さない。ここに心を痛めている仲間達もいる。人間の鈍さ!それにひきかえ王である主の憐れみ深さ!素直に頭を垂れる。

2020年9月6日日曜日

油断はできないが

  自粛生活とかウイズコロナとか言いながら過ごし始めて半年になるだろうか?

 Covid-19の正体も徐々に解明されてきて、どんなことに注意して生活すればいいのかがわかってきた。感染を恐れて家に閉じこもりの生活が長く続けば、感染はせずとも人間らしい豊かな生活が失われかねない。

 「このコロナの時期は…」と言って、中断していた聖書研究会、懇談や信仰入門の学びも再開した。そして、何より嬉しいことは聖餐の再開と説教原稿の代読でなく、生の説教者による礼拝に与ることができるようになったことだ。小さな町の小さな群れだからこその祝福かもしれない。もちろん油断はできないが。

2020年8月30日日曜日

だが、待て!

  8月も終盤なのに、夏の真最中といった感じの毎日である。コロナ禍も手伝って、健康な者にでさえ今年の夏の暑さはこたえるから、病気や障害を持つ方や高齢の方には如何ばかりかと気がかりである。

 「自分の十字架を背負って私に従いなさい」と主イエスは言う。十字架を負うことなどできるのか?と、このコロナ禍と酷暑の中では言いたくもある。だが、待て!自分の背負える十字架でいいのだ。「私に、今できることか」と、気を取り直して歩くことにした。歩数にして5500歩あまり。夜、湯河原の海岸を歩く。

 星空の美しいこと。寄せる波の音の響きの心地よさ。昼間の暑さは吹っ飛んで、清涼な命が吹き返す!

2020年8月23日日曜日

ビビッと響け!

  今年の夏は35度を上回るジリジリした暑さが続く。日中は前の通りを歩く人は皆無だ。そんな炎天下の中、帽子もかぶらず歩いている一人の老人を見かけた。

 「これ、古いものですが」と家人が自分の緑色の細いリボンの付いた麦わら帽子を差し出すと受け取ってかぶって行かれた。ご飯の買い出しにでも行くのだろうか?・・・それ以来、教会の前の道を「あの麦わら帽子」をかぶって行き来する老人を見かけるようになった。安心したー、役に立っているんだねー。

 さあ、暑いが頑張ろう!「あなたはキリスト、生ける神の子です」と告白したペトロの、あの生き生きした信仰告白よ、私の魂にビビッと響け!

2020年8月16日日曜日

わたしの夏の友

  私の子供の頃の夏休みには『夏の友』という学習ドリルの宿題があった。ドリルが「友」だなんて、どうしたらそういう発想になるのだろう?と思うが、私にとって当時の「友」は勿論遊びだった。夏休みは浜辺で日がな一日過ごした。そんなわけで8月の終わりは溜まった宿題をチャチャッとやっつけるはめに。

 ある時、私が描いた宿題の絵に、「ちょっと」と、父が手を出した。スケッチの趣味のあった父は、泥縄式で描いた絵を見るに見かねたのかもしれない。

 その絵、どう見てもうまく描け過ぎていた。学校に持ってゆくの、嫌だったなー・・・いまは笑い話。

 今年、私の「夏の友」はエアコンと扇風機と麦茶。

2020年8月9日日曜日

安心、安心、ああ安心

 NHK『夏休み子供科学電話相談』で、6歳の幼児の珍しい相談に思わず聞き入った。

 ブラックホールに飲み込まれるのではないかと心配で毎晩眠れないという。宇宙・天文学の専門家が幼児にもわかるように、そういう心配はないと丁寧に説明している。しかし、彼は「わかりましたか?」と聞かれて、はっきり「わかりません。」と答えた。

 この子の不安の種はブラックホールではないのだ。彼は無意識に、「安心しなさい。わたしが一緒に

いる」と言ってくださるイエスさまを必要としているのだ。安心、安心、ああ安心…と響くもの、いや、響くこと、なんでもいい。会話でも触れ合いでも。 

2020年8月2日日曜日

いっぱいあるなー

 長く逗留した梅雨も重い腰を上げて去った。しかしCovid-19との付き合いは続きそう。それどころか、ますます「切っても切れない関係」になりつつある。嬉しくないが、Covid-19は人付き合いが大好きなのだ。
 この数ヶ月、礼拝や活動の自粛を経験してきたが、牧会と宣教はいろんな方法で可能だと、今改めて思う。隣人に仕える愛の奉仕はCovid-19をむしろ媒体にして行える。私たちは自分の信仰心のことばかり、教会のことばかりであってはどうもうまくない。神はこの被造世界をお作りになったのだから、私たちに世界に仕える視点を求めておられるのではないか?
“この時期だからこそできること、いっぱいあるなー”

2020年7月26日日曜日

大転換だ!

 耕していた畑で宝を見つけたなら、宝だけをそっと家に持ち帰るんじゃないかな・・・?自分だったらだいたいそんなストーリーを思い描く。
 しかし、彼の非凡なところは・・・彼は一大決心をして持ち物をすべて売り払い、今までの生活に終止符をつけ、そして「宝」の埋められていた畑ごと買い取る道を選んだことだ。彼は、それまでの小作人の人生に甘んじることをやめた。大転換だ!
 「天の国」は机上の空論ではない。神と共に生きる人生には喜びがあり、そこが「天の国」だと味わい知る。いま、「宝」の発見を機に自立の道を歩くことを決意した一人の農夫の姿が彷彿とする。

2020年7月19日日曜日

そのままにしておきなさい

 誰かを一本の毒麦にたとえ、自分たちは良い麦だというふうに、この主のたとえを聞いたとしたら善悪二元論の匂いがする。もしそうなら、「真っ先に引き抜かれるべきは他ならない、私ではないか!」と思った。
 世の中に毒麦と呼ばれる麦は存在するし、他人の畑にも毒麦を見つける。そして、認めたくないが自分の畑にも毒麦は生えている。それは人類共通に存在する毒だ。この毒麦、抜いても、抜いても「敵の仕業」はなくならない。「この毒さえなければ」と思う時、「そのままにしておきなさい」との主のみ言葉が響く。
 悪いものでも大切にして、いつか良いものへと変えてくださる愛の主に、私は救われ続けている!

2020年7月12日日曜日

どんな土地でも

 イエス様は畑に種を撒いておられる。大きな袋から、福音の種を気前よく握っては蒔き、握っては蒔き…
 種は道端に落ち、石地に落ち、茨の茂みにも落ちる。そんな光景を思い描きながら、私はこの中のどの土壌だろうかと、どうしても自分の貧しさに目が行ってしまう。しかし、畑に種を撒いた後で、種ごと土を耕して種を深く土に根付かせるというパレスチナの当時の農法を知った。びっくり仰天だった!日本では想像できないが、これでないと逆に多くの実りはないという。
 イエス様は、「芽生えよ!実れ!」とばかりに、どんな土地にも、惜しみなく、今日も福音の種を蒔き続けてくださる。だから、悟らせてくださいと祈る。

2020年7月5日日曜日

ありきたりのサンドイッチのままで

 胡瓜とハムのサンドイッチは我が家の昼食の定番メニューだ。この頃、そのサンドイッチにバジルやルッコラをはさんでみる。うまい!オー、イタリアン。 
 以来、香りのものはサンドイッチに欠かせない。少しなのに味にパンチが出る、美味しさが増す、昼食がちょっと楽しい、そんな不思議な変化を感じる。
 私たちはなかなか自分だけでは変えられないし、変わりようがない。しかし、主イエスの軛に繋がれてみて、私たちは初めて「謙遜」と「柔和」を味わい知る。
 主の軛は慰め、安堵、喜び、感謝・・・そんな平凡な言葉しか浮かばないが、きっと、あなたは味わい深く変えられる。ありきたりのサンドイッチのままで。

2020年6月28日日曜日

神の恵みは変わらずにある

 この6月、ズームによる「ルターセミナー」が開かれた。
ルターの時代はペストが流行した時代だった。ルターの『慰めと励ましの手紙』を参考に聞きつつ思った。私達はcovid-19と共存する新しい時代を歩み始めているのかもしれない。
 各教会の礼拝の取り組みを分かち合い、どの教会の牧師も「礼拝をどのようにすべきか」「オンライン礼拝は礼拝か」と、悩みながら努力し、工夫しているんだな〜と思わされた。
 セミナーの終わりに、「礼拝は形式ではないこと。礼拝を続けても、続けられなくてもそれは信仰の強さの証明ではないこと。礼拝を持っても持てなくても神の恵みは変わらずあること。コロナ禍で大事なのは『隣り人への愛』ということを教会の中心に据えることだ」と確認できた。晴れ晴れした。

2020年6月21日日曜日

腸の中のパートナー

 寄生虫を自らの体に長年住まわせてアレルギーの実験をした藤田紘一郎医師の腸内細菌の話が面白い。
 多様な生き物の腸内細菌はビタミンや脳内伝達物質を合成し、免疫力の70%を作っている私達の大切なパートナーだと言われて、なになに?と聞き耳を立てる。
 要は腸内細菌の餌となる食物繊維を食事で取ることが大切だということなのだが、先生がユニークなのは、腸内細菌という他者との共存を見直すことは自分を大切にすることだという哲学的な提題をしている点だ。
 自分の中のサナダムシでさえも、もう一人の自分として愛おしんだ先生は、現代人は自分と他者とを区別しすぎてバランスを崩していないだろうか?と問うている。

2020年6月14日日曜日

改めて宣教を考える

 コロナ共存時代となった日々、宣教は今までと同じとはいかなくなった。礼拝も問安も大きく変化した。
 しかし、変化を要求される中でネットでの説教・週報の配信、オンライン礼拝などさまざまな工夫を試みている。だが、ネットがますます主流のようになってゆく社会にあって、実はネットは万能ではない。主は一人ひとりに主の福音が伝わることを望んでおられる。
 コロナの時、私達はなんの宣教手段もないと言って恐れることはない。主は私達の創造力も想像力も持久力もさらに豊かにして、宣教に送り出してくださる。
 今日、主イエスは12弟子を着の身着のままで送り出された。改めてアナログ的な宣教を考える。

2020年6月7日日曜日

恵みを先取る祈り

 この3ヶ月、私達は主イエスの受難と死、そして復活、昇天、聖霊降臨の喜びを記念してきた。
 三位一体主日の今日、これらを通して示されている父なる神と子なるキリストと聖霊の慈しみが私達をまるごと包んでいてくださることをしみじみ味わいたい。
 「お守りくださるのですね。感謝します」とは、ご主人が10時間に及ぶ手術を受けた直後の奥様の祈り。「渋滞を取ってくださるのですね。会わせてくださるのですね。感謝します」。これも彼女の夫がICUに移される前に一目会いたいと願って、渋滞をくぐり抜けて、病院に駆けつけた時の先取りの祈り。聖霊はこんなにも大きな愛と信頼の内に私達を生かしてくださる。

2020年5月31日日曜日

聖霊は香油のように

 聖霊降臨祭の今日、2ヶ月ぶりに教会に集まって礼拝に与る。この恵み、この幸い、この感謝!
 私達はこの自粛の期間、新型コロナウィルス感染症による不安と孤立の中にある方々を覚えならが祈りの時を過ごした。また「時が良くても悪くても福音を述べ伝えよ」このことについて、前を向いて行くようにと励まし続けてくださった聖霊に感謝する。
 私達はこれからコロナ時代を生きてゆくことになった。私達の生活も礼拝の仕方も変わる。そこに恵みは必ずある。教会は聖霊に信頼する。聖霊は過去の辛い記憶に慈しみの香油を塗ってくださり、私達のうちに調和を作り出してくださる。さあ、聖霊の風よ、吹け!

2020年5月24日日曜日

心と心は近くにいたい

 COVID-19のおかげで私達の物理的距離はすっかり遠くなった。人と人との接触が感染を広めるからだ。
 病院には付き添いも見舞いもできない。重篤な病気での入院手術には付き添ってあげたいに違いない。施設やホームも同様だ。施設で暮らす障害を持つ方のご家族は、月に一度施設から送られてくるその方の写真を見て慰められているという。
 米国では施設の老人の孤独による死亡が増えている。認知症のお年寄りは家族が訪ねてハッグするだけで、家族の愛を確認できたものを…悔しいに違いない。
 人との物理的距離によって私達の心が遠く離れることがないように、主よどうぞ知恵を与えてください。

2020年5月17日日曜日

離れていても感じあえる

 休校になって二ヶ月。「NPOカタリバオンライン」で出会った全国の子供達が今の気持ちを詩にして伴奏をつけた。子供達は自宅からネットで歌っている。
 「世界中が止まっても いつものように朝が来て どんどん今日が生まれてく…集まれないけど集まろうよ 離れていても感じあえる 約束しよう優しい気持ち どこにいても心をつなげたい…」打算や計算のない子どもたちの気持ちがストーレートに伝わってくる。
 「離れていても感じあえる」。このメッセージに勇気が湧く。今、私達に必要な「つながり」の感覚はこれ!互いを思いやる時、主は私達につながり、私達同士をつなげてくださる。聖霊なる主は「元祖つながり」だ!

2020年5月10日日曜日

心の手を握りしめる

 先日、叔母が入所しているホームから知らせが入った。94歳の叔母に熱があるという。「38度4分ですか!」と私。新型コロナウィルスの感染が頭をよぎる。しかし、万が一感染していても、誰のせいでもない。これが天の父が定めた叔母の時だと覚悟を決めた。
 しかし、解熱剤を飲んで翌朝、叔母は平常に戻った。その夜、叔母に付き添ってくださった職員さんは、一時間おきに叔母の体温、血圧、脈拍、サチュレーションを測り、数時間ごとに3回に分けて水分の補給をしてくださったそうだ。
 家族にもできない看護に思わず涙・・・有り難くて感謝を言葉にできない。
 叔母は守られた。時節がら叔母には会えないが、「よかったね~叔母さん!」と、心の手を握りしめる。

2020年5月3日日曜日

それならば・・・と

 緊急事態宣言が一ヶ月先まで延長されそうだ。長引く礼拝や集会の休止に気持ちはどうしてもしぼみがち。どうか、福音につながり続けてほしいと覚悟を決めてYouTubeとFacebookに説教をアップした。
 礼拝と集会の自粛を始めて以来、毎週ごとの説教をメールで配信するかコピーして郵送している。しかし、御言葉は聞くことが大事にされてきたことを思うと、ネット上であっても聞けることは一つだ。そういう声に押されて恥ずかしながら試みることにした。
 不慣れなレコーディングを何回もやり直すうちに元の説教原稿から外れてしまったが、とにかく初めの一歩だ。少しでも主日メーッセージに触れていただければ幸い。

YouTube で "日本福音ルーテル小田原教会湯河原教会" と検索してみてください。説教ビデオの閲覧ができます。

2020年4月26日日曜日

心は燃えていたではないか!

 鶯の澄んださえずりが近くの木陰で聞こえる。気がつけば桜はすっかり葉桜となり、木々の若葉が美しい。
 丁度いまごろの季節、二人の弟子がエマオへの道で復活の主イエスに出会った・・・。
 ロバート・ズンドの「エマオへの道」は青空のもと、緑豊かな春の道で主を挟んで歩く三人の後ろ姿が描かれている。大好きな絵の一つだ。
 「道で話しておられるとき、聖書を説明して下さったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか!」と、後になって気づいた二人の弟子の感動に思いを馳せる。彼らが言う「あのとき」とは「一緒に歩いているこのとき」なんだ!いいなーと想像が膨らむ。

(エマオへの道 ロバート・ズンド と検索してみてください。絵が見られます)

2020年4月19日日曜日

ひねくれ者にも祝福だ!

 弟子達はユダヤ人を恐れて家に鍵を駆けて閉じこもっていた。復活の主はそこに現れ、真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と祝福してくださった。
 ところで、トマスはみんなが一緒にいたときにどこに行っていたんだろう?理屈屋でちょっとシニカルな彼は仲間から一人外れるひねくれ者だったかもしれない。主はそんなトマスを愛して、もう一度同じ状況を再現して下さった。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言って下さった。
 そういえば「お前はひねくれている」と生前の父も先生方もよく言ってたなぁ・・・思い出して、なんだか懐かしい!バンザ〜イ、ひねくれ者にも祝福だ!

2020年4月12日日曜日

アーメン。主は復活された。

 「主は復活された。ハレルヤ!」主イエス・キリストのご復活を皆様と共に心からお祝いいたします。
 今年はやむなくイースター礼拝を教会で皆さんと一緒にではなく、各ご家庭で与っていただくことになりました。
 しかし、私たちは依然として聖書を読み、祈ることが許されています。なんと幸いなことかと思います。皆様お一人お一人に、主の復活の喜びが届きますようにと心からお祈りいたします。
 まだ緊張や不便な状況が続きますが、試練に耐えることが日常であった禁教の時代を想い起こします。今日私たちは復活の主に出会いました。主から愛された者として“隣人への愛の配慮を心に”と願うものです。

2020年4月5日日曜日

満開の桜に誘われて

 Covid-19の感染拡大を思えば気持ちは沈むが、満開の桜に誘われて、すっかり慣れた小田原への行き帰りの道、桜を見ながら行くことにした。
 旧造幣局の桜並木道を通りながら、「ここはY兄が案内してくれた場所だったね」と家人と話しながら通る。
 Y兄はこころの病気だった。救われたいと洗礼を願って授けられた。そして4年後にちょっとした怪我がもとで天に召された。本当にあっけなかった。
 満開の薄墨色の桜を見ながら、今は天にいるY兄に、「この桜、一緒に見たよね」と話しかける。桜の色がなんだかいつもより灰色っぽく感じるのはこちらの気持ちのせいなのか。今年、桜は薄墨色がいいと思う。

2020年3月29日日曜日

誰のための自粛か

 今や世界中に感染が広がった新型コロナウィルス、日本でも都市を中心に感染の拡大が止まらない。
 先日も用事があって熱海の繁華街を車で通ったが、若者たちの多さに驚いた。ある店の前には黒山の人だかり。人と人との距離を開けるという社会的距離など、どこ吹く風といった様子・・・少々気が滅入った。
 Covid-19の感染が国民の60%〜70%に及ぶと予測されるという専門家の見解を受けてのドイツのメルケル首相の言葉が印象的だ。「高齢者とリスクのある人々を守る為に、私たちの団結と理性とお互いを思いやる心が試されている」。今この言葉の重みを噛みしめる。「私は大丈夫」という正常性バイアスに陥るまい!

2020年3月22日日曜日

鎮座ましたサボテン

 一年に一度、丁度クリスマスの季節に花をつけるシャコバサボテン、教会のクリスマス用にと家人が挿し芽で増やした結果9鉢になってしまった。
 日の当たる南の部屋で育てたいと言うので、フラワースタンドをネットで注文した。待つこと1ヶ月半。
 3月の初めに荷造りテープでぐるぐる巻きにされて届いたのはある国からの国際宅急便。驚いたのはそればかりではない。部品のサイズが合わないのだ。組み立てに難航する。「な〜に、単純作業さ!」と気分転換に毎夜30分、2週間かけてとうとう完成。やったぞ!
 春の日差しの中に鎮座ましたサボテン、その鉢に同居して名も知らぬ草が小さな黄色の花をつけている。

2020年3月15日日曜日

今、新鮮に映る

 Covid-19の感染は世界に広がった。私の楽しみのF1レースも中止。「やっぱり!」だが、しかたがない。
 そんな中、「仕事がキャンセルになって、聖書を読む時間が増えました」という方がいて、いいなーと思う。
 「おもしろいことをしてみよう。なんにもなくても、げんきでいなくちゃいけないもの」という言葉が思い出された。『あおい目のこねこ』という絵本の一節だ。
 ネズミの国を見つけにゆく元気な子猫は、黄色い目の5匹の猫たちから青い目を馬鹿にされながらもひょうひょうと生きていく。困難に出くわしても「なーに、こんなこと、なんでもないや」と意に介さない。
 きわめて前向きな子猫の姿は、今、新鮮に映る。

2020年3月8日日曜日

空の鳥、野の花を見よ

 新型ウイルスの目に見えない脅威で世の中は活動自粛の方向にますます傾き、根拠なきデマが飛び交う。
 薬局やスーパーでガラリと空いたスペースの棚があって、はてな?と思った。それがトイレペの買い占めだったと後から知ってビックリ!今朝もトレペを買って道路も見ずに渡ろうとしている人がいた。トレペに夢中になり事故にあっては元も子もないのに・・・。
 「空の鳥、野の花を見よ」という主の教えが今更よみがえる。空を飛ぶ鳥の自由さ!野に咲く花の無心なこと!自分が生きているんじゃない、神が生かしてくださるのだと気づく。先へ先へと私を追い立てる脳みそをストップさせ、主の前に口を閉じで静まる。

2020年3月1日日曜日

神の子の道

  コロナウイルスで落ち着かない日々が続きそうだが、こんな時こそ今が四旬節であることを覚えたい。
 今日、主イエスは荒野に導かれて悪魔の誘惑にあう。パンの誘惑、肉体を傷つけない誘惑、力の誘惑だ。
 民衆を魅了する肉のパン。自分の肉体が安全であることの保証。全世界を手中に収める権力。この3つが手に入れば神の国の完成はいとも簡単のはず。
 しかし、主はパンではなく真のいのちに導く救いのパンによって、傷つかないことではなく十字架上で自分の体が傷つくことで、人を力で屈服させるのではなく人が自由意志で喜んで神に従うようにと、全ての人を救ために「神の子としての道」を選ばれた。

2020年2月23日日曜日

直球勝負

 先日、Iさんの召天三年目の記念の祈りがあった。その日、河津桜が満開の墓苑にIさんのかつての仕事仲間であった親しき友人たち数人も集ってこられた。
 Iさんは洗礼の後、3年ほどで召された。その間、入退院を繰り返しながらも神の国の希望を持って、「赦し」と「救い」について身近な人達に語っておられた。そのことを思い巡らしながら説教をさせていただく。
 記念式の後の懇談で一人の方から質問された。「自分が赦されるにはどうしたらいいですか?」まさに直球が飛んできた!他の方も興味津々で耳を傾けている。Iさん、今も天から祈っておられるのだな〜。ここは伝道のチャンスだと、この時を主に感謝した。

2020年2月16日日曜日

一番痛いところだなぁ!

 主は山上の説教で私たちを8つの幸いで満たし、地の塩、世の光だと祝福してくださった。その後で、キリスト者の新しい生活を示される。ドキッとするが今日「心の殺人」「心の姦淫」を戒めてくださる。
 「誰しも腹を立てるくらいは仕方がない」と、どこかで自分にお墨付きを与えてはいないだろうか。法というものは決して内的在り方にまでは踏み込まない。法は外に現れた行為に対して拘束力を持つからだ。
 主は、もう律法に従うだけのトレーニングの時代は終わったと言われる。まさに「行動」ではなく、法では拘束されない目に見えない「心の有り方」が問われている。何と言ってもここが一番痛いところだなぁ!

2020年2月9日日曜日

主よ、憐れんでください

 お隣の国、中国では新型コロナウイルスの感染が止まない。感染者と死亡者の数が日々増え続けている報道に胸が痛む。関係者の苦難を思えば決して他人事でない。主よ、この苦境を乗り切らせてくださいと祈る。
 それにしても、花粉症などでマスクの必要な方もおられよう。が、マスクは品切れ。インターネットで普段の10倍もの値段で転売していると言うから呆れる。
 かつてヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行した。「死の舞踏」に描かれる恐怖は当時の現実だ。また足に大きな腺ペストのコブのあるキリスト像を見たことがある。人々はこれをさすりながら祈ったのだろうか。「主よ、憐れんでください」と聞こえてきそうだった。

2020年2月2日日曜日

でっかくて重い

 昨年の年の暮れのことだ。Tさんが泥だらけのかぼちゃのようなものを持ってニコニコ顔で来られた。
 「家の畑を掘っていたら、こんなのが出てきたよ!」蒟蒻芋だった。「へー、これが蒟蒻芋か!」生まれて初めて見る蒟蒻芋は予想外にでっかくて重い。
 さて今年に入って、4キロのこの芋からKさんが手間暇を惜しまずたくさんの蒟蒻を作ってくださった。作り方を聞いたが、私にはまったく魔法のようだ。
 礼拝後の昼食で、美味しくて食感抜群の手作り蒟蒻を皆で楽しむ。湯河原教会の兄弟教会にも蒟蒻を分かち合った。畑の隅に育った天の恵みは広がって教会家族の食卓に一役かってくれた。分かち合いの幸いだ!

2020年1月26日日曜日

教会家族

 今年も教会の年次総会が近づいてきた。昨年の振り返りをし、新しい年の宣教を思い巡らす・・・このところ、そんな時間を過ごしてきている。
 昨年から教会家族ということを思っている。お互いに欠けはあるけれども補い合って、助け合ってやっていく・・・なんか、いいなーって思う。
 今日、主は人を選んで従えと言う。主に選ばれた者とはキリスト者のことだ。私も日々主の示しに従って眼の前の人と出来事に向き合っている。私は何も誇ることができない。優れているから選ばれたのではない。主はもっとも弱く、貧しい人を選んですべての人を救おうとされている。それが教会家族から始まるんだ!

2020年1月19日日曜日

我が足元の生活から考えてみる

 今日のこの寒さはこの冬初めてと言っていい。さすがに冬だと実感できるのはおかしなことだが安心だ。
 この冬の暖かさは気にかかる。「こんにちは、暖かいですねー」という挨拶が通りでよくかわされている。「これでは夏が心配です」と言われる方もいる。これらは身近に感じる心配ということだが、実際は地球の気候変動が危機的になっているということだ。
 16歳の少女、グレタさんのことが頭をよぎる。彼女の訴えは正しい。私たち大人はこの地球を未来に残すために何ができるのか?「持続可能性」という言葉は18世紀に突然文明の滅びたイースター島の教訓から知った言葉だった。我が足元の生活から考えてみる。

2020年1月12日日曜日

同根なのだ

 平和を願って迎えた新年、飛び組んで来たニュースは暗い。アメリカとイランの紛争は、民間航空機を誤射し、176人もの命が失われる事態を招いた。
 またもや紛争が身近に感じられる。日本の中東海域への自衛隊派遣のニュースを耳にする。大戦中のラジオ放送を聞いているような錯覚を一瞬覚えた。
 平和という時、聖書は私たちの心をまず問う。世界で起きている紛争は海の向こうの出来事ではなく、実は私たちの只中で起こっている争いと同根なのだ。
 さて今年、やっぱり教会家族の交わりを豊かにしたいなーと願う。尊敬し合い、赦し合い、助け合う。私がそうなれたら、世界もやがて平和になるはずだ。

2020年1月5日日曜日

この幸いに感謝!

 2020年が明けた。どんな時にも祈り、どんなことにも感謝する一年でありますようにとお祈りします。
 1月6日は主イエス・キリストの顕現の祭日だ。メシアを示す星に導かれて遥か東方からやってきた三人の占星術の博士達はついにヨセフ、マリア、そして幼子イエスに拝謁し、宝を捧げ、喜びに満たされた。
 幼子イエスを我主として礼拝したこの三人の博士達は私たち皆の代表だ。博士達の姿に私自身を重ねてみる。彼らの姿は主を礼拝する者の原型のような気がした。神の前に謙遜にひれ伏し、喜んで献げ、神の恵みに満たされる。こういう礼拝に心から憧れる。
 年の初め、顕現日を覚えて祝うこの幸いに感謝!